ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

手潔癖、手こじた、時々、びっくり症

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 わたしはラーメンをあまり食べない。別にきらいというわけでもない。むしろすきなほうだ。世に訊くラーメン党のひとのように毎日食べたいとはおもわないけれど、たぶん週一くらいは余裕で通える。

 それでもわたしはラーメンをあまり食べない。

 

 それからわたしは潔癖、ではまるでない。

 どれくらい潔癖ではないかといえば、はっきりいってかなりのものだとおもう。潔癖の対義語ってあるのかな。ググっても出てこないな。オヘキ?いやいやまさか、汚癖でもないぞ、わたし。

 

 それはともかくとして、潔癖症のひとにはそれぞれこだわりがあるとおもうけれど、ほとんどのケースがわたしには該当しないのだから、わたしはたぶん潔癖症ではないということにしている。

  ひとの握ったおにぎりも食せるし、戸棚も本棚もぴっちり並んでなくてもいい。タオルも一週間は使い続けられるし、なんなら他人の使ったタオルでも余裕で顔を拭ける。休日に寝転がりながらフローリングの隅で髪の毛と埃が集合している様をみても、ああ掃除しなきゃなぁ、なんてふぬけた声で漏らすだけで、いつかいつかと埃をため込んでいたりもする。電車のつり革だって、たとえば舐めろといわれたら、そこまで躊躇することもなく舐められる。嫌だけど。お金をくれるなら余裕で舐められる。嫌だけど。

 

 ところが、「手」に関してだけは事情が違ってくる。わたしは手が汚れることをものすごい嫌うのだ。

 といっても、すべての汚れを嫌うような通常の潔癖症みたいなことではなくて、端的にいえば、油汚れのみ。もっとピンポイントでいうならば、食べ物で汚れることのみが嫌なのだ。

  潔癖症というのは精神的なことに依るらしいのだけれど、そういうルーツみたいなものを考えると、思い当たる節は大いにある。あるというか、間違いなくそれが原因だと確信していることがある。

 

 それは、幼少期、兄貴とファミコンをしていると、兄貴がいつもスナック菓子を食べていて、その手でゲームをするものだから、わたしの番が回ってくるときには、たいがいコントローラーが油でベタベタになっていたという思い出だ。

  幼少期の汚れを気にしない時代に、なぜ兄貴のその行為が嫌になったのかまでは記憶にはないのだけれど、ともかくわたしはそれ以来、スナック菓子は箸で食べるし、友人が家に来てスナック菓子を食するときにさえ、箸を渡してそれを強要している。

 

 さいきん森永のチョコフレークが発売中止になるというニュースで、若者がスマホをいじるのに手がベタベタするから売れなくなった、という理由があげられていて、ポテチなどを箸で食べる若者や、専用のトングみたいなものも発売されているという話題を知ったけれど、これに関してはわたしのほうが二十年以上も先取りしているぞと、なんとなく誇らしい気分にもなった。スマホは今だ持っていないけれど。

 

 それはともかくとして、わたしはハンバーガーも中身がものすごい多いビックマック的なやつともなると、ナイフとフォークで食べる。ケンタッキーフライドチキンも同じく。決して育ちが良いというわけでもない。カニなんて拷問にちかい。ナプキンがいくらあっても足りない。どれも味はすきなのだけれど。

 この間、かのじょが作ってくれたサンドイッチの中身が、巻かれたラップのなかで飛び出ていたので、ウエットティッシュを何枚も使い、途中、手を洗いに立ったりしてゆっくり食べていたら、たった二切れ食すのに一時間近くかかってしまった。

 

 そればかりか、自らが発する皮脂みたいなものや、手汗をかいてベタベタした状態にさえ、なんとなく我慢ができない。仕事していてもキーボードを叩く手がなんだか汚れているような気がしてきて、何度か手を洗いにいったりもする。哀しいかなわたしはたぶんひとよりも手汗が多いので、余計に苦労をしているような気もする。

 

 そういった事情からか、かなり前になんだか自分の手のひらが醤油くさい気がして、とても恥ずかしい気持ちになっていた時期がある。

 ひとに嗅いでもらうとそんな臭いはしないというのだけれど、どうにも自分の手汗から醤油のような臭いがしている気がするのだ。当時はそれなりに気にしていたので当然、ネットで検索したこともあるのだけれど、同じような悩みを持つひとは見つけられなかった。

 

 ・・と、話していていまハタと気がつき「手 醤油臭い」でググってみたら、微生物が分解しているにおい、という知恵袋のもっともらしい回答をみつけた。おそるべしちえぶくろ。

  なるほどたしかに海外のひとが空港などにつくと醤油のにおいがすると聞いたこともあるし、インドやネパールの空港では強烈なスパイスのにおいがするとも聞いた。

 あれは空港に常設されている食べ物屋から臭ってくるだけことだけかとおもっていたが、もしかしたら、その国に住むひとたち体臭に依ることもあるのかもしれない。

 あぶないあぶない、この症状すら、子どものころに兄貴によって植え付けられたトラウマのせいにしてしまうところだった。

 

 そういうわけでわたしは手に関する油汚れだけはやけに神経質なところがあり、これまた関係あるかどうかは判然としないのだけれど、手潔癖のほかにも、「手こじた」という悩みも持っている。

 手こじたというのは説明する必要がありそうだから、少しだけ補足させてもらうと、手のひらが熱に異常なほど弱いひとのことをいう。要するにわたしが勝手につくった造語なのだけれど、まえに何かのマンガでそのことを「ねこ手」といっていて、まあ同じ意味なのだが、猫が熱に弱い箇所は舌であり、手ではないので、猫手というのは違う気もする。

 けれど、そこをツッこむとしたら、手こじたの“てこ”なんて意味すら成してないし舌でもないぞと厳しい声も大いに聞こえてくるので深くは突かないけれど、ここはブログマスターとしての独断を行使させてもらい、手の皮膚が極めて熱に弱いひとのことは「手こじた」という造語を採用させてもらう。語感がすきなのだなんとなく。

 

 というか、「手」を大量にタイプしていたら、「手」がゲシュタルト崩壊してきたぞ、困ったな。手って「手」でいいんだっけ?毛じゃなかったっけ?この字“て”?毛?け?て?

 

 だいぶ脱線してしまったので話を戻すと、手こじたという弱点は厄介ではある。地味ながら。日常で食事の手伝いをしていても、温かい料理を運ぶことができない。だから出来上がったものを食卓に運ぶのはすべてかのじょに任せて、わたしは軽い洗い物やグラスや冷たいお茶やら箸やフォークを用意する役割に専念している。

 家庭内ではそれほど窮することもないけれど、お店や仕事などになると逃げられないのでなんとなく構えてしまう。バーベキューなんてしようものならば、わたしはかなり役立たずになる。火を付けるのも怖いのだ。

 

 それからさらに被せて地味に厄介なのが、わたしが“びっくり症 ”ぎみだということも付け加えなければならない。

 このびっくり症(病?)というのは「木こりびっくり病」といって、嘘みたいな名称だけれど、別にふざけているわけでもなくて本当にある病気だったりもする。たしか。

 はるか昔に、それなりに信憑性のあるようなお堅いような本で読んだので、記憶によれば確かな名称だったとおもう。あくまでわたしの記憶だよりなので、やっぱりそんな名称ではなかったかもしれない。まあいいや。先に進みます。

 

 この症状は、どうゆうわけかフランスの山村に住む木こりに多くみられる症例で、その名の通り、非常に激しくびっくりしてしまうという症状のことをいう、らしい。

 記憶によれば、この症状、驚かせたら1メートル以上も飛び上がったという症例もあるそうだ。ひどいひとでは尋常でないほどに狼狽して、我を忘れて混乱したり暴力的になったりもするらしいので、ともすれば笑い事では済まされない病気なのかもしれない。

  

 わたしはそこまでひどいというほどでもないので、あくまでびっくり病、ではなくて“症ぎみ”なわけだけれど、それでも不意の事態にはめっぽう弱く、困っているといえばそうだし、治るものなら治したいともおもっている。

 そんなわけで、わたしの日常生活において、このびっくり症という厄介な、それでいて要するに小心者といわれてしまえば片づいてしまう性格には、ほとほと困り果てていたりもする。

 

 みんなでお酒を飲みながら楽しく談笑しているときなどに、グラスが少し滑ったりしたりして、たとえ中身を溢すことなく持ち直したとしても、かなりのあいだ心臓がばくばくしてなんならしばらく指が震えていたりもする。

 なにかに集中しているときに不意に話しかけられたときだってそうだ。職場が港のそばなので、夕方に大きな汽笛が鳴ることがあり、そんなときには、顔は真面目にモニターに向きあい平静を装っているが内情は軽い混乱をしばらく引きずるし、突発的に脇汗もびっしょりかいたりもする。

 

 準備していれば大丈夫なことも、不意の出来事になるとすべからくぴっくりしてしまう。わたしはホラー映画がすきなのだけれど、お化け屋敷は不意に驚かす施設なので、ものすごい苦手だ。ホラー映画もただびっくりさせるだけ目的の演出もすきではない。不意に驚かせるだけの演出を生活においてすべて排除して過ごしていたい。だからサプライズパーティーもあまり喜ばしいものでもない。ちょっとまえに繁く流行していたフラッシュモブなんてものは、わたしにしてみれば罰ゲームでしかない。周りが急に踊りだしたとしたら、それこそホラーでしかない。

 

 球技が苦手なこともそこに起因しているのかもしれない。ボールが怖いのだ。早いし、たいがいが急に飛んでくる。なんなのだあのドッジボールなんていう競技は。なぜみんなあんなにも嬉々として楽しめる。バスケットボールなんてひどいものだ。あれは味方ですらフェイントをかけてくる。お互いの目線を合わせずにパスが飛んでくる。しかもボールがばかでかい。ようよう突き指もまぬがれぬ。そうだわたしが球技が苦手なのはびっくり症だからに他ならぬ。決して運動神経が悪いなんてことではなかったのだ。そうだそうだ。そうに違いない。

 

 またしても話が逸れ気味になってしまったけれど、とにかくそういうわけで、わたしは手潔癖で、手こじたで、びっくり症なので、この合わせ技が一度に襲ってくるような出来事にはとても用心しているのだ。

 

 とはいえ、三つの障壁が同時にそびえるようなことはほとんどない。日常生活には。ないことはないのでそれほど困ることもないのだけれど、ひとつだけ身近にあるのだ。

 つまりそれがラーメン屋さんなのだ。

 

 わたしはラーメン屋さんに入る。食券を買いカウンターに通される。その時点でわたしは戦々恐々としている。やがて、ラーメンが運ばれてくる。店主はカウンターテーブルではなく、テーブルと厨房との仕切りになっている一段高いところにラーメンを置く。わたしは、だよねと同意しつつも、こわごわとどんぶりを持つ。悠然としているふりをして内情はかなり慌てている。

 時として、おまちっ、だなんて威勢の良い声でどんぶりをダイレクトに渡してくる店主もいる。置いてください。一回下に置いてくれ、自分のタイミングで持っていくから。わたしはそんな焦りを隠しながらも、とにかく指先の皮膚のいちばん固い箇所にピンポイントにパワー、いやむしろ“念”を集めて、点の力で器を持つことになる。

 

 もし、こぼしてしまったとしたら大惨事になる。少しでも汁が跳ねようものなら、びっくり症のわたしは周囲からみれば大袈裟なほどに慌てふためくだろう。手こじたのわたしはどんぶりを落としてしまうかもしれない。たとえ内容物をぶちまけるような惨事を免れたとしても、手に汁が付いてしまうだろうし、そんなベタベタな手のひらでは気持ちよくラーメンを啜ることもできないだろう。

 

 そんなことを考えてしまうから、余計に緊張してしまう。ラーメン屋さんの店主が満面の笑みで渡してくれるどんぶりが、わたしには剛速球で放られたボールにみえてしまう。おもわず目をつぶりたくなる。突き指をしそうになる。わたしは息を止め、覚悟を決めて、それでもビクビクと人に馴れない小動物がエサをもらうようにして、どんぶりを受け取り、意を決して素早く引き寄せる。

 ああ、ラーメン食べたいな。