ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

嘘をつく職業、みがけば光る嘘

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 相変わらず又聞きの話になるのだけれど、成長時に前頭前野が発達していくと、子どもは嘘をつきはじめるらしい。

  はじめは嘘の整合性がとれないので、すぐにバレるような明らかな嘘になるらしく、身近な大人にとってはあまり好ましくない行動にうつるというのだ。

 

 その話では、「子どもに嘘をつかなくさせるのには、どうすればいいのか」という相談だったのだが、その相談を受けたひとの回答を一言でいえば、“そこまで心配することはない”、とのこと。

  ある一定の年齢に達した子どもは自然と嘘をつかなくなる、あるいはつじつまを合わせたりして、大人にもわかりにくい嘘をつくようになるので、目立った嘘は次第に少なくなくなってくるとのこと。

 

 ところが、一定の年齢に達してでも幼稚な嘘をつく子どもは、大人になってもずっと嘘をつく人格に育つらしい。

 そういえば、小、中学校ともに、誰にでもわかるようなしょうもない嘘をつくような同級生が学年に一人はいたような気がする。確かに当時はそれがわかると嫌な気持ちにもなったが、次第にそういった嘘も、その子のある種の“クセ”のようなものと捉えると、クラスのみんなもそれほど相手にしなくなっていったような記憶もある。

 

 クラスメイトたちがそれぞれ折り合いをつけて、ただその子の“嘘”に対してだけ、相手にしないというのならばさほど困ることもないかもしれない。けれど、パーソナリティ全体をそう評価して、無視やいじめの対象になってしまうとなれば、それは非常に困る“クセ”ではあろう。

 

 では、そうならないように育てるにはどうすればいいかという話になる。そもそもはじめの質問からして、嘘をつかなくさせるにはどうすればいいか、という質問なのだから、心配ないさ、では答えにすらなっていないようにも感じられる。

 それでもその回答者のひとは (心理学者だか脳科学者だか失念したが)、やっぱりそんなに心配することはないと、一貫している模様。

 

 嘘をつくことがそんなに悪いことなのでしょうか、と、そのひとは逆に問いかける。むしろ嘘をつかない人格なんているのでしょうか。嘘をつけないと人生はけっこう大変ですよ。そういう。だとしてもあまりにもわかりやすい嘘をつくというのはいかがなものか。確かにそうかもしれません。けれど、わたしはあまりそうはおもいません。そんな問答が続く。それから回答者のひとはこう言う。

 「そういうひとは嘘をつく職業に就けばいいのではないでしょうか。」

 

 嘘をつく職業。どういった職業なのだろうか。質問者はためらう。わたしも考える。なんだろう。キャバクラとかホストとか?いやいやまさか政治家とか弁護士なんていわないでしょうね。回答者は苦笑いをする。ふふふ、それもそうかもしれませんけど、もっと適職はあるのではないでしょうか、ほら、小説家とか漫画家とか。

 ああ、なるほどね、わたしは溜飲を下げる。

 

  その回答者の先生の、・・心理学者だか脳科学者だか失念したが(こういうところが駄目ね、)、素晴らしいところは、一貫して嘘をつくということもひとつの個性と認めて、決して必ずしもマイナス面の一辺倒として捉えないところだった。

 

 履歴書などの記入欄で「長所」と「短所」という項目がある。いつもそこに戸惑っていた。わたしはすきなことを見つけるとそれに集中してしまい、他のことにまるで手が付かなくなる性分がある。これは果たして短所なのか長所なのかと。

 すきなことに集中できるというのは長所であるかもしれないが、他のことをおろそかにしてしまうということは明らかに短所。けれど、双方が真逆のベクトルに別たれるものとして、わたしにはどうにも考えられないのだった。

 

 思うに、ひとに「短所」なんてものは、ないのではないだろうか。あるのは、どう長所を活かすか、ということだけで、活かせない部分を短所なんて呼ぶだけなのではないか。

 

 たぶんわたしの職業も、嘘をつくことで成り立っている部分も大いにあるのだとおもう。何かを作るということは、その工程のなかで沢山の嘘をつくということでもあるのかもしれない。

  だからといってわたしが幼少期から嘘をかさねて、嘘をつき続ける大人になったかどうかということは、判然としない。いまではそこまで幼稚な嘘なんてつくわけもないし、他人が傷つくような無駄な嘘を日常的にはき出しているつもりもない。保身や虚栄心を満たすためのハッタリも少ないほうだともおもう。

 それでも、まるで嘘をつかないというわけでは、もちろんない。誰だってたぶん無意識のうちに嘘はついているし、その整合性を合わせるための保身的な行動もとっていることだろう。

 

 あるいは、幼稚な嘘をつきたい衝動の代替えの行為として、こうして絵や文章を作成しているのかもしれないし、幼稚な嘘をそれら想像力に転嫁して、わたし自身のなかにある愚かな人格を吸収させているのかもしれない。

 社会を生き抜くために自分の気持ちに嘘をつくことも、“嘘”のうちに入るというのならば、わたしもけっこう嘘つきなのではないかともおもったりもする。

 

 ただ、一般的にはマイナスに捉えられがちな個性も、ひとつの個性として大切に扱えば、なんだって輝くものとなり得るのではないかという示唆は、やはり素晴らしい。

 

 引っ込み思案、小心者、弱虫、恐がり、ひがみ屋。みんなそれぞれ自分にとって様々なマイナス面があることだろう。変えたい性格もあることだろう。

 けれどその考え方を少しだけ反転させて、ヘタな自己啓発なんかで自分を変えようとはせずに、どうすればマイナスをマイナスのままで活かせるか、ということを考えてみてはどうだろう。

 あるいは、マイナス面だと思い込んでいる部分をすべて反転させて、プラス面だとおもってみるのはどうか。そうするだけで、自分が思い込んでいる劣等感がすべて反転するのだから、すごいことではないか。

 たとえばそのために、自分の心に少しだけ嘘をついてみるなんてことをしてみてはどうだろう。

 もしかしたら、その嘘だって、みがけば光り輝いていく、素晴らしい個性にさえなり得るのかも知れないのではないか。