ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

シンプルに、残暑お見舞い申し上げます。

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  残暑お見舞い申し上げます。

 今年はとびきり暑いので、シンプルにみなさんにお見舞い申し上げます。まだまだ到底、残暑とはいえぬほどに暑くて、ここは敢えて“暑中”とさえいいたいところなのですが、一応、ルールみたいなものもあるようなので。残暑でいかせてもらいます。

 

 暑いのでできるだけ涼しげなイラストを添えます。そんなものでみなさんの心が涼しくなるような道理はありませんが、気持ちだけでも受け取ってもらえれば何よりです。

 水分ないし塩分などをしっかり摂って、身体など壊さないよう、ご自愛ください。ミネラルも大切らしいです。麦茶が美味しいのはそのせいでしょうか。

 

 

 

 さて、わたしもここ一年あまり、この場所でインターネットの海を泳いできました。まだまだ浅瀬でチャプチャプ遊ぶ程度ですし、たぶんその領域を越えることはないとはおもいます。

 けれど、ひとつだけ、この時期には同じ事を繰り返そうと、はじめの段階で決めていたことがあります。

 

flightsloth.hatenablog.com

 戦争はよくない。

 簡単に、単純に、そういえるような世の中であることを願います。

 

 難しい問題、悲しい話題、暗い過去。目をそらし、耳をふさぎ、鼻をつまみたくもなります。頭のチャンネルを変えたくなることもあります。

 それでも、世界中でそういうことが実際にあったのは事実なのです。そして今でもそれが行われていることも事実なのです。だから、わたしはこの時期だけはこうしていちどは話題にあげていきたいとおもいます。

 

 世界はいつの間に、ものすごく開けました。ネットの海は世界中に続いていて、その気になればこの国の裏側ひとたちの生活さえも、簡単にのぞけたりもします。ここ数十年あまりのあいだで、とても便利な世の中になりました。

 けれどいっぽうで、本当に世界は開けているのだろうか?そう疑問に感じることが時々あります。

 

 世界の動きはとても速くて、ひとつのことを吸収しようとすると、飲み込む前にその話題は終わってしまいます。

 たとえばウェブは、ほとんどが文字でできているので、うっかり読んでしまえば、頭に入ってきてしまう。文字というのは書かれた時点で読み手に口を挟むスキをみせてはくれず、一方的な独白です。

 だからこそよっぽど読み手も書き手も、お互いが気をつけなければいけないはずの媒体なのに、どうも世の中はそうでもないらしいように感じます。

 

 もちろん自分だけを除外してものをいっているつもりでもないですが、ただ悪意をばらまいているようにしかみえないものも散見します。これほど膨大な情報のなかで、とても狭い、自分の信じたい情報だけを拾い集めて、揚げ足取りの証拠としてだけ、取り出しておくような、そんな風潮を感じます。

 匿名同士、顔もわからず、お互いがまるっきり遠いところから見当もつけずに悪意の矢を放っているようにもおもえる場面もよくあります。

 まるでウロボロスの蛇の如く、身体をひと繋ぎにして、怒りを持って怒りを注ぎ、噛み合って、噛みつきあって、お互い痛い苦しいと騒いでいるようにも感じます。

 

 そうかと思えば、みんな同じ方向を向いて、たとえば平和について話し合っているのに、どういうわけか、どこかで真っ二つに分かれなくては意見すらいえないような風潮も感じます。左右のどちらかの側に回らないと、卑怯者といわれがちになるようにも感じます。

 だからこそ、中立・中庸を保とう、できるだけすべてを許そうと努めるのですが、どうやら、それさえも見るひとによっては、卑怯だとか甘ったれだとかぶりっ子だとか見えてしまうようで、如何ともしがたい気持ちもあります。

 

 争うということは、憎み合うということなのでしょう。憎み合うということは、いっぽうの考え方がいっぽうでは間違っていると思うからでしょう。

 そしてそれは、たぶん誰しもが何かを守りたいという気持ちの一心で、時として攻撃的になっていくのでしょう。

 そしてそれはたぶん正しいのでしょう。お互いに。

 

 わたしとしては、そんなことならば国や民族や思想なんてものは無くしてしまえばいい、捨ててしまえばいいと、時々感じることもあります。

 けれどいっぽうでは、家族やふるさとを想う強い気持ちを消すことが正しいことだとは、やはりおもえません。

 自分の土地、自分の庭に他人が土足で入り込むことは、やはり面白いことではありません。

 

 だからそういうときには想像力を働かせることにしています。自分の領域に入り込んだ他人が何を考え、どういう事情があるのかを想像してみます。

 お腹がすいているのかもしれないし、寄る辺もないのかもしれない。ただの間違いかもしれないし、手違いかもしれない。

 あるいは、本当に奪い取ろうとしているだけなのかもしれない。けれど、だとしても、何らかののっぴきならない理由というものがあるには違いない。できるだけそういう想像をしてみようと努めたりもします。

 

 そうして、どうにかして許そうと努めます。何かしらの譲歩を探そうと努めます。もちろんすべてが上手くいくわけでもありません。どこを向いてもトラブルの種は消えないかもしれません。

 それから、そういう愛に似た感情こそが、むしろ争いを生み出すケースさえもあることも、承知しているつもりでもいます。

 

 それでもわたしは笑っていこうとはおもいます。必死になって、笑って許そうとはおもいます。姿勢だけでも。たとえ体裁だけでもです。

 

 戦争はよくない。

 ふたたび簡単に言いましょう。理由もなく。理論もなく。挨拶のように気軽に。ただ、そう言いましょう。シンプルに。

 それは難しい問題だ。理想論だ。ファンタジーだ。無理だ。そうかもしれません。だからこそ言い続けましょう。母親が子どもを諭すように。昔話を語るように。歌をうたうように。音楽を奏でるように。絵を描くように。空気を吸うように。浸透させていきましょう。

 

 わたしは想像します。戦地に派兵された兵隊が、ひとを撃ち殺すことを放棄して、みんなで被災地に向かい、困っているひとたちを助ける未来を。

 わたしは想像します。ミサイルを解体して、毒を吐くエネルギーを放棄して、すこし不便になってでも、不自然でない生活をみんなが過ごせる暮らしというものを。

 わたしは想像します。隔てた壁を破壊して、そこには花壇を作り色とりどりの花を植えて、肌の違うひとたちが同じ屋根の下で暮らす生活を。

 争いごとはすべからく話し合いで解決できる未来を。戦争さえも血を流さずに、スポーツやゲームで解決する未来を。兵隊という言葉自体が変移して、敵を撃ち殺す集団から、人を助ける集団という意味になる未来を。かつて人が人を殺していたという愚かな歴史を反省し忘れないために、その愚かさを、子どもたちにしっかりと教える未来を。

 

 それは難しい問題だ。理想論だ。ファンタジーだ。無理だ。詭弁だ。くだらない。そういうひともいることでしょう。わかります。わたしだってこんなことをいうのは恥ずかしいし、少しばかばかしいともおもいます。

 

 けれど、本当に難しいことなのだろうか?そうおもったりもします。

 兵隊がたとえ上官の命令でもひとを撃ち殺すことを拒否することが難しい?ミサイルのボタンを押さないことが難しい?話し合うだけが難しい?ともに手を取ることが?

 難しいのだろうか?本当に?

 

 そう、おもったりもします。

 なぜ難しくないのかと問われれば、わたしは即答でこう言いたい。

 戦争はよくないから。と。

 無理を承知して、それぞれの事情を察して、憎しみや悲しみを受け止めてでも、わたしはこう言いたい。シンプルに。お隣さんに残暑見舞いを伝えるように。お手軽に。

 だって、戦争はよくないでしょう、と言いたい。簡単に。単純に。なんの脈略もなく。唐突に。

 わたしには、どうしてもそれが間違っていることとは、おもえはしないのです。

 

  それに、もしかしたら、こんな僻地にでも、そういうことを言い続けるひとがいることで、そういうことを一年に一度でも発信し続けることで、広い広いネットワークの海に思考は混じり込み、浸透して、その粒子みたいなものが、そういうまるっきりファンタジーな理想論が、じんわり現実味を帯びてくるような、それこそまるっきりファンタジーで素敵な現象が、もしかしたら起こらないとも、言い切れやしないじゃないか。

 わたしはそうおもうのです。

 

  戦争で亡くなったあらゆる人たちの冥福を祈ります。

 

 それから、ここの場所に訪れてくれるすべてのひとたちに、あらためて、残暑お見舞い申し上げます。

 

 

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 今週のお題「わたしのインターネット歴」