ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

泳ぐように暮らす

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 ここところまったくやる気みたいのが失せていて、なんだか喉の奥が狭まっているような気がしていたら、案の定、体調を崩していた。

 体調のせいでやる気が無くなったのか、五月の陽気のせいでそうなったのかは判然としないけれど、二、三日夜更かしせずにしっかりと眠ったら身体のほうは治ったが、やる気みたいなものはどうやら戻っては来ないのようなので、やっぱり五月病なのだろう。なんて、そんな気概をとりとめもなく綴ればこんなにも文脈に現れるものかとブツブツ

 

 ともかくそんな気分なので、いっそのこと底をつくまで体たらくな姿勢でいようかなと。いつも以上にゲームをやったりHuluで映画を観たり、お酒を呑んだりお酒を呑んだりして、頭の中をなるべく散らかさないように過ごしていたら、余計に散らかってしまったような気分。

 というわけで、いまは考えてタイプできるほどは、頭が働きそうもないので、散らかるに任せて指を動かすだけ動かしてみる。

 ごめんください。ブログとしてリリースしておいてなんですが、読まなくてもいいので書かせてください。という、毎度お馴染みの姿勢でね。

 

♯1

 週末、目当ての店がいっぱいだったので、気軽なバルみたいな店のテラス席で呑んでいた。そこは若者が沢山通る繁華街だったので、はしゃぐ彼ら彼女らを風景として、時にその頃の自分たちに重ねたり、時に道行くひとびとの勝手な批評をしたりしていた。

 近くに会場があるようで、テラス席の目の前で結婚式の二次会帰りのひとたちが沢山たむろしていた。ボウリングだとかカラオケいくだとか、これからどうするだとかをキャンキャン話していた。

 男子と女子の微妙な距離感と、お互いを意識するような、いやいや意識なんてしてませんよと余計に誇示するふうな、気のない素振りで、わざとらしい大仰な笑い声が飛び交っていた。若いなぁといいながらわたしたちは一本目の白ワインを注文した。

 

♯2

 かのじょが専門学校の非常勤講師をしていて、少々混んでいる時間帯に電車に乗る機会があり、電車通勤の話題になった。満員電車がいかに狂気じみているかという話題で盛り上がった。おかしな行動をとるひとや、かなり臭うひとのクレームを言い合ったりしていた。鬼の形相でイス取りゲームに参加するひとたちの滑稽さと大変さを、わりとゆとりある通勤時間帯で通えている身のわたしたちは、少々斜め上目線から、批評していた。

 

♯3

 あまり重たい会話を避けてライトな話題で場を繋げていると、おおむね悪口みたいになってしまうことがあるように感じた。外に出さずに内輪だけで盛り上がっているぶんにはガス抜きにもなるので、まあ仕方ないのかなともおもった。

 

♯4

 そのすこし前にタワーマンションのロビー前で気取ったポーズで写真を撮っている男女がいた。なぜそこをロケーションとしたのか推測したりして、眺めていた。男の子は膝を立てて伏し目がちに座っている姿がみえた。女の子は這いつくばるようにして必死でアングルを決めていた。インスタ映えかな。そうだろうね。

 テラス席で呑んでいると、撮影終わったのねと友人がいうので振り向くと、その男女が通りかかり、女の子がものすごく短いショートパンツを履いていて、太ももからお尻のはじまりの部分が見えていた。

 わたしはびっくりしてそのことをいうと、友人もわたしのかのじょも、ああ、いるよいるいるそういうコ、とケロリという。あまりに味気ないふたりのリアクションにいささか面食らったが、よくよく考えてみたら、まぁいるわなとおもった。「たしかに若い頃はケツ見えてるコいたなぁ、」と二本目のワインを注文した。

 

♯5

 別の日に、近所の行きつけの飲み屋でへべれけになって、バンド組もうかという夢物語に花を咲かせた。いつもの店員さんがバイオリンを弾けるという流れからの話題だった。

 ビジュアル重視のバンドにしようという話になった。店員さんはフランス革命軍の衣装を着て、眼帯をしてバイオリンを弾くことになった。わたしは胸まで空けた開襟シャツをきて“付け胸毛”をボーボーに生やして、もの凄く高い位置でガットギターを弾くことになり、かのじょは白塗りのおかっぱヘアーでオカリナを吹くことになった。

 ボーカルは顔はまずいがしゃがれ声に味のあるやつを探そうということになり、あとは何もしないとびきりカワイイ女の子をパフォーマーとして端に立たせようという話になった。ドラムを探すのが一番大変だね、ドラムはムキムキの男じゃなきゃならないものね、ゾルディック家のキルアのお父さん(*)みたいなやつ、どこかにいないかな、なんて話していた。

(*後ろにいる真ん中のひとがお父さん)

 

♯6

 なんにしても電車通勤は本が読めるからいいなぁ、とおもう。わたしも片道1時間くらいかけて電車通勤をしていた時期があった。往復で二時間。あのころが現役読書家としてのピークだったとおもう。今は半分引退してしまったように感じる。

 

♯7

 かのじょは日常生活を送っていると、なんの脈略もなく、突然降ってくる言葉があるらしい。その時々の流行りみたいなものもあるらしいのだが現在は「あばたもえくぼ」とのこと。

 テラス席でそんな話題をこれまたなんの脈絡もなく話し始めたかのじょにたいして、友人が、おれもあるよ「ミライヨソウズ」とぼそり。急に?急に。ドリカム関係ある?関係ない。自分の行動や思考とは関係なく、急に「ミライヨソウズ」が降ってくるらしい。電光掲示板のように文字が急に頭の中でカリカリと回転しはじめるらしい。

 考えてみるとわたしにも「泳ぐように暮らす」という言葉が思い当たったが、まあそれは降ってくるというのとは少々違うような気もするし、言葉自体が気取っているのでその場では発言せずに黙っていた。

 

♯8

 なんの話だそれ?と訊くと、まえに電車の車内で、乳幼児を連れたファミリーがやたらと多くて、車中になにやら生卵のような変なにおいが漂っていた出来事を話し出す。どこかの子どもがうんちしちゃったのかもね、小声でわたしがいうと、その時のかのじょはニンマリと笑ったままただ黙っていた。

 だが実はそこでも「あばたもえくぼ」が降ってきたらしい。ああ、なるほどね。けどそれは降ってきたわけでもないでしょ。まあね遠からずだよね。言い得て妙かもね。ちっとも匂わないんだろうね、父ちゃん母ちゃんは。

 

♯9

  個人的に川端康成の最高傑作は「山の音」だとおもっている。太宰治なら「津軽」。かなり前にかのじょにそれを勧めたのだけれど、「津軽」のほうはあまり楽しめなかった模様。それでなのか「山の音」に手を伸ばすことはなかったのだけれど、最近読み始めていたようで、もうすぐに読み終わるとのこと。こちらはかなり気に入ってもらえた様子。もうすぐクライマックスなのよぉ。ヤキモキした感じでいう。菊子が不憫で。しみじみいう。クライマックス。そんな山場みたいなところあったかな、川端康成に。「伊豆の踊子」でいえば半裸で主人公に手をふる少女のあたりかしら。

山の音 (新潮文庫)

山の音 (新潮文庫)

 

 

♯10 

 川端といえば「雪国」の有名な冒頭、『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。 』の箇所で、“国境”のルビを筆者がふっていなかったらしく、“くにざかい”なのか“こっきょう”なのか、どちらだろうという謎があるらしい。日本だし、「くにざかい」なのだろうね、とわたしがいうと、と・こ・ろ・が、とかのじょ。

 川端先生のご子息談によると、なんでも川端先生は文章にかなりのこだわりをもっていたようで、冒頭の文章で濁点を使うことは考えにくいらしい。にぁるほどねー。そんなものかしら。確かにいわれてみれば濁点て、気にしたほうが美しい文章になるのかもしれないね。そういえば大江健三郎先生も、「〜が、」で、“が”のあとに読点を打って文章を繋げるのは気をつけたほうがいいよ、といってたような。奥が、深いことで。

 

♯11

 なんにしても自己愛に溢れていることは良いように感じる。たぶん最悪の状況になっても自死だけは免れるのではないか。わたしもかなり自分のことがすきでなんの根拠もなく自信に満ちているが、膝を抱えて伏し目がちなポーズで写真を撮られるのは、さすがに恥ずかしいとおもう。

  

♯12

  実をいえば「泳ぐように暮らす」という言葉は、まえの奥さんの実家にあったポストカードに書かれていた言葉だった。

 そのカードがテーブルにあったのか冷蔵庫に貼られていたのかは思い出せないけれど、というかこんな言葉なんて思い出すほどのことでもなかったのだけれど、何年か前に急に降ってきたのだ。思い出すことなんて他にいくらでもあるはずなのに、なぜこの言葉なのだろうか。それは考えないようにしたい。

 ただ、いまはなんとなくだがその言葉の意味がわかるような気もする。そんなに優雅でもないけれど、ふわりと気楽な生活でもないけれど。

 せめて、くれぐれもお酒には溺れないようにして、不格好でも何でもいいので、気持ちだけはそうありたいとは日々おもったりもする。泳ぐように暮らせるよ。

 

(たぶん♯1〜12を組み替えれば、もうすこしマシな文章になるのではないだろうかと。やらないけれど。)