ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

たまには短く呟きたくもあります。

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 困ってます。クマってます。こんなくだらないダジャレをいってしまうくらいヤキもまわってます。実はそこまでは困ってないです。(なんなんだ。)

 

 まったくもって完ぺきな五月病にかかってしまったようだ。なにもかもやる気がおきない*1。その証拠に上文の一行を綴るのにもなんどもタイプにしくじってしまう始末。

*1(まったこもて巻べきなぎょがつにゅごがうびょこが五月病・・・)

 

 あるいは燃え尽き症候群。今年は三月あたりからことのほか忙しく、遊びの予定が詰まっているGWまでになんとか間に合わそうと苦心し、身の丈に合わないブーストをかけてしまったからかもしれない。

 

 それから、多忙な日々から反転して、ぴたりと暇になったことにも起因するのかもしれない*2。そしてその反面、酷使した体と頭の揺り返しダメージは消えることなく残ったまま、躯の何処かで吸収し、くすぶりせしめている。

*2(それかたのの多忙な秘技かあラ反転して、どこ於福風とばかりにぴかたり・・・)

 

 慢性的な肩コリはもはやどこが凝っているのかさえもわからなくなっている。肩甲骨あたりがいつもなんとなく痺れているし、首から肩周りはつねに筋肉痛のようなハリと痛みがある。無意識に右腕を揉むクセは果たして何年前からなのだろうか。

 

 つまりこうしていまげんgざあいくりかえす望外なああたしふあたいぷみうもびゆびさkがひえへいした・・・*3

*3(つまりこうして現在進行形でくり返す膨大なタイプミスも指先が疲弊してこわばっているからかもしれない。)

 

 指先までくたびれているから、なんとなく文字を打つことも絵を描くことも億劫に感じる。書きたい気持ちは十二分にあるのだが、いよいよ躯がついてこれないようだ。

 

 併せて届いた、関連業者のひとのリストラの知らせ。いくら忙しかろうと年間でなめしたら大した利益も望めない先細りの業界に身を置くわたしたち。いくら理不尽を謂われようともはいそうですかと平服するしか術もなく、他の手段も思い浮かばず、明日は我が身と震えるばかり。

 

 はたらけど はたらけどなお わがくらし楽にならざり ぢっと手を見る

 

 ここへきてじわじわ効いてくる石川啄木。“ぢっと手を見る”のくだりがわたしのもっともやわらかい箇所に突き刺さる。たぶん啄木先生がいう“楽に”は、「楽して暮らしたい」という意味ではない。これはきっと、やりたいことが仕事に邪魔されてままならないことを詠った句なのだ。
 

 それはそうと、うちの会社のおじさんはしょっちゅう咳払いをする。ひどいときには一分間に四、五回、いや六回はしている(ようにおもえる)。そんなにも痰が絡むのだろうかと単純な疑問。

 くさめだって、されこうべごと口から飛び出すのではないかと思わせしめるほどに盛大で、なにやらブツブツと独り言も多い。あくびだってやかましい。典型的、教科どおりの“存在がやかましいおじさん”だ。

 もちろん年齢によるものだろうけれど、わたしよりも数倍は広く大きく、“加齢”の厄災がふんだんに降りかかっているようにみえる。

 ひとりのときでもやはりうるさいのだろうか。もしかしたらわたしに何らかのサインを送っているのではなかろうか。時々そうおもう。おもうだけで当然、訊ねはしない。

 だが間違いなく、おじさんはひとりでも忙しなく咳払いをしていることだろう。

 咳をしても一人。

 なんだか物悲しいですね。尾崎なにがし。

 

 文句みたいに聞こえるだろうけれど、そうでもない。同じく加齢を重ねていくわたしとしては大いに参考にはなる。たしかに主に反面教師としての教えにはなってしまうけれど、その果てしないまでの鈍感力にはむしろ感服するところもあるし、些細なことを気にしない、というか天然で気づかない性格にはもはやわたしには決定的に欠けているシンプルさと、併せ持ったダイナミックさみたいなものに、なんとなく強い生命力すらも感じ取れる。まあ女性ウケは格段に落ちるのでやはり参考にはならないのだけれど。

 

 とりたててこんなことをいいたかったわけでもないので、がらりと話題を変えるが、わたしは数ヶ月前からなんとなくこのブログの在り方に、迷子になっている。ブログというものは多くのひとが三ヶ月あまりで止めてしまうとどこかで聞いた。わたしの場合は半年あまり過ぎているので、はじめの難所はいつの間にやらクリアできていたのだとおもう。文字を書くのも読むのもすきなのでたぶんこれからもこういうペースであれば続けられるともおもう。おもうことはおもうが、いろいろと気になるアラというかジレンマというか、とにかくそのような箇所がぽつぽつ出てきてはいる。

 

 まずひとつめには、文章が長くなってしまうところ。だがこれはもうあきらめている。そういうひとなのだ、わたし。もう開き直るしかない。 

 それからふたつめとして、その長くなった文章と同じテーマなりで絵を描くことを、なんとなく窮屈に感じるときがある。書きたい文章であっても描きたい絵ではなかったりする。もっと動物とか描きたかったりするのだが如何せんそういう話題ばかりにはならない。だから今回もくだらないダジャレで強引にねじ込んでシロクマを話題に取り入れてしまう始末(単純にシロクマが描きたかった)。

 なんなら本当はクリーチャーとか化け物みたいなやつらをいつでも描いていたいが、当然、頭のなかで書きたいことは、そんな話題にはならない。

 

 やりたいのならただやればいいのだろうけれど、生来ずぼらなわたしはある程度の制約というかテーマに沿っていないと、どんどんあらぬ方向に流れていってしまうので、なにかしらの自分ルールが必要なんだとおもう。今回みたいな、もうすこし脱力した短めの文章もたまにはリリースしようかともおもうが、結局は現状維持かなと。

 

 そんなことを考えていながら、前回書いた自然だの生命だののことを考えていたら、調度こんなやりとりがネット上でなされていたことを知った。

 

togetter.com

 

 このtogetterがなんなのかもわからないし、なんとなくみんなして攻撃的な言葉でやりとりされているのが少し恐ろしいのだけれど、こうして話し合えるのは羨ましいとおもった。結局ブログというのは一方通行に近いものなので、不毛でもなんでもダイレクトに会話を楽しめるツールも良いものだなとおもった。

 

 いざなにかを話し出すと止まらなくなってしまうほどにおしゃべりな性格なので、無限の繰り言を数千文字書けるこのブログは、わたしのスタイルには合ってるとはおもう。けれどたまにはウチの会社のおじさんのようにとりとめのないことを呟いてもみたくもなる。

 

 というわけでとりあえずTwitterをアカウントだけ、取得してみました。

 相変わらずスマホをもっていないのであまり意味はないのだろうけれど。 

 フォローだけは片っ端からしていこうとおもう。

 なにをどうするかまったくわからないけれど。

 こわくてひとことも呟けないけれど。

 とりあえず、暇なときにでも、なにかひとつ呟いてみようか。

 咳をしてもひとり。なんて。