ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

わたしたちの転機

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 ぐずついた陽気が続きますね。こちらはようやく晴れ間がみえました。季節はずれの雪も降っただとか。急激な温度差で風邪をひいたかたもいるようで、みなさんも身体を壊さないように過ごしてください。

 ・・おっとこっちの天気の話ではないですが。

 

***

 

  転機。といわれると、わたしの場合どうにもマイナスなイメージがつきまとう。大きな転機というものを、ぱっと思い出しただけでもなんとなく重苦しい気分になる。ろくな思い出もない。転がるように生きてはきたけれど、それがなにかの機会となったのかといわれれば、それも怪しい。

 

 おもえば様々な仕事を囓ってきたけれど、どこれもこれも胸を張れるような経緯でもないし、どれもこれも爽やかなエピソードは見当たらない。

 大体にしろ、若い頃の仕事探しの最も有効的な方法が、近所のゲームセンターに通うというのだから、そこからいけない。

 

  ゲームセンターという所もずいぶん様変わりした。ぴかぴかで明るく巨大になった。店構えもパチンコ屋に見まがえるほどにど派手になった。

 わたしのころのゲーセンといえば、小さく細かく街に点在していて、なかは薄暗くヤニにまみれた空調の、よろしくない臭いで充満していた。 

 客層もいまとは違い、決して健全とは言い難く、いわゆる落伍者のような若者の、唯一ともいえるいわば社交場で、陰気だが煩わしいことはなにひとついわない店主が奥のほうで安いパイプイスなぞに座っていて、狭い部屋で猥雑な電子音とそれぞれの筐体から漏れる光に、つまらなそうな顔がぼんやりと照らされている。そんなイメージ。

 

 わたしは米軍基地のそばで育ったので、街のゲーセンはなかなかの無国籍な雰囲気がただよっていた。定職にも就かずいつも大きなリュックサックを背負って街をふらついていた頃に、いつも最後にたどり着くのはそのゲーセンだった。

 

 そこには必ずといっていいほどにAというわたしよりも三つほど年上の男がいた。彼はアフリカ系米国人のハーフでとても調子の良いやつだった。

 「なんか仕事ある?」まえのアルバイトをやめ、蓄えが底をつきそうになっていたわたしはたいした期待もせずにAに声をかけた。

 するとAは、あるよ、と即答した。なに?と訊くと「んー、わかんないけど、あるよ。」とケロリといった。彼は気の良いやつだけれど決して頼りになるタイプでもなかった。実をいえば何度も頼りにしてそれなりに応えてくれるのだが、いつまでたってもどうにも頼りがいに欠けるようなやつだった。
 だからその時のわたしも、あまり食いつこうとはせず、話半分にして世間話をしていた。わたしが筐体に五十円硬貨を投入すると彼はどこかへいってしまった。

 

 どれくらいたったのかは判然としないが、うつむく頭頂部に声を掛けられた。「おまえがなまケモノってやつ?」顔を上げると背の高い浅黒い顔のアフロヘアーが立っていた。わたしが返事をすると、おれはダンサーのMといった。わざわざ名前のまえに“ダンサーの”を付けた。当時そういうやつは珍しくなかった。まだ何者でもない自分だからこそ、せめてどういうところにカテゴライズされているのかを確認したかったのだ。

 

 彼は自分が働く運送屋に来いといってくれた。はじめから敬語は抜きで、いかにもAの知り合いという感じの軽そうなやつだった。おかげでわたしも彼とはすぐに打ち解けることができた。「髪の毛みどりでも雇ってくれるかな?」当時のわたしは髪を緑色に染めていた。Mは自分の頭を指さした。「これが平気なんだからダイジョブでしょ」。

 

 さっそく翌日に彼はその運送屋に連れていってくれた。所長はわたしの顔を一切みずに、明日からお願いな、とだけいった。それで面接は終わりだった。一応持ってきた履歴書を渡すと、所長は、おお、と呻いてニヤリと笑い、「おまえエライやつだな。」と、なぜか褒められた。

 

 わたしはそこでもすぐに溶け込めた。先輩方にもたいそうかわいがってもらえた。重機の扱いも多少かじっていたのでいささか重宝がられた。だからわたしは陽気でいられたし、一生懸命に働けた。誰にもなにも言われはしなかったが、髪の色ももとに戻した。良くしてくれるひとたちに迷惑をかけたくなかったからだ。

 先輩方はなぜだかわたしにとても目をかけてくれた。「保険だけはしっかり払えよ」声を震わせて叱ってくれるひともいた。わたしはそこですべてを教わった。そのことをずっと後になって気が付いた。社会人としての振るまいや大人としての自覚。卑怯者にならないための覚悟。いまでも世界一の職場だったとおもっている。

 

  いっぽうMはしばらくすると会社をやめてしまった。誰にでもフラットに話しかけるやつだったが、そんな彼の振る舞いを面白くおもわないひともいたのだ。少々居心地が悪くなったことを悟った彼は、孤立するまえに自分から辞めてしまった。

 誰が悪いという話でもない。教訓めいたことがいいたいわけでもない。ただわたしはMよりも少しだけ日和るのがうまくて。Mはわたしよりも率直なだけだったのだとおもう。

 

 そんな職場もわたしは数年で辞めてしまった。夏の、とびきり暑い日だった。急にばかばかしくなってしまったのだ。暑いという以外に、なんの理由も不満もなかった。暑いので辞めます、入社時とは違う所長にそういうと、少しだけ顔を上げ、そうか、とだけいい、ふたたび自分の業務に戻っていった。それだけだった。

 そうしてわたしはその場所から消えた。それから同僚たちにはろくに連絡も取らなかった。そのころのわたしは“居なくなったら居なくなる”やつだった。なんだか裏切ったような気がして、裏切ったくせに連絡を取るのは未練がましいようでどうにも気がひけたのだ。

 

 それからしばらくはいつものように蓄えを食いつぶして過ごした。その頃、頻繁に交流を重ねているHという友人がいた。彼は大学を卒業してから就職もせずに、しょっちゅうわたしの部屋にたむろしていた。

 毎朝目が覚めるとHの丸い背中があった。彼はわたしの部屋の鍵を持っていた。朝早くからわたしの部屋へと訪れ、どっしりと畳部屋に座り込み、襖を外した押し入れに埋め込まれたテレビモニターに向かって、ひたすらにサッカーゲームをしているのだった。

 

 ずいぶん古くなったそのゲーム機と古いナンバリングのサッカーゲーム。Hはなぜかそのタイトルにハマっていた。彼はそのゲームで架空のクラブチームを持っていた。架空のドイツのチームだった。

 わたしが起き上がりおもむろにコントローラーを握ると、彼はチーム育成を止めて、エキシビジョンマッチにカーソルをあわせる。わたしはイングランド代表を選び、彼はやはりドイツ代表を選んだ。

 そんな毎日が続いた。わたしはせめてHのチーム育成が落ち着くまで(飽きるまで)、なんとか働かずにいようと、ぼんやりと考えていた。

 

 だが働かざる者食うべからず、まして遊んで暮らせるとおもうなかれ、やがてお金はつきるもの。当時家賃四万円、スナックの二階に住んでいたわたしは、その月の家賃を払い終わると残金が七万円しかないことに気がついた。

 わたしはHの背中にそのことを伝えたが、相変わらず彼はテレビモニターから目を離さずにいた。なにもいわなかった。わたしも彼の試合を眺めていた。

 「ざらっと計算すると。」

 試合が終わりスコアを確認しながらHはようやく口を開いた。

 「プレステ2とこれの新しいやつ買ったら、あと3万円、残るね。」といった。それから彼は振り向いて、「3万あれば一ヶ月は遊べるでしょ?」と付け加えた。

 「おまえってやつは」わたしはHの名前を呼んだ。

 「なんて頭のいいやつなんだ。」

 

 それからわたしたちは直ちに電気屋へと走った。新型ゲーム機に最新ナンバリングのサッカーゲームをセットして、わたしたちは一日中フィールドを走り回った。

 

 だがその熱狂はなぜだかそう長くは続かなかった。Hは同じようにクラブチームを作ろうとはせず、そればかりかウチに来ることも次第に減っていった。

 

 わたしたちは大人になっていた。いつの間にやら。

 どこかで憩い、どかりと座り、いつも落ち着ける場所を探していた。そしてそこが本当の場所ではないことを自覚していた。

 わたしたちは街をふらつき。路上に座り。部屋に籠もり。バスを何度も見送っていた。いつか自分たちがそれぞれ落ち着いて、移動できる方法を探していた。

 

 しばらく後になって慌てた様子でHがやってきた。手にはクリアファイルのようなものを持っていた。「おれアメリカいって大学入り直すことにしたよ」彼はそう告げた。ファイルには大学の資料がはいっていた。

 やりたいことを見つけたこと。それには米国に行くことが近道だということ。それからうまくいったら日本に戻るつもりはないということを、彼はわたしに告げた。

 矢継ぎ早にそう告げる彼は少しだけ興奮していた。希望に満ちていた。たぶんわたしは寂しそうな顔をしていた。彼がそれをみとめると、たぶん同じような顔を返した。

 

 それからわたしはゲーム機の電源をつけた。エキシビジョンマッチを選択し、わたしは日本代表を選んだ。

 彼は、少し考えてから、アメリカ代表を選んだ。

  

 ひとたびバスが走り出せば、そこは自分だけの進む道だ。もう戻ることはないしその必要もない。先に行けば誰かが乗り込んでくるかも知れない。なにかが重なるかもしれないし、再び巡り会うかもしれない。

 けれどそこはもといた場所ではない。わたしたちは常に進んでいくのだ。そうしてそこで、それぞれがそれぞれの落ち着ける場所をその都度見つけて、くたびれたら何度でも座り込めばいい。

 

 あのゲームセンターはもうない。Aはいまでも調子よく過ごしているらしい。Mの行方はわからない。最後に会ったときにはもうアフロヘアーではなかった。Hはあのときの宣言通り、この国に戻ることはなかった。わたしも故郷を出てあの街にはもういない。たぶん戻る理由もないだろう。

 

 それからわたしはどういうわけか日がな一日パソコンに向き合って仕事をしたり、あるいは仕事をしているふりをして、こうして過去をタイプしている。この仕事が天職だとかそういう大した志はないが、自分に合ってるとはおもう。

  どこに転機があったのかはいまでもわからない。Hにとってはウチでサッカーゲームに興じたことがそうだったのかもしれないし、わたしにとっては夏の暑さがそうだったのかもしれない。そんなものは後付でいくらでも都合のいいようにつくりあげればいいとおもう。

 たしかに若い頃は愚かで、非効率で、無配慮で無意味なことばかりだ。だが遊びながら、ボンヤリしながらでしかわからないことがあるんだ。たしかにそれはあるんだ。こんなわたしでも、それだけはわかる。

 

 

 

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(このお題、よくみたらどうやら女性向けのコンテストようだ。ギフト券につられて途中までタイプしてしまったのでどうせならと最後まで書かせてもらった。間違いなく選考に叶うような爽やかな内容ではないので。怒られはしないだろう。)