ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

プロ妄想家。中二病2.0

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 (スタンド名:スリー・スイート・キャッツ )

 

 ひとの頭の中をのぞいてみたい。ひとが何を考えているのかではなくて、なにを妄想、あるいは空想をしているのかを知りたい。わたしは日々かなりの空想をしていると思っている。自称プロ妄想家。だがこれは永遠に自称の域を超えない。ひとのあたまの中をのぞけない限りは。

 

 ひとはそれぞれなにかしらの空想をしているとおもっている。それを言葉や絵に描き出さないだけで、だれもがみんな、自分の人格とはかけ離れたすごい壮大なストーリーが頭の中で展開していると、おもっている。

 ともすれば世に出ている素晴らしい物語や作品群は、単にそれを表現できるひとたちが少しだけその片鱗をみせただけで、実はけっこうそれぞれが頭の中で、かなり優れた作品を描いているに違いない。わたしはそういう別次元の物語を片っ端からのぞいてみたい。

 

 わたしはぼんやりしている時が多くて、そういうときには決まって空想の世界に旅立っている。恥ずかしことに今でも。おじさんなのに。

 大体がファンタジーやホラーが多い。わたしの空想は一枚絵ではなくて、ストーリー仕立てになっていて、順を追って進行していく。自分ではそうはおもわないけれど、やはり、いわゆる“中二”系の話が多いのだろう。

 

 前に友人が落ち込んでいたので、どうしたのかを聞くと、「十年間続いた妄想のプロレス団体がついに解散してしまった、」といっていたので、わたしも9年間続いた長編脳内ファンタジーがあると打ち明けたことがある。

 なるほど友人はプロレスの妄想をしていたし、ならばきっと、野球やサッカーや相撲の脳内ストーリーを描いているひともいるに違いないとおもった。わたしはそういうスポーツ系の空想をいっさい描いたことがなかった。たいがいはもっと現実からかけはなれた別世界の物語だった。

 つまりは、そういう現実逃避的な空想をしている自分は、本質的にはいわゆる「オタク」なのだろうなと、その時分に感じたものだ。

 

 いちばん古い記憶の限りでは、キン肉マンのオリジナル超人を描いていた。当時駄菓子屋でキン肉マン下敷きというペラペラの厚紙にプリントされたものが売られていて、それを手に入れる度にトレース紙でなぞっていた。その作業が良い練習になったのか、味を占めたのかは知らないが、いつの間にか空想でオリジナルの超人を作ることはごく普通の流れだった。

 

 その次は、ゲゲゲの鬼太郎にはまり、妖怪を千匹描いた。これは水木しげる先生の描いた妖怪もいれば、わたしが勝手に妄想したものもあった。わたしはこの作業を数年間続けた。まるで自分に課せた宿題のように、夏は汗だくになりながら、冬は指をかじかませながら、せっせと描いた。あれほどになにかに熱中した記憶は以降ない。

 

 ほかにもウルトラマン的なキャラクターや、ドラゴンボール的なバトル漫画を描いたりして、教室で見せ合ったりしていたが、そこまで熱中するものではなかったかと記憶している。それに、どれをとっても、絵柄もコマ割りも所詮ガキの落書き程度であった。

 

 それから思春期に入り、次第に絵を描くことをあまりしなくなっていったのだけれど、その分、むしろ脳内妄想はずいずいはかどった。妄想は楽だった。

 妄想は実際に描くスピードよりもずっと早く、イメージはクリアで劇的だった。精神的につらい時期に重なると、それはずいぶんな救いともなった。一時期は、もはや妄想が現実を追い越したのではないだろうかというほどに、いくつもの物語を持っていた。あるときは脳内妄想で頭を回転させすぎて、頭痛を伴うほどだった。

 

 上述した9年間続いた脳内ファンタジーに没入していたのもその頃で、題名は『竜の仔ラウ』といった。小学生の頃に少々漫画で描いた物語の続きを、脳内で続けたわけだ。それも9年間も。

 これは竜の魂をもって人間に産まれたラウくんと、人狼のルグくんが友だちになって、世界中を飛び回るという単純な冒険活劇だった。途中かなりグロテスクな展開になったり、思春期とおしてイヤラしい展開になったり、自分自身が成長するにつれ、幼稚な設定を削除したり、大幅な改変をしたりして、思い返せばあまり進行しなかったけれど、それでも通算9年間もの妄想期間を経て、物語は幕を下ろしたのだった。

 

 もう終わったといっても脳内のことなので、時間を隔てて細かい設定やキャラクターの名前などを変え、ストーリーはどんどん更新できるし、それに、取り出したい場面をいつでもどこでも再生できるのは、やはり脳内妄想の最大のメリットだ。

 いまでも、思い浮かべることは難しくはない。レムグレイド王国の景色。紫の要塞での攻防。王国全体を出し抜いたナップザックの謀略。竜族との邂逅。弱虫だったブー・ブーが王国随一の大魔法使いとなって帰ってきたことや、やがてラウたちと敵対してしまうこと。「古の大食漢」との戦い。「十万匹のレギオン」とルグとのたったひとりの戦い。いまでも思い浮かべることができる。平和が訪れた王国を背に、竜になって飛び去っていったラウの姿。

 

 というか、ここまでの妄想、いまはじめて明かした。クズ地域育ちで髪を染め耳に大きなボディピアスをあけていた頃のわたしだったら、口が裂けてもいえない事実を、おじさんになったいま、多少の気恥ずかしさはあれど、ためらいなく告白することができた。

 キックフリップで挫折してスケボーからインラインスケートに乗り換えた頃も、友だちのバイカーと一緒に大黒埠頭にロカビリーを見物しに行ったときも、近所のライブハウスでハードコアを聴きながらモッシュの渦に身を任せて居たときも、チーマーの彼女をうっかりナンパしてしまいボコられたときでさえ、わたしは「白の部屋」でラウに竜の意識が話しかけてきたことや、魔道士メチア最後の大魔法のことや、「不死身のザッパ」を彼らがどう打ち破るのかを、頭の片隅で妄想していた。


 ここまで書いて恥ずかしくないわけもないが、どうせ独白してしまったことだし、ここで云わなければおそらく永遠にロストしていくであろう空想世界だ、いっそのことおもいきり語ってしまおう。それにここで語ることが、どんなに下らないことだととしても、だれに咎められるわけでもあるまい。なんとすばらしい空間インターネッツ

 

 ということでざらっと描いてもみる。妄想のなかよりもかなり違ったイメージになったがそれも面白い。骨格のラフさえなしの、一発描きだし鎧の継ぎ目とかどうなってんだこれ、だが、気にしない気にしない。 

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(こういうイラスト小学生ぶりに描いたけど、むずかしい。ちゃんと下書きしなければ描けないのだなとおもった。軸がずれている。)


 それからわたしはなんとかポンコツ社会人となり、ポンコツなりに沢山の本を読んだ。当時の職場が電車に揺られ行き帰りで2時間くらいかかったので、大いに読むことができた。読書は想像力を掻きたてた。

 海外の文学を読んでいると、次第に宗教感に無頓着な自分を意識せざるを得なくなった。優れた文学にはいつでも計り知れないものへの畏怖や祈りが根底に流れていた。

 それで少しでも宗教のことを知りたくなり、少々そういう書籍も漁ってみたものの、なるほどそれぞれの観念は頷けるのだけれど、どうもひとつの教えに限定して傾倒することはできなかった。

 そもそも無宗教だし、宗派?なんだっけ、浄土宗、浄土真宗?というほどだったので、もともと根付いていないものを、後付で傾倒できるものでもないなとおもった。そこで、わたしはわたしだけの宗教観を持とうと考えた。

 

 まず、救いをもたらすものが煌びやかな衣装をまとっているはずはないと考えた。ベースには良寛さまやアッシジのフランチェスコ(よく知らないけれど)や手塚版ブッダのナラダッタがいた。

 それに美しい容姿をしているわけはないなとも考えた。完ぺきな存在がそんな安直な差別をするはずがない。たぶんみんなに分け与えてばかりいるのでやせ細っているはずだ。だからガリガリの身体の醜い容姿を思い描いた。わたしはそれらをふまえた主神を想像し、名前はやせっぽちの主神「ボニー・ゴッド」とした。

 それから、悪を象徴する存在も考えた。すべてを肯定してしまっては経典とはいえまい、堕落の象徴との問答こそ正しい導きだ、そう考えた。これはプロ妄想家のわたしにとっては、いとも簡単な妄想だった。自分の煩悩をあるだけ思い描けばいい。

 わたしは自身の劣等感を存分に発揮して、ムキムキの金持ちで常に女の子をはべらかせている悪魔をイメージした。名前は怒りの暴君「シーザー・レイジ(ひどいネーミングセンス)」と名付けた。

 

 かくしてこの対の神を中心とした、わたしの妄想宗教は立ち上げられた。だれにも話さず、だれも勧誘せずに。

 これは物語を空想するというわけではなかったが、代わりに粘土細工で御神体を造ったり、二神を中心に据えた善悪の曼荼羅を描いたりした。

 そうしてわたしはまったく意味のない妄想だけの、「ひとり宗教」をひところのテーマとして過ごしていた。

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(当時のものよりかなりポップになっているし、飽きてきたのですごい雑。シーザー・レイジはもっとごてごて金品装飾品を身に付けているのだけれど、面倒なのでハダカにした。)

 

 ほかにも、いますぐパッとおもいつく限りでは、『LOVEandCORE』とか『双頭の恋人』とか『死者と冬を越す』などの過去の代表作品(?)があり、わたしはそれらの妄想物語やテーマやイラストを弄くり、要するに、日々、ただ暇つぶしをして過ごしている。

 もちろんいまでもいくつかの妄想は現在進行形で続いていて、近々のわたしのお気に入りの最新作は、「ゾンビ世界での能力バトル」ものだ。ええ嗤ってください。だいじょうぶです。

 

 この近々の妄想物語、「ゾンビ世界での能力バトルもの(タイトル未定)」がはじまった切っ掛けとしては、「ジョジョの奇妙な冒険」を一気読みした際に、その晩眠ったら夢をみて、そこでわたし自身のスタンド能力が覚醒したからだった。

 わたしのスタンド名は「スリー・スイート・キャッツ(T.S.C)」という。これはその晩ボブマーリーを聴いて寝たことと、当時観た「アイアムレジェンド」というゾンビ的ホラー映画にボブの「スリー・リトル・バード」が流れていたことに、安直にも起因する。

 

 T.S.Cは黒曜石とパールとゴールドの三匹のネコの像でできている設置型のスタンドで、蓮の花の像が開くと発動する。三匹にはそれぞれ違った能力があり、わたしはまだ黒曜石の力しか使いこなせていない(という設定)のだけれど、この黒曜石のネコの能力がとても凶悪で(妄想なのでやり放題)、簡単にいえば、直径10メートルの範囲にいる全ての生物を殺してしまうという能力だ。

 この能力には制約があり、一度設置して花が開くと24時間解除できないことと、生物限定なのでゾンビにはまったく効かないというデメリットがある。それでも10メートル範囲には絶対近づけないという能力は使いようによっては非常に便利で、わたしたちがショッピングモールの一角を安全に選挙できたのは、この能力のおかげでもあった。

 

 ご存知のようにゾンビ世界では人間も怖い。わたしと仲間たちはそれぞれ能力を使い、時にゾンビや極悪な人間を避けたり戦いながら、世界をサヴァイブしていくのだ。
 不思議なことにこの物語にはわたし自身が登場するのだけれど、主人公は他にいる。この主人公の少年(名前は未だ無い)スタンド能力を持っていない。少年は人を殺すこともゾンビを倒すことも反対していて、そのことで仲間たちと度々衝突する。殺す能力に長けたわたしとは特に。

 それで、少年はT.S.Cの効果が途切れる隙をみて、仲間のもとから飛び出してしまい、彼を探すために何人かの仲間たちが安全地帯から出ることになったのだが・・・・・

 

 ・・・・と、ここまできて、だいぶ虚しくなってきた。

 いやもうだいぶ前からそうだったが、書き出した手前意固地になって語ってしまった。それでもなんだが久しぶりに文章を書いたし、これから忙しくなってあまり長い文章やイラストは更新できなくなりそうだから、いい気分転換にはなった。

 

 やはり文章にしてみれば、わたしがかなりの中二病を患っているのがわかった。だがこれは自分にとってはかなりの発見だし、とりあえず成果としよう。こんなことを垂れ流しても現実世界になんの支障もきたさないであろうインターネッツ。改めて素晴らしきかな。

 

 ここまで読んでくれたひとには申し訳ない気持ちでいっぱいだけれど、もういちどいえば、この話はどこにも放出されることのない、わたしだけのただの妄想だ。

 けれどとにかくまったく生産性のない妄想を、きっとみんながそれぞれ隠し持っていて、それはもしかしたらすごい才能溢れるものであるかも知れないということがいいたかった。わたしのはガキくさいだけのくだらない妄想だが。

 

 いちどこういう空想を書き残しておこうと思い立ち、書き綴ったこともあった。持ち前の(?)集中力で嵐のように三ヶ月間タイプして、三編の物語を書いた。奇妙なことにそれはいつも妄想しているファンタジーやホラーではなくて、どれも爽やかな青春小説になった。それぞれ違う新人賞に応募してみて、結果は、最終選考落ち二編に、二次選考一編という結果になった。おやこれはもしかしてと物書きとしての将来を思い描いたが、そこから書き続けることはなかった。そこはクズ出身の、わたし持ち前の駄目なところというわけだ。

 

 それになによりも、わたしの妄想癖もこれで少しだけ成仏されたような充足感もある。たぶんもうこんなくだらない妄想はどこにも放出することはないだろう。書いた小説の原稿データもなくしてしまった。タイトルさえもよく思い出せない。

 

 まあすべては終わらない中二病のたわごと。わたしだけの秘め事。どこにも飛び立つことのない飛行訓練。