ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

むしろ駄目は、わたしです。── 或いはパクチー論争

 f:id:flightsloth:20180125015515j:plain 

 

 日々、「駄目」ということを考えている。

 グーグル先生で簡易に検索してみるとこうでる。

1.《名》囲碁で、どちらの所有ともならないところ。

 目にならないとこ ろ。 「―を押す」(だめ押しをする。だめおし)
2.《名ノナ》効果がないこと。
 むだ。 「幾らやっても―だ」
 悪いまたは劣った状態にあること。 「―なやつ」
 不可能。 「速くやれと言われても、とても―だ」
 …してはいけない、の意。 「来ては―だよ」

  「駄」という字は馬に太るだし駄馬ともいうから、文字の成り立ちは太った馬は役に立たないということで間違いなさそうだし、つまりそこに囲碁的な意味合いの目がついて「駄目」か。囲碁用語だったんだ。へぇ

 なんていうのは置いておいて、ここでいうダメについては「―なやつ」についてのことだ。

 

 わたしは基本的に自分に甘々なので、そのぶん他人に対する評価も甘く、「ダメなヤツ」なんて思うことはほとんどない。まあ確かにそういうひともいることはいるが。

 けれど大概はたぶんみんな同じで、「ダメなヤツ」と他人を表するよりも、自分自身のことを「ダメだなわたしは、」というような評価を下す時のほうが、言葉の用法としては、多いのではないだろうかと思う。

 

 このあいだサラさんのところのコメント欄におじゃまして話しているときに、サラさんが「ネットは駄目が見えにくい」というようなことをいっていたけれど、本当にそうかもしれないと思った。

 

bougen.hatenablog.jp

【ここに訪れてくれているひとにはもうすでに“ご存知の”かもしれないけれど、↑サラさん。もしご存知ではないかたがいらっしゃるようであれば、ここに留まらずにすぐに飛んでいっていただきたく思います(なんなら戻ってこなくてもいいので)。このひとの文章はとても読みやすく、ハイセンスかつビビッドな思考と感受性を持つかたです。】

 

 かくいうわたしも自分の駄目だなとおもう部分は山ほどあるのだけれど、そういうことをブツブツ独白しても、ただ愚痴っぽくなってしまうだけだとおもうので、極力控えてはいる。

 

 ところがそうして「駄目」を書かずにいる自分の文章を読み返してみると、ずいぶん美化しているように感じる瞬間がたまにあって、もちろんひとから過大評価される不安もあるけれど、なによりも自分自身に対する不信感がたまに湧いてくる。おまえはそんなに立派な人格ではないぞ、と。

 

  だからといって、ここに来てまさに思い立ったかのように、わたしの「駄目」を羅列していくのもなんだか恥ずかしいし、節操もないので止めておくが、できればこれから文章のなかに折り込んでいけたらいいなとは感じる。

 

 それに、時としてひとはひとのダメな所を垣間見ることで、よけい距離が縮まるということも、大いにあると思う。昭和的ダメ男と出来た女房だとか、梶原一騎的不良とお嬢の愛と誠みたいな極端な話でもないが、そういう関係のもとで関わり合いが築かれていくという奇妙な側面がひとにはある。

 

 ネットをみていても確かにそうで、わたし的には情報系のライフハックというのだろうか?)生活に役に立つであろうしっかりした記事を読んでいるよりも、どこの誰だかも知れないひとが前後の説明もなく唐突にただぼやいているだけの文章のほうが、なんだか興味がそそられたりもする。

 なんならただの愚痴でさえも、書き手のユーモア次第では、下手な記事よりも読んでいて面白い。

 これはたぶん、読み手のわたしが書いているひとを「駄目」だとおもうからではなくて、当の本人がある種の「駄目」を自覚して書いているからだと思う。だからこそ、時折垣間見える諧謔的なところに、面白さを見いだせるのだろう。

 

 自分自身が“ダメだなぁ”とおもうことは、基本的には他人に迷惑や心配をさせたりする行為だ。

 たとえばわたしはすこぶるお酒がすきだが、だれかしらが嫌がるのならば別に呑まずにいられるし、身体のことを気遣って心配してくれるひとがいれば、極力控えることもできるし、してきてもいる。たぶん。

 要するに依存の問題なのだろう。わたしはタバコものむが公共の場や飲食店などではほとんどやらずにいられる。嗜むのはもっぱら事務所のキッチンか家のベランダくらいだが、それすら許されない社会になったとしたら、もちろん止める努力をするし、少なくとも喫煙者の権利だ何だと目くじらをたてるつもりはない。

 

 いっぽうで止められないことといえば、真っ先に思いつくのがゲームだが、これはもう半分は友だちと逢うためのツールと化しているので、止めろといわれると、ぐぬぬと唸ってしまう。

 けれど、ひととの交流も、突き詰めればやはり依存かもしれないという考えもぬぐえないので、ダメといえばダメだともいえる。たしかにわたしは少々、他人依存なところがある。

 そう考えると、そもそも自分ひとりで楽しむ趣向そのものが“駄目”だともおもう。だれかしらと同じ空間にいると、まさに趣味の時間こそに後ろめたさを感じるときがある。

 

 映画でも読書でも音楽でも、誰かしらと共有した時間で、無碍に趣味に走ると、相手が自分とは同じ熱量で楽しんではいないのではないかと感じる時がある。

 そういう瞬間には、まあダメだなとはおもわずとも、そこはかとない後ろめたさを感じるものだ。ただ、むしろそれすら感じずに、身勝手に自分の趣味をひたすら費やすひとこそが、確かに“駄目なひと”なようにも思える。

 そういう面で考えると、みんなで楽しめる任天堂最強説も否めない。

  それはともかくとして、自分が感じる“ダメ”と他人が感じる“ダメ”とはあきらかに隔たりはある。そして時として、自分が感じる“ダメ”を断腸の思いでひとに晒すと、意外にもお互いの心が通じ合うということは、結構あると思う。

 

 で、またまた話は飛ぶが、わたしは自分を過小評価しているひとを、のっぴきならない警戒心を持ちつつも、ある意味、無条件で信用してしまう。

 

 なんでも、「自分は車の運転が巧いと思うか?」というアンケートを採ると、実に7割のひとが「運転は巧い」と答えるらしい。

 また、高級車に乗っているひとのほうが、歩行者に道を譲る傾向が圧倒的に少ないらしい。

 それに、貧困層が急に裕福になると、もともと裕福なひとよりもより横柄な態度になるという統計もあるらしい。

 

 7割というのもそうだが、財力の誇示だけで偉そうにできるというひとにもたまげるし、それを踏まえれば、高貴なるものの義務だとか気高さだとかという概念も、ある程度は大事なことだというのもわかる気がする。水は低きに流れる。ひともまたしかり。

 要するに多くのひとは自分を過大評価しすぎているのだろう。

 けれどそういうひとはシンプルだ。つまらないし、取るに足らない。単純なぶん危険なところもあるが、直接関わらなければなんてこともない。

 だから、自分を過小評価しているひとのほうがわたしは怖いとおもう。本当の魅力というものは決して誇示せず、常に隠されているものだ。そういうひとは必ずどこかに輝く魅力を隠し持っているし、謙遜の瞳の奥には、いつでもわたしの裁量を凌駕するほどの才能を持っている。

 

 ところでサラさんの話に戻ると、このひとはブログタイトルを「駄目人間」と称しているが、わたしからしてみればやはり“駄目”だとはおもえない。

 むしろ文章から感性から、なにから何まで、非常に魅力的だと思っている。いや、たぶん“駄目”の片鱗のようなものはあるにはあると思うが、そこは実に巧みに、とびきりのユーモアで包み込み、安易に見せびらかさない文才を持っているので、そうおもうだけなのかもしれない。

 だが、たとえば「人間失格」を読んで人間が嫌いになっただとか、「ドグラマグラ」を読んで気が狂いそうになっただとかという、本なんてほとんど読まず売り文句だけ鵜呑みにする系のひとにしてみれば、自ら“駄目”と評しているのだから、きっとそういうひとなのだろうと単純に思うかもしれないし、いわゆる「意識高い系」のひとからみれば、ほんとうに全然ダメなひとなのかもしれないが。

 

*****************

 

 ということで、そんなサラさんもパクチーが苦手なようで、その話題を中心に、ちょっとした出来事があった(くわしくは上に貼ったサラさんのブログのリンクから飛んでいってコメント欄を追ってもらえばわかるのだけれど)

 事の始まりは、わたしが人形がすきだというサラさんの話をきいて、そのイメージは意外だというところからはじまり、パクチー嫌いのサラさんに、好き嫌いは“駄目”ですよ、とたしなめたりしているところに、kaorinさんも加わり、kaorinさんもパクチー好きを表明すると、そこでサラさんはなぜだか混乱しだしたのだった。

 どうやらサラさん。パクチーがどういうものなのかがわからなくなった様子。

 

kao-kao.hatenablog.jp

【↑こちらkaorinさん。kaorinさんはすべてに統一感がある。文章も絵もクラフト(フェルト)も詩も、同じ呼吸で紡がれたような、それでいてすべてがパステルカラーの綾模様になっている。】

 

 それで、わたしがパクチーの詳細を説明すると、どうやらわたしのほうがパクチーとクレソンを勘違いしていたことがわかり、余計に場は混乱をきたし、そこへ、こんぱちさんも加わり、こんぱちさんは、しゃけとサーモンを混同していたり、サラさんはサラさんで、きなこの原材料を知らなかったり、という話の流れがあり、もはや事態は収集がつかないほどに、混沌を極めてきたのだった。

 

konma08.hatenablog.com

【↑こちらがこんぱちさん。愉快という表現がもっともしっくりくる。愉快なひとと愉快な家族が映画をみるブログです。このひとにコメントをいただくととても安心する。ほかのブログでこんぱちさんがいると、これまた安心する。なぜだかそういう属性をもつかた。】

 

 さらにいえば、ウーパールーパーもハムスターも、もうみなさんずいぶんボンヤリとしたイメージのようで、ずいぶん噛み合わない模様。

 そういうわけで、みなさん“ダメだなぁ”、とわたしが思っているところ。サラさんが、「だったらナマケモノ描いてみてよ!」というので、それもやぶさかではないなとおもっている矢先、急ぎの電話がかかってきてしまい、しばらく席を外して、戻ってみると、サラさんとこんぱちさんがしくしく泣いてしまっていたのだった。

 

 それでわたしは、これはえらいこっちゃとおもい、そんなにもみなさんはいろいろなものがわかっていないのだなと、切実に感じ、不憫におもい。

 急いで描いてきたので、

 これで理解していただければ、なによりだと思います。

 

f:id:flightsloth:20180125175038j:plain

 

 サラさん(またしても)、kaorinさん、こんぱちさん。勝手にリンク貼ってしまって、ごめんなさい。