ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

しかたがねぇな、と。

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 雨天。本日予定なし。だから少しだけ時間を戻す。といってもほんの三日前。

 

 9:10、無意識にもケータイをまさぐる。9:15、半覚醒、くるまる布団からにゅっと腕だけを伸ばしアラームを止める。わかってるってば、9:20。覚醒はいつも急速。右左右左、おぼつかない両足を確かめるように立ち上がる。わたしはいま生まれた。しかたがねぇなといま生まれた。生まれたからにはすぐに立ち上がる。立ち上がったからには支度は早い。9:35、すでに上着を着て、鍵を取り出し、扉の前に立っている。

 

 テーブルには水筒と弁当。そいつらを急いでカバンに詰め込む。それからミカンを二つ、すこし考えてからもう一つ。感謝のつぶやきもひとつ。忘れずに。かのじょの姿はもうみえない。

 

 寒さに小さくえずきながら、やや乱暴にねずみ色のシート剥がす。白とオレンジと黒模様のバッタのようなシルエット。ピッカピカのトリッカー。半年ほど前からの、新しい相棒。

 ヘルメットを被り手袋を装着。ジャンパーのチャックをしっかり襟首までひき上げる。準備オーケー行きますか、しかたがねぇから静かに発進。

 

 冬晴れの低い太陽はやけにまぶしい。澄んで白んだ街並みをしかめ面で走らせる。正面に見えるみなとみらいのビル群を右手に折れて館内通り。京浜東北根岸線と並行してひた走る。

 右手にみえる大通公園、左手にスタジアム。中央フリーウェイでもないけれど、クジラのような路線バスを、シャチのようなタクシーの群れを、街に溢れる色という色たちを、わたしはすり抜け追い越し、新春を切り裂くように、ぶっ飛ば・・・さない。

 そう飛ばさない!

 驚くほどの安全運転。間違いなく守る制限速度。これでもかというほどのくどい目視。なんという模範ドライバー。

 交通ルールは破らない。危険な行為は絶対にしない。停止線もうっかり越えたりもしない。すり抜けも滅多にしない。したとしても、信号で停止した車のあいだを、そろりそろりと徐行する。

 あらゆることを想定した安全運転!飛び出す歩行者を野良ネコを危険な原付を、全てを想定してわたしは走る。追い越したければ追い越せばいい。曲がりたければ道は譲ろう。みんなの道路だ譲り合おう。どうぞお先に。どうせ次の信号、でなければ先の交差点で、もういちど出会うことになるのだろうから。


 バイクを停めてエンジンを切る。小高い丘の上にある事務所。遠くで偉そうなランドマークタワーが煙ってみえる。

 不機嫌な顔つきで扉をあける。同じくつまらなそうにネクタイを結んでいる社長がみえる。冴えない表情、やや顔色も悪い。二日酔いだねいつものことだね、口には出さない。お互いに。代わりにおお、だかああ、だかうめきにも似た声を出す。お互いに。あけましておめでとうだか、今年もよろしくだか、とにかくうめき声だけ、目配せだけでそれがわかる。

 

 パソコンの電源をつける。憂鬱なmacの起動音。しかたねえなと右手だけでパスワードを打ち込む。イスには座らず、ごうごうはき出すガスファンヒーターに向かい、マグカップ片手にかじかんだ指を温め、ついでに珈琲を煎れる。起動したパソコンを確認し、adobeのソフトを立ち上げる。イラストレーターとインデザイン。だがまだ席には着かない。

  珈琲片手にキッチンに向かい、換気扇をつける。タバコを一服、喉が痛い。小窓から外がみえる。カサカサの生け垣。カサカサの枯れ葉。カサカサの電線。冬枯れのありふれた風景。だがここからでしか見えない風景。

 

 それからようやく席に着く。靴下を脱ぎ、あぐらをかく。いつものスタイル。時に膝を立てる。態度は極めて悪い。これだけはずっと変われない。

 メールはすでにチェック済み。新年早々、大した仕事はない。社長はもう出かけている。声もかけずにさっさと出ている。不親切なメモ書きと、ちょっとした仕事の指示。これもいつものこと。問題ない。それだけでも充分伝わる。

 

 iTunessafariのブラウザを立ち上げ、タブを三つ。メールと経済ニュース。それとナマケモノの飛行訓練。珈琲をいつくしむように啜る。

 それからヘッドフォンを装着する。両耳はすっぽりと覆い尽くされる。遮断。やがて世界は胡乱になり無音になり、すべてが切り替わる。これでOK。接続オーケー。いまわたしは接続された。ヘッドフォンを介して。Bluetoothを介して。マウスをペンタブレットを介して。わたしはネットワークに接続された。ただいまわたしは受肉された。新生された。合体された。無機質なメタルとなまぬるい肉体。モニターがわたしの眼であり耳である。生身のわたしはもはや補助的な役割としてでしか、意味を持たない。自我も個性も必要ない。問題ない。誰もいない孤独な庭。ここからは独壇場。社会のこの世の中の、ひとつの歯車。それから新年一発目の選曲。弾けるようなバスドラム。けだるくクリアなギター。憂鬱で下手くそでとびきり味のあるボーカル。ここからはわたしひとりの独壇場。仕事だ仕事。

 さあ、しかたねえから、やりますか。今年もいちねん。