ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

面白い国の住人の、いなくなったらいなくなるタイプ

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 占いが好きなひとがいる。たとえば血液型にこだわるひとがいる。これは比較的女性が多い気がする。わたしはどちらでもない。そうだといわれればそうかもと答える。気分によっては、ひとを簡単に分類するなとも思う。だがたぶん、根っこの部分では信じていない。

 とはいえ、ひとをご都合主義的に分類してしまうのが人の常。誰かを少しでも理解したいと思うからこそ、何かに当てはめて安心したいものだ。

 

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  『図鑑に載ってない虫』これは目茶苦茶な物語なので内容はあまり覚えていないが、主人公と破天荒な友人と、道すがら出会ったひとりの女の子と旅をするロードムービー的コメディだ。

 物語のなかで友人が仮死状態(?)になったときに、女の子が取り乱して、「あいつはいなくなると、いなくなるタイプだ」というようなことを言う。それから彼女は、主人公のことは「いなくなっても、いなくならないタイプ」と言う。

  

 

 もうひとつ、『クワイエットルームにようこそ』というコメディ映画では、主人公の女性は心を病んで精神病院に入院する。あれこれ複雑に絡み合う散々な出来事があり、心を病んでいくその一端に、二番目の旦那が父親の仏壇を銀色に塗るくだりがある。何で彼がそんなことをしたのかといえば、ただマリファナを吸って、おもしろ半分に塗っただけなのだった。

 旦那はテレビのバラエティ業界の仕事をしてる。テレビの企画で目隠しをされてそのまま見知らぬ外国へ飛ばされてしまっても、面白おかしく生きていられる。後先考えずに、楽しいことを素直に楽しむ、根っからの根明だ。

 結局主人公は旦那と別れることになる。「あなたは面白い国の住人でわたしは面白くない国の住人」主人公はそういう。

 彼女は自分が面白い国の住人だったのなら、自分も同じようにマリファナでも吸って、ただ楽しいことを旦那と一緒に追い続けていられたのだろうと、ぼんやり思う。

 

 わたしはこのふたつの映画のセリフが妙に残っていて、何年たっても頭から離れずにいる。そして、このふたつのセリフの合わせ技、つまり計四つの系統が、わたしにとって、誰か他人を見るご都合主義的指標ともなっている。星占い程度にだが。

 

 まずわたしは「面白い国の住人」ではない。だからわたしはノリで仏壇を銀色に塗られ、その理由を問えば「面白いとおもったから」とだけ言うひととは、たぶん一緒には暮らせないかもしれない。

 本当はそれをみて一緒に馬鹿笑いして、意味も無くただ面白いかもしれない可能性を求めて、いつでも笑って暮らしていけたら、それはそれで素敵なことだろうとは思う。

 だが「面白い国の住人」も難儀なものだ。サーファーズ・ハイという言葉もある。一度大きな波に乗ったら、次にはさらに大きな波を求めてしまう。楽しいということも突き詰めればそうだ。次々と大きな波を求めるということは、エネルギーがいる。キリは無いし体力も使う。若いうちはそれもいいが、歳を重ねればそれさえもくたびれてくるものだ。

 

 それからわたしは、「いなくなっても、いなくならないタイプ」だ。これは感覚的なことなのだろうけれど、自分自身がなんとなくそう感じるのだからあながち間違ってはいないと思う。

 自分を「いなくなってもいなくならないタイプ」だと自覚しているから、わたしは誰とも頻繁には連絡を取らない。本当に取らない。FacebookTwitterもやらない。LINEだってやらない。兄貴でさえだいたい二年に一度のペースで電話で話す程度だ。それも用件を簡潔に伝える程度に。
 友人を自分から遊びに誘ったこともあまりない。だから友だちも少ない。少ないとおもっていても、別に寂しくはない。なぜならわたしは「いなくても、いなくならない」と自負しているから、それでいいと思っている。いなくならないなら、それでいい。

 

 少ない友人たちに、わたしは密かにそれを当てはめている。「面白い国の、いなくならないタイプ」の友人もいるし、「面白くない国の、いなくなるタイプ」もいる。

 それから、ひとりだけ、「面白い国の、いなくなるタイプ」の友人がいる。このタイプは特殊だ。

 彼はユーモアがあり頭もキレる。楽しむことに貪欲で、常に楽しい話題をふってくれる。けれどどこか刹那的で、如何せん感情がみえないところがある。最強でもあり最弱でもあるような、そんな混在した雰囲気が彼を包み込んでいる。
 こういうタイプには流石にわたしも連絡を取ってしまう。そうしないと、いつかいなくなってしまう気がするからだ。人垂らしかといえばそうでもない。むしろ人見知りが激しいタイプ。人付き合いが巧いということと、面白いひとということは、必ずしも比例しない。長いこと付き合うと、どうも放っておけない気持ちにさせる。

 

 わたしは「面白くない国の、いなくならないタイプ」だ。このタイプの人間は、地味で細やかだが、それなりの旨みはある。ひとに何か特別なことを求められないし、自分が求めることもない。こうして、気ままに文章を書いていれさえすれば、心は穏やかになる。どこにもいかず、どこにもいけないから、どこにでもいることができる。