ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

強さについて

 

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 この数日、強さについて考えていたらこんなことがあった。

 友人に、かなり過激なスポーツで鍛えたムキムキの肉体を持っている後輩がいる。彼はとても穏やかで、協調性のある人柄だ。

 彼は自分の持っている最大の防寒着はスエットパーカーだけだと常々いっている。それだけで真冬も過ごせるそうだ。彼の強靱な肉体が寒さを寄せ付けないからなのか、もともとそういう体質なのかはしらないが、 彼は時々わたしに、「今日って寒いですか?」と質問をする。

 彼は穏やかだが、世間の時事問題も極端に関心がなく、他人にもほとんど興味を抱かない性分なので、まわりのいざこざで腹を立てているひとたちの感情がわからないようで、そんな自分に戸惑っている部分がある。ちなみに彼曰く「ターミネータ2」を観て以来、涙を流した記憶もないそうだ。

  だからわたしはそういう彼のフィジカル的にもメンタル的にも強靱、あるいは鈍感な部分を踏まえて、

 「そうだよね、きみはわかんないもんね、」と茶化す。オレ、サムイ、ワカラナイ、コレハ、ナミダカ?と続けると、彼は笑いながら「そうなんですよ、」といい。

 「自分サイコパスですから」とおどける。

 いつもニコニコと笑顔を絶やさずにいて決して怒らない性格と彼のビジュアルのギャップから、ただそこにいるだけで怖いと思われることがあるそうだ。

 いやみんなサイコパスだよ、人間なんて、そういう部分に折り合いを付けてなんとか他人と付き合うんでしょ。お互いにアンニュイな会話が続く。

 「そういえばずっとまえにテレビで・・・」と友人は続ける。

 なんでも、ゲスい発言を売りにしている芸人が笑い話としてこういったそうだ、

 「おれが何をされても怒らないかわりに、怒られても何も感じないのは、その気になればそいつをぶっ殺せるって意識があるからです。」

 「まあ、ぶっ殺せるっていうのは、だめというかクズだし、怒られて何も感じないのはダメですけど・・・」 

 それを聞いた友人は妙に納得するところがあったそうだ。「自分も本当にいざとなればまあ、ボコボコにはできるんで、」どんなに理不尽なこといわれても何も感じないんですよ、と彼はいった。

 だが、そういう彼はたぶんこれから一生、怒りにまかせて誰かをボコボコにのすことはないだろう。わたしにはわかる。話は物騒でも、彼が言いたかったことは強さの誇示ではない。理不尽に対して自分が怒らない理由についてだ。

 彼は善良で、いつでも他人に対する気遣いを持っている。自分が鈍感かもしれないことも自覚している。だからこそ、自分がそうでなくても、誰かが寒いかどうかを訊ねたりする。自分は平気でも、他人はそうではないかもしれないという可能性をわかっているのだ。

 それはひとつの強さなのかもしれない。肉体的にも精神的にも強い人間は、おそらく愚痴もいわず、不平も不満も抱かず感じずに、力はあれどそれを行使もしなければ誇示もしない。だが他人はどこかでその強さを感じとり、表だってみえるその笑顔に恐怖する。むしろそれはある種の畏怖なのかもしれない。

 そういえばあらゆる物語にもでてくる達人たち。イメージとして、常に寡黙でいて微笑をたたえた優しい人格を持っている。

 だが強さは様々だ。宮本武蔵は刀を抜かない強さを追求する。合気道に試合はない。かつて44マグナムであれほど暴れたクリントイーストウッドも、グラン・トリノでは銃に頼らない。

 彼らはみな肉体のみならず精神を鍛え、極めた末に見出した答えが、戦わない強さだ。決して誇示することも、ひけらかすこともしない強さだ。

 そしてそれ故に孤独でもある。鍛え抜いたがゆえの力を使わない強さ。そのニヒリズムがゆえの孤独。そこにわたしはいつでもヒーローをみるのだ。

 まあ、わたしの後輩はそこまですごいやつではないけれど。