ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

行きたい場所には、行きたくない。

今週のお題「行ってみたい場所」

 

 わたしにとって行ってみたい場所とは、行きたくない場所でもある。

  この間テレビでジャングルの原住民を取材していて、現地のハンターがオオアリクイを仕留めていた。弾丸を二発も撃ち込んでもなお、彼らはそのケモノを警戒していた。なんでもオオアリクイの鋭い爪は大変危険で、ジャガーと戦ってもオオアリクイが勝つそうだ。

 それから、ケニアだか南アフリカだかで、保護区のキリンが食糧不足から、現地の人間に狩られ、食べられてしまうことが問題となっているそうだ。因みにキリンは牛のような鳴き声を出すそうだ。

 わたしはオオアリクイがどれほど素早く、凶暴かを知らない。あれだけ巨大なキリンをひとがどのように仕留めるのかも知らない。野生のジャガーやサルだってもちろんみたこともない。

f:id:flightsloth:20171019111732j:plain わたしの世界は週八時間以上パソコンを睨み、風景といえば、タイマーで時々変わるデスクトップの画面が全てだ。

 けれど、それで良かったと思う。ジャングルやサバンナやブッシュでは到底生きられないだろうから。

 きっとそこには驚愕の世界があるだろう。わたしのフニフニの指先は、茂みに入れば簡単に切り裂かれてしまうだろうし、貧弱な脚力では数キロ先の荒野を目指すこともできない。アマゾン川の茶色く濁った水で顔を洗うこともできないだろう。労働力としても十歳にもとどかない現地の子どもたちにさえ負けるだろう。

 

 現地の生活に溶け込まなくても、その気になれば観光はできる。もちろんできるが、それはわたしの望むところではない。

 そもそもわたしはものすごい出不精で内弁慶だ。言葉の通じない国に行くこと事態がストレスでしかない。多少は素敵だと思うが。

 ヨーロッパなどの先進国は美しくきっと楽しいのだろう。けれど、それ以上のストレスを背負って各地を巡りたいとも思わないし、なによりもテロも怖い。わたしは臆病者でもあるから。

  バックパッカーなんて狂気の沙汰としか思えない。確かに見知らぬ土地で風習の違う人々と触れあうのは、とても魅力的な経験だし、計り知れない学びもあるだろう。だがそれにはまず勇気が必要だし、厚かましいほどのコミュニケーション能力も必要だ。くどいようだが臆病者のわたしが、もちろんそんな勇気を持ち合わせている道理はない。

 

 結局は、国内の温泉地にでもいって、気ままに日々の疲れを癒やしたり、美術館や音楽ライブでストレスを発散する。それがいい。それもいいが、要するにわたしの行ける場所といえば、そういう所しかないのだろう。少々むなしいが。

 それでも時々は、こんなわたしにも、どこか遠く遠くの見も知らぬ国や土地に憧れる時もある。旅行もひととの交流も気が進まないが、まったく違う風習、まったく違う風土、まったく違う文化のもと、ツアーや観光ではなく、現地の人々とその土地に溶け込んで本当に違う暮らしをしてみたい。時々強く憧れることがある。

 

 だからわたしはジャングルやサバンナなどの未開の地に憧れる。前にビートたけしさんがアフリカの大地を飛行機で空から眺めたとき、シマウマやオックスやキリンやゾウや茂みや泉がいっぺんに俯瞰できて、ああ、やっぱり大自然はカラフルなのだ、と、再確認したといっていた。きっとそうなのだろう。

 そこでは予想もつかないことが次々に起こり、わたしの既成概念をことごとく壊してゆくだろう。きっとそこには驚愕の色があり音がありむせかえるほどの匂いがある。声も出せないほどの雨が降り、叫び出したいほどに太陽は照りつけるだろう。恐ろしいほどに暗く騒がしい晩に、まるで奇跡のような星降る夜空が広がるだろう。

 モニターとキーボードとヘッドフォンとハードディスクとコーヒーを捨てて、わたしは時々そんなところで暮らしてみたいと夢想にふける。旅行ではなく、暮らしてみたいと考える。

 だがわたしはそこで暮らすことは叶わない。

 なぜならわたしはマチェーテも扱えないし火を熾すことだってできやしない。触れることもためらう虫や幼虫をまして食べることなどできやしない。サルの肉を頭からかじることだってできないし、得体の知れない巨大な魚も食べられない。いやむしろ食べたくはない。見たこともない虫に刺されて高熱をだしたくもない。熱に浮かされた身体でシャーマンのよくわからない儀式をされたって、少しも安心できやない。知りもしない女性としきたりのもと婚約もしたくない。

 それに、肉体的にも体力的にもわたしが暮らせるような場所ではない。「手足が動けば誰だって役にはたつ」かつて引っ越し屋のアルバイトをしているときに先輩がこんなことをいった。先輩それは間違いです。肉体労働は誰にでもできることじゃない。衰えてしまったこの身体はもう、重労働には耐えられない。

 

 要するに、矛盾しているようだが、わたしはそんなところには行きたくもない。正確にいえば、わたしがわたしのまま、こんなスペックでは行きたくはない。いや、というか、絶対に行けないのだ。

 だから、そういう相反したジレンマにより、わたしにとって「行きたい場所」は「行きたくない場所」でもあるのだ。

 

 臆病な性分も出不精な正確も変えられない。だからここからは「if」の話になるが、こんなわたしが前述したような土地に暮らすには、別の人間に成るしかない。屈強な、勇気と好奇心に溢れるわたしとは違う別の人間。

 でなければ、専属の通訳と軍隊並みに従ってくれる屈強な男達が数人、常にわたしの口に合う料理をつくってくれるシェフが数人、それと新鮮で清潔な食材を運んでくれるポーターが必要になる。まるで王様のような扱いだが、そうでもしないと、わたしはそこでは暮らせない。つまり言わずもがなそんなものは本当の現地の暮らしではないから、これは完全に意味のないたわごとでしかない。

 空しくなってきたのでもう止すが、つまり行きたい場所にはこんな己のスペックでは行きたくないし、絶対に行けないのだ。絶対に。

 

 そうしてわたしは今日もパソコンにかじりつく。ちょうどデスクトップの風景が変わる。そこには黄色く輝くたてがみをたなびかせ、雄々しく吠えるライオンがいる。