ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

浅はかな政治と浅はかなわたし

 いまの人は選挙の投票基準に、「どうせなら勝てるところに投票したい」という意識があるらしい。自分の入れた票が少しでも政治を動かしているという証が欲しいらしい。本当かなぁ、と思っていると、つい先日もラジオであるていど若手の芸人さんも同じようなことをいっていたので、あながち間違いではないのだろう。

 今回の衆院選、勝てる、というのは、若者のいうところではどの政党を指すのだろうか。 

  勝てそうなところに投票する、というとなんだか競馬や競輪のようなギャンブル感覚だが、とにかくどこでもいいから投票の意志を持つというのが重要なのだろう。

 いつの頃からだか知らないが、「政治、宗教、野球」の話題をタブーとする昭和的習わしというか、もはや因習と言っても過言ではない事なかれ主義によって、我々世代は永いこと飲み屋はおろか、どんな場面でもそういった話題を避けるようにすり込まれてしまっている。

 この因習によって、政治に無関心になってしまった我々は、さらに上の世代のように「選挙に行きなさい」と安直に説教じみた意見をいうのは、どうにもはばかれてしまう。

 それどころか、今では、「保険に入りなさい」だとか「年金は払いなさい」といった、以前は国民の最低限の義務だと考えられていたことでさえも、到底、浅慮にはいえない世の中になった。

 だからこそ、ギャンブル感覚でもなんでも、まずはとにかく政治に関心を持つことがこれからは必要なのではないだろうか。彼らには少なくとも意思がある。みんなが楽しそうに騒いでいるからとりあえず集まるハロウィンの渋谷のように。なんでもいいから自分の意思で投票所に向かえばいい。飲み屋でも何でも、政治でも宗教でも、気軽に誰でもなんでも話し合える世の中のほうが、良いに決まっている。

 

 政治に関心を持ちはじめるのは、誰もがみんな年をとってからだ。年を取ると、世の中に対するあらゆる不満や不安が押し寄せてくるものだ。それで、それらを政治のせいにするか、あるいは本当に政治によって変われるものなのだと、ようやくそこで気がつくものだ。

 いずれにしろ、社会の不満の大半は、 矛先をそこに向けることができるし、怒りの大半も政治のせいに出来る。遅かれ早かれ年齢を重ねると、不平や不満のはけ口に、政治はずいぶん便利な方便だということに、気がつくものだ。

 だが肝に銘じていなければならない。それを一番よく分かっているのが政治家だということを。

 つまりは、“本当は世の中を良くしようなんて大真面目に考えてなどいない、自分の不平や不満が解消されることばかりをいつでも望み、世間や世界を常に気にかけているフリをして、結局宝くじでも当てて辛く厳しい人生から一抜けすることばかり夢見ている、他力本願の人間が大半を占めている” ことを、いちばんよく分かっているのは政治家であり、要するに、そんなことばかり気をとられる世間を常に軽んじ、うぬぼれ、足の引っ張り合いをしている彼ら政治家たちと同等に、我々も合わせ鏡のように、実の所、いつだって世の中に関心なんてありはしないのだ。ということを、肝に銘じていなければならない。政治家に利用されない程度には。

 

 勝てそうな、という考え方はある意味、理にかなった意見ではある。いささか浅はかではあるが。

 民主主義において最も票を取る政党というのは、いわずもがな政権を取る政党というわけで、政党を取るということは最も多くの人間が支持しているということになる。最も多くの人間が支持している考え方に反発してなんになる、というわけだ。みんながそう思うのなら、自分もそう思う、というわけだ。

 これが浅はかでなくて、なんだというのだろう。

 けれど、選挙に勝ち、大多数が投票というかたちで支持を表明をする、その考えかたが間違っているのならそれは国民の大多数の間違いだということになる。

 だから民主主義は浅はかだ。多数決という浅はかな決め方でないと先に進めない限り、どこまでいっても浅はかだ。

 

 確かに今回の選挙はエンターテインメント的には面白いショーかもしれない。三役が全員怪我で欠場した大相撲、程度にはだが。

 だが所詮は、老人たちの椅子取りゲーム。本当にくだらない。尻馬に乗ろうとする側も、現実的な政策も無しに体制側の座席につくことだけを夢見る連中にも、わたしは本当に興味ない。まったく意味のない解散と、大義のない派閥争い。かってにすればいい。これでどうして政治に関心を持てばいいのか。

 勝てる側につく。そりゃあ結構。今では少数派の意見をひとによっては左翼と呼び、リベラルとも呼ぶようだ。

 だったら排除するのか?少数派の意見、自分とは考え方の違う人間、そんな人間を直ちに排除し、勝てそうな場所に集まる連中を揃え、それを勝利とするのか?

 そいつはいい。ずいぶん古い考えだ。だがいいさ、自分と違う者は村八分にしてゆけばいい。そうしてこの国は古来から進んできたのだろうから。

  政治家は今までの理念を無視し、勝てそうな政党に鞍替えして、国民は勝てそうな正当に投票する。まったく合致しているじゃないか。