ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

中秋の名月

 今朝、別々の靴を履いて出かけてしまった。こんなことは生まれて初めての経験だった。バイクに乗りそのまま会社に着いてから気がついたので、そこまで恥辱に悶えずに済んだ。とはいえ、地味に恥ずかしいし、赤とグレーの靴をちんばに履いている姿は、それなりに滑稽だった。

 なにかの力が及んで、わたしを狂わせたとしか思えないほどにイージー過ぎるミスだった。同じニューバランスのスニーカーだったので、心のなかでこれはファッションだと暗示をかけて家路を急いだ。

 それから、先日珈琲豆をもらい、あらかじめ注文していたミルが届いたので、これも生まれて初めて、自分で挽いたコーヒーを飲んだ。なかなか美味しかったのでタバコが吸いたくなり、ベランダへ出ると、外が妙に明るかった。

 狂わせたのはこれだったのか、とは思わなかったが、それほどに見事な満月が輝いていた。きれぎれの雲間から時折、銀色の光がのぞき、やがてくっきりと丸い輪郭が現れた。ああそうかなるほど、と気がついた。本日が中秋の名月ね。

 自然の美しさは、詩人でもないわたしがあまりくどくど語ると野暮になるので、手短にいくが、眩しいほどの満月は、なんだか、「無駄だよ無駄だよ」と云うように輝いているみたいに感じた。コーヒーを飲み干して部屋に入った。なにが無駄なのかは考えないようにしようと思った。

 そういえば月は昼間の太陽の光を反射させた、一度死んだ明かりなので、月明かりを浴びるのはあまり良いことではないと、誰かがいっていたのを思い出した。あれは誰の言葉だったか。

 寝る間際にもう一度、夜空を見上げてみたら、そこにはもう厚い雲が覆い被さり、ぼんやりと、光の輪郭さえ確認できなかった。

 なんとなくだが、自分的には、志賀直哉の短編のような、そんな一日だった。