ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

不思議の国のアリス症候群

 大人になってからだが、この名称をはじめて聞いたとき、ストンと腑に落ちるところがあった。子どもの頃わたしはおそらく軽度な「不思議の国のアリス症候群」だった。

 ルイス・キャロルがどうだったかは知らないが、物語のなかでアリスが不思議な薬を飲んで、大きくなったり小さくなったりを繰り返す描写は、わたしがかつて体験した症状にしっくりくる。

 それは、大概夜中にやってきた。目をつぶると瞼の裏がぐるぐるまわり。大きくなり小さくなり、高速に回ったかと思うとものすごいスローモーションになり、そうかと思うと極太の何かが針のように細くなる。そういう感覚が立体的に一度にやってくるのだ。

 言葉にしてみると、まったく伝わらないし、いくら言葉を尽くしても伝える術もない。とにかく、巨大、最小、高速、緩慢、極太、極細、これらの観念が頭の中に同時にやってくるとしかいえない。ひとつ言えることは、それが訪れると、頭が冴え、さまざまなアイディアが生まれ、意欲に充ち、興奮して到底眠ることなどできなかったということだ。

 親や兄に言っても伝わりはしなかった。たぶん症状としては軽いほうだったので日常生活にはなんの支障もなかったし、大人になるにつれてそんな感覚などすっかり忘れてしまったので、これといって不自由なことでもなく、むしろ密かな楽しみでさえあった。。

 一時期、この感覚を持つひとがどれくらい居るのか知りたくて、学校や近所の友だちに質問して回ったことがある。「大きい、小さい、早い、遅い、太い、細い」はじめにこう言い、「この感覚がいっぺんにやってくる。」質問の内容はこれだけだった。これだけだったが、効果はそれなりにあるようだった。まるでフィリップ・K・ディックの小説のアンドロイドを見抜くテストのように、数人の友だちにはピンとくるものがあったようだ。これだけいうと、「あ、わかるー」という友だちは確かに何人かいた。

  だからどうという話でもない。この症状について深く知りたいというわけでもない。もうそんな感覚がやってくることはない。調度、熱にうかされた際に身体の中で血液が巡る感覚や、神経が過敏になる時があり、その感覚に似てはいるが、子どもの頃に体験したあの感覚とは明らかに違う。

 できればあの感覚をもう一度体験してみたいものだ。子どもの頃、それがやってくると、ひたすら集中して絵を描いたり散文的な文章を書いたり、文房具や段ボールなど身近にあるものに片っ端から謎の文様で埋め尽くしてみたりしていた。出来上がったものの良し悪しなどは一切気にせずに、その感覚に任せるままに、ただひたすら集中できることが楽しかった。

 因みに『不思議の国のアリス』本家の物語はあまり好みではない。ストーリー展開が少しもわからない。あれほど難解な物語が世界的に評価されている理由もわからない。童話だからと謂われれば、なんとなしには納得できるが。それだったらボリス・ヴィアンカフカ高橋源一郎や初期の金井江美子の小説も難解といえば難解だし、メルヘンだといえばそれもそうだが、そちらのほうはかなり好みではある。