ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

仕事はもっとゆるくていい

 「ポケモンGO」が労働者のストレスを軽減することが科学的に検証されたらしい。ネットか中釣り広告だったか、ニュースの見出しを見かけただけだったので、実際の事情はよく知らない。知らないといっても興味がなかった訳ではない。それ以上の食指が動かなかったのは、ただ単に、それは当たり前だと思ったからだ。

 このゲームの話題性も問題点も言わずもがなだろう。個人的にはずいぶんライトユーザー向けだと思うが、だがそれでこそ誰でも楽しめるというものだ。そもそも現代のゲームは敷居が高すぎる。

 まず「イングレス」のリリースはわたしも非常に興味を注がれたし、その流れで開発されるポケモンの位置情報型ゲームの話題は、早い段階でヒットを確信したし、任天堂の株価もいち早くチェックしていた。珍しく時代を先取り出来たにも関わらず、なんの行動にも移せなかったのは多少悔やまれるが、そもそもスマホも持ってさえいないければ、任天堂株に手を出せるほどの余力も当然無かった。お手本のような教訓だ。時代を先取りするのならそれ相応の準備が必要だという話。

 そんなことはどうでもよくて、わたしが当たり前だと思ったのは、何もポケモンGOに限った話ではなく、労働にはもっと娯楽要素が必要だということだ。

 仕事にはもっと遊びというか、ゆるい時間があればいいと思う。今でこそ自分のペースで仕事ができるが、はじめて就職した時は、おそろしいほどに学生の頃とは違うその過酷さに驚愕したものだ。常に楽しいこと刺激のあることイヤラシいこと遊ぶことばかりを考えてただなんとなく過ごしていた時間から、卒業からの一ヶ月余りの休み明けには、基本九時間拘束、休憩時間もきっちり決められ、話の合う友だちもいないおっさんばかりの空間に最低週五日、しかももうこれから夏休みのように長い休日を一生取れないかと思うと、それだけでも人生の過酷さにクラクラしたものだ。

 わたしの仕事は丸一日パソコンにへばりついているので、ポケモンGOのようなゲームはあまり意味がないが、その代わり、常にヘッドフォンでラジオや音楽を聴いていられる。これがストレスを軽減させていることは間違いない。

 運送屋のアルバイトをしていたことがある。そもそもその職場はみんな若く同世代の人間が働いていたので和気あいあいと楽しくできたが、当時もスマホがあればもっと有意義な時間を過ごせただろう。行く先々で写真を撮ったりSNSをみたり。肉体労働は押し並べて待機時間が多いからやはりポケモンGOは最適のゲームだろう。これがストレス軽減に役立たないわけがない。

 例の「働き方改革」とやらにはもちろん労働ストレスの軽減なんて織り込まれてはいない。少し前にはワークライフバランスなんて文言も頻繁に耳にしたが、あの提案も、仕事をよりスムーズにするためにプライベートこそ充実させよう、というあくまで労働ベースの呼びかけだったと記憶している。わたしが求めているのはそこではない。なにも趣味まで仕事に反映させなくてもよいではないか。むしろ趣味や無駄なことが過酷な労働時間に入り込むことを許す社会、ゆるい社会をわたしは望む。

 それにしても一億総活躍社会。まったくなんて言葉だ。まるでこれは政策でもなんでもない戦前教育のスローガンのようではないか。

 暇な時間に何をしようとわたしは構わない。それがたとえ職務中であっても。わたしは常にゲームをしたいし、映画でも観ていたい。常に仕事がしたいわけではない。もちろん、依頼がくれば精一杯クライアントの意思の沿うように努力するし、それに伴った代価を貰うが、暇なときは昼寝でも読書でもおしゃべりでも、なにをしていても構わない。

 前に警察官が職務中、制服姿でポケモンGOをしていることをすっぱ抜かれている画像を見かけたが、それくらい多めにみてあげればいいではないかと思う。彼の廻りでは事件も事故もなんにもなかったのだろう。暇だったのだろう。それよりももっと度を超した犯罪行為に走る公務員は山ほどいるのだから、そいつらをしっかり監視したらいいのではないだろうか。みんなそんなに他人に厳しくして息苦しくないのだろうか。

 若い女性が過労死してしまったのをうけて残業時間を規制しはじめた電通が、帰らなくてはいけなくなったので余計仕事がしにくくなったという記事を読んだが。はっきりいってそんなの知らんがな、という話だ。残業代が減って困っているとも聞く、しらんがな!死人を出すほどの労働はそもそも今までが間違っていたのだ。そんなに仕事がしたくて体力の有り余っている脳キン人間は、祭りでも行って御輿でも担げばいい。

 効率、ノルマ、活躍、社会貢献、納税、人脈、キャリア、資格、収入、そんな言葉を聞くだけでめまいがする。誰かが面倒なことをそうは思わないひとがこなしてあげて、それにお礼をする。となりで困っているひとがいればできる限りのことをする。シンプルにこれでいいではないか。社会はもともと複雑なことを余計複雑にして、そのややこしさについて行けない人間を監視し、サボっている人間をすっぱ抜くためにできたシステムでもないだろう。