ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

議論好き

 インターネットをみていると、みんなあらゆる問題で激しい議論しているようだ。それはそうだ。それだけ人口が多いのだろう。近所の飲み屋と違う。どんな問題でも関心あるひとがいて、それだけ細かい意見の食い違いもあるだろう。

 わたしはフェイスブックツイッターもやっていない、というか、そもそもスマホすら持っていないから、そういう場所がどういう潮流で動いているのかをよく知らないが、そんな自分でも多少は聞こえてくるニュースなどをみていると、現実世界と乖離している議題がずいぶん多いような気もする。

 よく「炎上」だとかいうワードを聞く。わたしにとっては何処吹く風だ。むしろ「炎上」という意味すらもよく理解していない。炎上?している?ほんとうに?話を聞いてみるとその議題すらも、聞いたこともない話題、というか、その言語自体が初耳の、まるで外国語のような言葉だったりする。

 だれ誰がどこどこでこんな発言をした。けしからん。といわれても、それがどこの誰さんなのかも、そもそも知らないし、みんながなぜ怒っているかすらも、解せない場合が多い。間違いなくわたしの勉強不足もあるが。

 わたしにとっては遠くで聞こえてくる「炎上」の噂は、まるで知らない国で起こった、その国に住む彼らしか分からない、とってもセンシティブな話題のようだ。

 たとえばどこかの企業のコマーシャルが炎上していると知れば、とりあえずその動画を見てみたりもする。ところが、わたしにとって、それは普通のCMだったりする。だから、わたしは大抵、そんな至って普通のCMをこぞってみる気持ちにもならず、なにも感じずに画面をそっと閉じる。

 それでもやはり頻繁に炎上しているという情報が入ると、なるほど、ちょっと印象が暗かったかな、だとか、伝えたいメッセージがわかりにくかったかな、だとか、思うことは思うが、ただ思うだけでそれを深く考えるまでには至らない。

 まして怒りを覚えることはまったくない。というか、そもそもCMで憤慨したことは一度もないし、なにか企業に改めてほしいと思った理念もない。だから、ああこれを怒っているかたは株主なのだろうな、と思うに留まるばかりだ。

 そもそもだが、「炎上」というのは、誰かが、たくさんの人たちから顰蹙を買って、目下、怒られている現象、という解釈でいいのであろうか?

 それとも、みんなが関心のある議題を取り上げて、単純に盛り上がっている話題を「炎上」といっているのだろうか?

 もし後者ならば、みんな関心があるが故、話題が盛り上がれば盛り上がるほど、怒るひともいるだろうし、擁護する意見もあるだろう。

 だとしたら、議論するのはとても良いことだと思う。わたしもどちらかと言えば議論好きなほうだ。ただし、顔を付き合わせた場合に限るが、わたしも友人や知り合いとは好んで議論を持ち掛ける。

 ただ、インターネットでの議論はその自由な特性もあるし、文字でのやり取りがメインだということもあるが、現実世界よりもずいぶんギスギスした言葉が飛び交っていることは明白だ。まるで、誰かを傷つけるためだけに発言しているような印象を持つ言葉も、間違いなく現実よりは散見する。

 わたしはかつて、友人とチャンピオンズリーグをテレビで観ていた際に、激しい討論となった経験がある。それは、わたしが、ベンチ入りしている選手のなかで、交代に呼ばれたくないな、と密かに思っている選手もいるかもしれないと発言したことに端を発する。

 友人は、そんな選手は一人もいないといった。わたしは、「もしかしたら、」の前置きをクドいくらいに付けて、「サッカー選手になったけれど、試合自体はそこまで好きではなくて、スタメンに入らないことをしめしめと思っている選手もいるかもしれない」というと、友人はそんな選手は一人もいないと念を押し、こんな素晴らしい一流選手たちを前にして、それは失礼だ。と憤慨した。

 憤慨といはいえ、それは「if」という前置きをつけての議論だったし、友人もそれをわかった上で、卓上に乗った議論を楽しむ前提での激しい議論ではあった。けれど、たまたまそこに居合わせた女友だちのたちは、余りに口角つばを飛ばすわたしたちに、気まずくなり、帰ってしまった。そしてさらには、わたしたちは彼女たちが帰った事実すらも気づかないほどに、議論を白熱させたのだった。

 ところで、わたしたち議論好きが巷でくだらない議論をしていると、まあまあ、と場をなだめようと努める人たちがいる。むしろ、この「まあまあ」派の人種がほとんどで、わたしたちのように誰かが提唱した意見でも推測でも、そちら側から仮想反対意見を立てて、わざわざ議論しようと試みるひとのほうが少ないように思える。

 ところが、インターネットではそういう側を担う役割があまり見られない気がする。ここに現実世界との乖離を感じるのではないかとわたしは密かに思う。インターネットは自由議論の場として最適なのに、「まあまあ派」が少ないことで、過激な言葉が飛び交ってしまうのではないだろうか。

 わたしたちはいくら議論が白熱しようとも、議論が終われば、まあお互い熱くなっているから、肩を組んで君が代でも歌っておしまいというわけにはいかないが、次の日にはころりと忘れて、また違う話題に花を咲かせることもできる。

 間違いなく一度でも「シネ」だとか「クズ」だとかそういう相手を傷つける個人攻撃は発しない。第一、それを言ってしまったら、それはもはや議論ではなくなるだろう。

 

 話題は多少ずれるが、わたし個人が議論というかおしゃべりをしていて、困るのは、「どうでもよくない?」という、意見だ。これは、なにかひとつの話題を掘り下げれば掘り下げるほどに、誰かしらから決まって出てくるセリフだ。

 それは「まあまあ派」の一派なのだろうし、他意のない、場を収めようとするだけの、或いは他の話題に移ろうとするサインなのだろうが、熱く感情を高ぶらせている場面で、「どうでもよくない?」とぴしゃりと言われると、肩すかしというか、それはそうだし、そもそもはじめからどうでもいい議論をしているし、わかっているし、と、悶々と思いながら、要するに、ぐぬぬと唸ることしかできなくなる。

 だから、わたしたちのように鬱陶しい、下らない議論好きと飲み屋かなにかで遭遇してしまったならば、彼らを黙らせるに方法は簡単だ。場面が白熱してきた頂点で、ここぞとばかりに、「っていうか、どうでもよくない?」と一言いえばいい。きっと彼らは、ぐぬぬ、と唸り声を漏らすに違いないだろう。