ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

宇宙へと飛び立つ自慰

 弁証法というものがある。これは哲学用語だったか。対話によってより高次元の考え方を生み出すという方法。だったかな。あまりにうろ覚えの不確かな情報だが自分ルールにより検索はしない。

 高次元はともかく、他者との会話のひとつの醍醐味ともいえるのがこれで、自分では思ってもみない方向に思考が進むと、やはりわくわくするものだ。

 あの頃のわたしはサルだった。若く煩く騒ぎちらす、かろうじて人型を保ってはいたがマインドは間違いなくサルだった。ある日わたしは友人たちとオナニーの話をしていた。態勢や場所、どうやって親の目をかいくぐって独りになるかを話し合っていた。

 当然の流れとして、俗に言う「オカズ」の話題になった。芸能人やハリウッドスター、近所のカワイイ子、中学時代の女子。どこまでいけて、どこまでいけないかをお互いが詳しく語った。

 わたしたちは際限がなかった。結論からしてわたしたちはどこまでもイケた。友人のひとりはわたしよりも遙かに想像力が豊かで、穴ならばなんでもいけるとうそぶいた。ペットボトルにさえ発情できるといった。

 わたしはムキになり。それは違う、といった。「質」が問題だと言い返した。そんなものは純真無垢なオナニーとはいえまい。おまえのはただの生理現象としての自動処理だ。そういった。

 そう質だ。例えばわたしはクラスの女の子を想像し、その娘を愛する。あらゆるシチュエーションでデートをし、あらゆる体位を試し、彼女にあらゆる喜びを享受する。妄想のなかで完璧な関係を築き上げるのだ。

 すると友人は、それではその娘を完全に好きになるのか、と訊いた。そうではない。わたしは答えた。行為が終わるとそんなものは雲散霧消してゆくのだといった。それが完璧に純潔な妄想行為だといった。それは彼女に対する冒涜ではないのか、と彼はいった。そうではない。わたしは繰り返す。行為が終わればすべて消える、彼女の気持ちもわたしの気持ちも、それに終わってしまえばかつて抱いた感情など、誰も知る由もない。だから誰も傷つくことはない。それこそが自慰の神髄というものだ。わたしは得意げに語った。すると友人はこういった。だが、おれがいま知った、と。

 確かに。知ってしまったからには、第三者が入ってしまった事態で、消えた気持ちも、かつての妄想としての秘め事も、無ではあるまい。

 ただし、ここまでの一連の告白自体を、自慰行為の延長だとするならばどうだ?わたしはある仮説を立てた。わたしはわたしの淫らな想像の片鱗を他者に伝えることにより、より高度な自慰テクニックへと昇華する。なぜなら、わたしの妄想はもはや他者と共有し、尚且つ、それを自ら、俯瞰でみることによって、わたしはわたしの妄想を誰かに見られているという二重の妄想を抱く。どうだ、これは考え方によってはかなり淫乱なものではないか。

 そうかもしれない。彼は静かにうなずいた。だが、それならば、そのことを彼女にも伝えたらどうだ?彼はいった。

 彼女に、夕べはきみを想像して自慰に耽った、と、伝えたらどうだ?そちらのほうがおまえの理論では、今宵の自慰がより高みへと昇華できると思わないか。

 それは違う!わたしは声を荒げた。

 いまからその子にコクってこい!彼も声を荒げた。

 違う!それは違う。わたしは弱々しい声を出す。

 それは違う。

 そんなことをしたら。わたしはハッと気がついた。この理論が破綻していることを。そんなことをしたら、それはオナニーではなくなる。

 わたしが力なくそういうと、友人はニヤリと口角を曲げ、静かにこういった。

 そう、それはオナニーではない。それはプレイだ。それは世に言うオナニープレイだ。

 わたしは愕然とした。それじゃあ・・。

 言葉を失ったわたしに対して、友人はゆっくりと口を開く。

 そう、このおれが、おまえが自慰をしている事実を知ってしまった以上、真の自慰とはいえまい。もはやおまえはあのムスメをオカズに純粋な自慰行為に耽ることはままならん。

 わたしはすっかり意気消沈した。その場に僅かな沈黙が訪れ、それから、友人はその静寂を待っていたかのように、優しく言葉を続ける。

 だが、あいわかった。おまえの高尚なまでの妄想は、おれも理解した。

 おまえのその妄想、いやまさにその愛情は、人に話せない。話した時点でプレイになってしまう。では、そのおまえの愛情や妄想は何処に行く?

 何処へ行く?改めて問われ、わたしは言葉に詰まる。人には話せない。誰にも言わず、誰も知らず。だが、たしかにその感情は心に残る。心に残った意識は何処へ行く?人に決して認知されることのない意識はどうなる?わからない。わからないものはなんだ?わからないものがわからない所へ行き着く、この形はないが決して無ではない感情はなんだ?いったいどこへ?わたしは苦し紛れに絞り出す。

 う、うちゅう?

 友人はにっこりと笑い。そうか、宇宙へ行くのか。と、つぶやいた。

 そこから、わたしたちはまるで決められた台本を読み上げるように、謎のパズルを仕上げていくように、言葉が自然と溢れてくる。

 誰にも知られることのない、熱い情熱。知られてはいけない、人に認知された時点で破綻する真実。けれどたしかにそこにある感情。男子ならば誰でももっている妄想。それら意識の集合体。いったい誰がキャッチする?人類ではいけない。宇宙人?いやそうでもない。「無」であり「有」の集合体。それは宇宙に飛んで行くのだ。わたしたちのモノリスは猿が宇宙に投げるのだ!

 高揚するわたしたち。まさに意味の無い討論の末たどり着いたより不毛な答え。だがその答えすら、誰に知られることなく宇宙へ飛んで行くのだ。

 ところがそんなわたしたちは、隣でじっと押し黙り、一連の会話を聞いていた、もうひとりの友人の存在にようやく気がつく。

 それで?おまえのオナニー論はどうなんだ?

 友人がそう訊ねると、もうひとりの友人はゆっくりと口を開く。

 おれの自慰は色即是空。何処にも行かず、何処へも飛ばない。常に内なる宇宙に向かって繰り広げられる。もはやそこには妄想すらない。女も、男も、もはやスケベ心さえも無い。まさに「空」。

 そうして、その友人は、泰然とした所作で掌を合わせる。わたしたちもつい、つられて、黙ったまま彼に従う。

  合掌。