ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

クマゼミが鳴く

 短い盆休みも終わって金曜日。どうも仕事に身が入らない。つまらないイラストの依頼が大量に入っているせいでもあるが。

 外でシャクシャク鳴いているのはクマゼミだろうか。クマゼミなんて関東ではほとんど見ないやつだが、今では温暖化のせいで北上してきているのだろうか。

 生き物は順応する。でないと種を繋いでいけないから。場所を追われどんなに環境が変わろうとも、生きられるものは生きて行ける。

 後輩が遅い就職が決まり、田舎の父親と話している時、結婚はどうしただとか子どもはどうなっているだとか、矢継ぎ早に訊ねられたそうだ。後輩には彼女もいない。当然、なんの予定もない旨を伝えると、「お前は気の良いやつだが生物学的には敗者だな。」というようなことを言われたらしい。

 父親として、息子に対して言ってはいけない言葉というものがあるだろうが、人間というものは往々として一番近しい人間を無意識に傷つけてしまうものだから始末に悪い。

 それをいわれたらわたしは後輩を遙かに追い越した敗者でもあるが、まあそこは置いといて、こういう意見はあまり都会では聞かない。彼の父親も、ある程度の都会に住んでいたら、そういう考え方だけでもない別の生き方に、理解を示したのだろうか。

 田舎者というのはただ単に言葉そのものの意味ではなくて、狭い世界観でまとまってしまった思考を揶揄する言葉だと、つくづく感じる。

 彼の父親がより都会へと北上してきたら、はたして息子の考え方へと順応できるのだろうか。

 わたし個人としては、この国において、田舎に留まること自体が人生の勝ち組だとも思う。都会に出てくる人間は、きっと何かに追われていて、やむを得なく違う環境に順応しようともがく、厳しい立場の人間だと思っている。

 それを理解しないで、何も考えずに、もといた場所に留まり続けられるひとは、出て行ったひとを僻む傾向があるように思える。なぜだかしらないが。それで、都会の人間も意地を張って、彼は田舎者だ、とこうやり返す。世界はこうして分断されてゆく。

 クマゼミは幸せだろうか。たとえばヒアリだってそうだ。外来種はいつでも爪弾きものだ。ネットの情報はずいぶん世間と乖離してしまった。ブラウザを開けば服の破けた幼女のイラストのバナーが踊る。ロリータ趣味が世間の主軸となっているのなら、わたしは自分の狭い世界から飛び出さず、喜んで田舎者と呼ばれよう。指を立てて「いいね」だなんて。ちょっと前には反発する意見も聞こえたが、今ではみんなうまく順応しているものだ。それも悪くない。だが百人だか千人だかの顔も知らない「フレンド」に、食い物やブランド品を自慢することがネットの最終形態とは到底思えない。草薙素子がダイブした未来は、いまではちっとも羨ましくもない。

 アメリカはいったいどうなっているのだろうか。トランプ大統領は。彼らの言動を見ていると「七人の侍」を思い出す。百姓はずるくて泣き虫でケチで人殺しだ、とかいう三船敏郎のあのセリフだ。彼は劇中こう続ける。でも、それをつくったのは誰だ?それはお前ら侍だ!ドナルド・トランプはその侍だ。

 世界は常に分断されている。わたしはクマゼミでありヒアリでもある。仲間の少ないこの街で鳴き続ける。