ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

退屈と変化の予感

 週末はちょっとした用足しをし、肌触りの良いTシャツを三枚買う。あまりクーラーの効きすぎない涼しい場所を探し、いつものように近所の飲み屋をうろつく。ビールからはじめ、グラスで白ワインを二杯飲む。いきつけの寿司屋で少しだけつまみ、冷酒を二合づつ飲む。おおむね同じ週末。夜風は心地よく、テレビはいつもくだらない。同じことをして月曜日に備える。いつもと同じ、素晴らしい週末。

 わたしにとって、退屈な日々は極上の毎日だ。欠陥のある人間は変化を恐れるらしい。だとしたら、わたしは変化を恐れて、自ら退屈な毎日を送っていることになる。もちろん長い年月のなかでのゆるやかな機微はあり、毎日機械的に細分化されたスケジュールで動いているわけではない。

 やはり変化を恐れているところはある。なぜなら、わたしにとってのそれは常にろくなものじゃなかったからだ。経験からいって。

 なにかが変わる瞬間には、どこかで啓示がある。その時は気にもしないが、少しだけ角度を変えてみると、それがどんどん輪郭を表す。振り返れば、決断はいつでも確たる決意のもとには行われない。ただ、成り行きと、静かな予感だけがある。あとで言葉は付け加えられる。理由は言葉で脚色される。そんなもの。

 「きみは変わらないね」と言われる。わたしは変化する時の流れを思い出す。変化していてもなお、誰にも気づかれていないという事実におののく。「きみは変わったね」そう言われることはほとんどない。そう言われてみた時の、シュミレートをしてみる。そのとおり、わたしは変わったよ。わたしは素直に言えるだろうか。