ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

普通の人

 すごくニッチな研究をしている生物学者(名前は忘れた)が言っていたのだが、その研究をするにあたった動機は、「みんなが好きなことをしたら、それはそれで狭い世界になってしまう。」とのことだった。

 個人の心情として、好きなことをばかりに関心をもって、それを研究し、より高みを目指すことは素晴らしいことだ。けれど、人類にとってはどうだろう。できるできないはさておき、個人の趣味だけにまかせていては、人気のあることばかりが優遇され、どんどん研究されて、みんなの関心のない物事を、人類はずっと知らないままになる。

 メディアによく登場するジャンルの研究者は、おそらく世間が関心のあることを研究している。けれど、実は、研究者の多くは彼のような美学を持っていて、人類のあらゆる物事を細分化する役割の一端を、使命感を持って担っているのだろう。

 それから、夕べテレビでみた、世界中の水族館に深海魚を主に提供しているかた(名前は忘れた)。そのかたはかなり有名で、テレビでもたまに取り上げられるのだけれど、彼はものすごく楽しそうに目当ての魚を捕っていた。本当にその仕事が好きなのだということが伝わった。

 どちらもすごく素敵な人だった。それと、後者の水族館のかたが、楽しんでいるからといって、それが悪いことでも人類のためにならないという話ではない。彼がうわべだけでなく、とことん突き詰めて進む探求者だということも伝わった。それに、なにかを突き詰めることは、実はどうしても世間の関心事とは違う深みまで行き着いてゆくこともわかる。

 要するに、何かを突き詰める仕事において、楽しみながらニッチな深みに行き着ける人が最強ということになるのだろう。

 

 私事としては、前者の生物学者の方にすごく憧れる。わたしはどちらかというと、後者の水族館のかたのタイプだ。楽しいと思うことに常に関心事があり、自分の主張があるとしっかり伝えたがり、なんとなく好きなことをしていたらいつの間にか仕事になっていた、というタイプだ。もちろん彼の仕事の大きさには到底及びもしないが。どこまで人類に貢献しているか、だとか、どこまでメジャーか、あるいはニッチな仕事をできているかという話ではない。わたしはその生物学者の、職人気質な精神性に憧れたのだ。

 

 そうだ、そもそもわたしは職人に憧れている。ネジやなにかの部品などをひたすら造る職人。「こんなこと誰も関心ないでしょ」といいながら、誰にもできないことをひたすら突き詰める職人気質な人々に激しい憧れをもつ。

 わたしは好きなことは好きで、興味ないことはなんの関心も示さない。話し好きで酒も好き。人付き合いが好きで、人見知りもなく、どこでも呼ばれれば楽しめる。間違いをそのままにはできず、時には目上の人にも進言する。だから大きな組織には所属できないが、大きな組織の飲み会にはなぜか呼ばれる。

 要するに、社交性が高く、そのくせ確たる個人の主張をもっているので、フリーランスのような仕事でもなんとかやって行ける。一見するとオープンマインドな人種で、今でこそ「リア充」だとか揶揄されがちだが、世間的には「なかなか良し」とされる性格をもつ。

 

 だからこその悩みも不安のある。好きなことを好きというのは、興味/関心事の有無で、仕事の精度が変わってしまうかもしれないという不安が常につきまとう。あけすけな性格ということは、内気なひとの心情に対する配慮に欠けるということになる。主張が強いということは、小さな声を聞き取れない。酒好きということでさえ、下戸のひととのコミュニケーションが難しいということにもなる。

 

 一方で、わたしは社会というか世界というか、そういうものの、一つの部品になりたいという願望がある。わたしは常々、「普通」が最も優れていると思っている。そしてわたしは「普通の人」だという自負もある。そもそもみんな誰もがそれぞれの価値観を持った普通の人だと思っている。

 だが、本当はなにかの物事に対して、好き嫌い問わずひたすら突き詰められる職人気質な人々のことを、「普通の人」という概念に最も当て嵌まるのじゃないだろうかと感じている。そうだとすると、わたしはその概念には当て嵌まらない。わたしはどこかで、何者でもなく、誰にも知られることもない、何も望むこともない、時が来たら静かに消え去る、小さな細胞の一部でありたい。