ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

少しやってみる。

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 少し早めに眠って、少し早めに起床する。少しぱりっとしたシャツを着る。鉢植えの植物をじっくり眺め水をやる。靴ひもを結び直す。いつもよりゆっくり歩く。しかめ面をやめてみる。

 冷たい缶コーヒーを買う。ジャンパーのチャックを少し開けてバイクを走らせる。いつもとは違う道を通る。横須賀線と併走する。いつもより他人に道を譲ってみる。

 ちゃんとおはようの挨拶をする。タバコは吸わず窓の外の緑をながめる。ぐいっとコーヒーを飲みほす。少しだけ居住まいを正してイスに座る。少しだけ真摯になって仕事に向き合ってみる。

 夕焼けを眺める。ビルの群れの稜線を目でトレースする。鳥の声を聴く。小声で一緒に歌う。帰りも違う道を通る。歌謡曲を歌って走る。信号待ちでも歌い続けてみる。

 ただいまを大きな声でいう。だれも居なくてもいう。部屋着を着て、着ていた服をちゃんとたたむ。牛乳を飲み、ゲームをやらずに帰りを待つ。ただいまの声が聞こえると、おかえりなさいを大きな声でいってみる。

 テーブルを片付ける。ワイングラスを用意し、ナイフとフォークを用意する。少しだけ料理を手伝って、盛りつけを自分でやる。おいしい料理を少し大袈裟に表明してみる。

 身体を入念に洗う。髪も丁寧に洗う。歯も長めに磨く。デンタルフロスも入念に。久しぶりに鏡をみる。自分の身体を眺める。表情筋を動かす。上手く笑えているか確かめてみる。

 深呼吸をする。屈伸もする。間接の隅々まで動かしてみる。裸眼のままみる小さくか弱い星の光を数えてみる。ふと、タバコをやめようかとおもってみる。せめて電子タバコにしようと思い直してみる。

 ヨギボーのクッションに身体を丸々うずめる。パソコンのパスワードを打ち込む。様々なニュースを巡る。様々な世界の話を訊く。

そうして、キーボードを構えて、文字をタイピングしてみる。

そうして、一日の終わりを噛みしめてみる。

なにがあって、なにを感じたかを反芻してみる。

右手と目玉をねぎらってみる。

ベランダからみえるシートをかぶったバイクに感謝してみる。

かのじょに感謝してみる。

ひととの繋がりを数えてみる。

休日の予定をあれこれ考えてみる。

裸足でやわらかい土を踏むことを想像してみる。

外でお酒を吞もうとたくらんでみる。

もっと美術館に足を運ぼうと考えてみる。

もっと映画を観ようとおもってみる。

もっと本を読もうと目標立ててみる。

根拠もなくダイジョウブだいじょうぶといってみる。

イデアをこぼさないようにしようとおもってみる。

夢をもって生活しようとおもってみる。

なんでもいいから目標を立てようと考えてみる。

ひとの悪口はいわないようにしようと決心してみる。

常に清潔にしようと心がけてみる。

大切なことは二回いおうとおもってみる。

休日には一部でもいいから掃除をしようとおもってみる。

ありがとうを沢山いおうとおもってみる。

母親に線香をあげてみる。

笑顔を忘れずにいようと願ってみる。

なんでもやってみる。

これからも好奇心の赴くままに、もう少しやってみる。

背筋をぴんと伸ばしてまっすぐ前を見つめてみる。

もう少しだけ他人を信じてみる。

 

みえない誰かに何かをいってみる。

声に出していってみる。

オウトウセヨといってみる。

いつでもどにいてもいってみる。 

 

少し飛び上がってみる。

信じたものを、信じてみる。

 

100回目の飛行訓練。

少し浮き上がれたような気持ちになってみる。

だからヌード展、は語れない。

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 週末は例の如く昼ひなかから吞んで、「ヌード展」を見学しにいって、これがすごく良くて横浜美術館を見直して、気分も良くなりさらにたらふく吞んで食べて、ラムなんて買って帰ってしまい、翌日になれば、これまた恒例となった『胃腸を壊した二人は向こうひと月は一切酒を呑まず、健康的な野菜生活を送る』という、どうせ数日で反故になる決意をしたので、そのことをつらつらお気楽にタイプしようかと頭の中で思い描いていたのだけれど、近頃の国内外のニュースをみていたら、それどころでもない憤りみたいなものが心をどんよりと渦巻いてきてしまって、そんな気分でもなくなったので、書くのを止めたのが、前日のこと。

 

artexhibition.jp

 

 頭ではお気楽にアートみたいなことやヌードみたいなことやマティスやベーコンやピカソやついでにいうとロダンに対する率直な感動で火照っているのにもかかわらず、心では体たらくな官僚や政治家やサイコパスな大国の大統領たちやミサイルなんかのことを憂う気持ちでいっぱいで、いろんな方向にとっ散らかった心模様のまま、こうして文字を打つこと事態、無謀だし失礼だともおもういっぽうで、なにかしら一貫したことをひとのために発信しようと決意したことなど、もしかしたらわたしはないのかもしれず、そもそもこのような僻地の日記がポリコレだとか右だの左だのにそこまで神経質になる必要もないのだろうとはおもうので、これからはいささか強めに言葉を発してもみてもいいのではないだろうか、と、おもったり、おもわなかったり、が今の現状。

 

 とはいえ、アラーキーパワハラだかセクハラだかで訴えられただとか一連のミィトゥ的流れだとかに絡めて、それこそこのあいだ観たバルテュスの絵画を卑猥だとか相応しくないだとかを、ましてフェミニズム的な目線で今回観たヌード展を語るようなことはしたくはないし出来もしないだろうし、だったらやはりよくわからないなりにもヌードをアートとして、もしくはアートはアートとして、同時にエロはエロとして、素直に楽しみたいとおもう姿勢は保っていたい。

 

 さりとて、セクハラ発言をがっつり録音されているにも関わらず、見苦しい言い訳で逃れようとする恥ずかしい官僚も、それをかばおうとする廻りの動きも気持ち悪いし、そもそもレイプ疑惑をかけられている人間すらも、お偉いさんのお友達だからというだけで、未だにどこぞでいきがっていられる油くさいオヤジがひとりでも存在しているだけでも虫ずが走るし、そういう方面からものをみれば、不格好な形で硬化し続ける古臭いさざれ石とやらなど早く壊れてしまわないだろうかなんて、乱暴な気持ちになりもする反面、性差的なマイノリティに悩むひとたちの苦しみにももっと配慮や理解が必要なのかなとも感じたりする。

 

 だからといって、弱者の傘に入り込んで被害妄想的パラノイアで土下座しながら殴るような卑怯者にはなりたくもないし、配慮に次ぐ配慮でおまけにソンタクだの刑事訴追の恐れがあるので発言は控えさせていただきますだの政府としての見解は控えさせていただきますだの、壊れたラジオのように繰り返すだけの老人になるのだけは最も避けたくもおもうし、そんな詭弁というかもはや日本語として成立しているのかすら怪しい霞が関文学だかなんだかしらないが安易に文学を語るなと憤ることすらばかばかしい言葉を並び立てて、その場が凌げるヤクザな業界がこの国のトップに君臨していることにウンザリして、腹も立てているさなかにでも、中東ではミサイルが落とされ続けて関係の無いひとたちが沢山死んでしまっている。

 

 そもそもこういうことをぼやいているだけでやれ右だ左だと決めつけられる不本意だし、そんな区別や色分けをしたところでなんの解決策にはならないだろうし、それならばとある種の怒りみたいなものを原動力にしたり、革命を求めて血の気の多い思想を持てば、それはたぶんまた新たな混沌をもたらすだけな気もするし、だいたいにしろいくら高尚な理想を掲げていても、暴力でねじ伏せるようなことであっては、その新しい世界とやらはたぶん今の世界の在り方とほとんど代わり映えもしないことだろうに。

 

 そんなこんなで、如何ともし難くさりとて智に働けばかどがたち情にさおさせば流されて意地を通せば窮屈だ、だとかいって、とかく人の世は住みにくい、だとかなんだとか、漱石だか世捨て人だか仙人みたいな上手いことをひとつぶってみても、座布団ひとつももらえないだろうしどうにも締まらないし、今日もわたしは何かを言っているようでいて、何も言っていないし、けっきょく石のように凝り固まっているのはわたしであり、ひと様のことなど偉そうに言えやしない。

 

 それにはじめから分かってはいたが、こんなにも纏まらない気持ちのまま何かを発信しようとおもうこと事態うまくいくわけもあらず、かといえ、ヌード展の率直な感動みたいなものをいまさら柔らかく伝えることなんてできそうにもないし、そんな心持ちだから例えば映画のことを話したくても高畑監督の訃報とかそういう悲しいことが頭によぎると、戦争に対しての自分の無力さだとか表現力の拙さだとかにますますゲンナリしてしまい、楽しい気持ちにはまだなれない。

 

 だから本当はアートとかヌードだとかをムリに思想に絡めず配慮も抜きにして、おもしろ可笑しくただ語りたかっただけなのだけれど、それこそもはや配慮に欠けるような気持ちになってしまい、どうも饒舌になれないし、むしろそういうことすら気軽に話せやしないのがもはやウェブ空間の現状で、実は当たり前なことなのだともおもうし、そういうことはみうらじゅんさんみたいなスタイルで端からこちとらサブカルなんでくれぐれも重く考えないでくださいよぬへへみたいなアプローチが正解なのだろうなともおもうし、そもそもウェブなんてものはカワイイ動物とかを眺めることを主なる目的とした媒体と割り切って、そういうものが唯一心にうるおいをもたらすオアシスたり得るのだとおもえば、まあ、逐一悶々とすることなくやり過ごせはする。

 

 ともかくなにがいいたかったのかといえば、お勉強をして然るべき場所に収まりさえすれば、どんなに恥ずかしいことも不正もまかり通って、お金の力でねじ伏せてやりたいようにできていて、さらに上の大国からの命令次第で戦争している地域に徒手空拳みたいな状況で向かって日報すら残ってませんだとか、おっぱい触らせてだとか縛っていいかだとか、さかりのついたガキでももっとスマートにいうようなことを平気で臆面も無くいうようなセンスゼロのセクハラおじさんや凝り固まったうえ嘘つきの老人ばかりがトップにいるから、本当は尊敬しなければいけないし尊敬するべき目上のひとやそういうひとが苦労の末に築いてきた文明も霞んでみえなくなるし若いひとはますます信用できなくなるし、あるいは信用したくても無理があるので仕方なしに盲目的な選民思想みたいなことで己のアイデンティティを守ろうと必死になる若者が増えてしまうのは無理もない。

 

 そういうくだらない大人ばっかりだからどんどん若い人もばかにして見下して目の敵にしていっぽうでは学歴さえ高ければそういう業にまみれた世界の一員になれるとおもいこんで世界を舐めてしまうし、それに対して我々大人たちは明確なアンサーもなく恒常的なはぐらかし文化にどっぷりつかってしまっているから、上手くたしなめることもできずにいる。

 

 だから、そういうことばっかりが頭にぐるぐる巡ってしまうから、このラインが美しいとかこういうフォルムが素敵だとかエロいだとかあるいはその両端に宿る滑らかで健全な情熱や情動こそが名状しがたい芸術性なのかもしれないだとかなんとか云々かんぬん素直に語ることすらはばかれてしまうような気持ちにもなるし、おっぱいおっぱい言うのが楽しくて仕方が無いような三歳児からまったくシナプスの繋がっていない脳みそを持つような大人がこの国のトップに君臨し続けるような恥辱を、一国民として甘んじなければならない現状を鑑みれば、ただひたすらに興ざめしてしまって、ヌードに対するわたし個人の捉え方なんて、語る気も失せる。というのが今のわたしの現状。

 

 それでもなんだかこういうことをぷちぷち呟いているだけでも、とても心が落ち着くし、そもそもここはわたしの空間なのでこんな感じでも良いのではないかという気持ちにもなり、ここ数日わたしはわたしのこの空間の在り方というか方向性に完全に迷子になっていて、こうしてわけのわからないことを呟いているのだけれど、ブログは自由でいい楽しくなければ続かないとか、やさしい言葉をかけてくれるひともいて、そういう優しい声はやっぱり元気づけられ、だったら迷走続けながらもなんとかぼちぼち気楽にやっていけばいいのかなという気持ちにもなってくる。無理に有用なことを発信しなくてもいいのだと、Twitterでも始めようかしら。スマホ持ってはいないけど。

オヤジっ!【創作編?】

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 わたしの親父は社会不適合者で、一応本職を持ってはいたが、テキ屋のようなことばかりをやっていた。

 彼からは教育らしいことはなにも受けなかったけれど、そこは反面教師ともいうべきか、わたしは勝手に、彼の人生からは多くを学ぶことができたとはおもっている。いつの世も子どもは勝手に育つもの。

 

 教育らしいことは受けてはいないといったが、正確にいえばそうともいえない。己の欲求に極めて弱い親父は、その本能の赴くままにわたしを連れだし、大いに遊び呆けたのだった。そう、遊んでくれた、ではなくて、ただ遊んだのだ。自分が。

 それでわたしは、勝手に遊ぶことだけを学び、また、そこから勝手に学ぶことをまなんだ。そしてそういう関係が通常で、よそ様もそれが当たり前なのだろうと、いまでもおもいこんでいる節がある。

 

 気が向くと親父はわたしを縁日や繁華街に連れ出した。近所だったり、川崎大師だったり、浅草だったり上野だったり。とにかくそういった当時の、昭和の時分でさえ、より情緒(←)溢れる街並みがたいそうすきだったようだ。

 

 親父は別に何をするでもなく、ぷらぷらと歩き回り、ときどき胡散臭い大人たちと言葉を交わし、わたしが望めばリンゴ飴や駄菓子の類いを、渋ることなく与えた。

  時々足を止め、リンゴ飴にしゃぶりつくわたしに肩車なぞをして、叩き売りの口上を聞かせたり、テキ屋を巡ったり、サクラを使った商売(?)の手法を解説したりした。あいつがオヒキであいつがサクラで、あいつがカモだ。親父は小声でそんなふうに囁くのだ。

 ひとりの男がメッキ製のブレスレットやパチ物の時計に難癖つける。するともうひとりの身ぎれいな男が「こりゃホンモノじゃないか!」と大仰に驚いてみせ、すぐに金を払う。すると遠巻きに眺めていたカモになる男が強い興味を示しだす。難癖男も我先にと金を出す。そして身ぎれい男の「これは全部買い占めてもいいのかね?」という質問がトドメとなり、カモは慌てて財布を取り出す、という算段だ。

 

 親父は一連の流れをわたしにみせると「な、」とだけいい、再び街をぷらぷらと歩き出したものだ。祭りや縁日でもたいがいのものは買ってくれたが、なかには小銭を出してくれない時もあった。束ねられた紐に景品が繋げられているクジ引きや、単純な三角クジなどがそうだった。

 幼いわたしがあれやりたいと指をさしても、親父は「やめとけ、」とぴしゃりとひと言。だがそのひと言だけで十分だった。親父にそう言われたわたしは決まって例の「な、」も同時に思い出し、そうなると、簡単にクジへの興味も次第に消滅していくのだった。

 

 また、いくつかの教訓も残した。それはわたしたちが幼少期を過ごした家の、押し入れの奥のベニヤ板に、実際に張ってあった。親父はその張り紙をときどき剥がし、おもむろに墨をすり太い筆で新たに書き加えていたものだ。

 そこに連なっていたほどんどの教訓を思い出すことはできないが、いくつかは憶えているものもある。

たとえば

  • 金は貸しても借りるな
  • 人を欺すなら欺されろ
  • 欺されてもわめくなかれ
  • シメサバには気をつけろ

 こんなようなことがひどく達筆で右肩上がりのクセの強い書体で書かれていた。もっともらしいことを書いているようにもおもえるが、結果を知るわたしからしてみれば、やはりこれは訓示なんてものではなく、自身への自戒に過ぎなかったのだと改めて感じている。なぜなら人様を騙すことや金をむしり取るは親父の専売特許であったからだ。

 ただし、年々めっきり生ものに弱くなったわたしの貧弱な胃腸にとっては、最後の教訓だけはいささか響くようだ。シメサバにはじゅうぶん気をつけるとよう。

 

 やはり親父のような人格を身近で目の当たりにしてきた身からしてみれば、彼の人生そのものがもっとも痛烈なまでに響いた教訓だったことに変わりはない。

 おもえばわたしの骨組みのある部分は、奇しくも、この訓示の言葉の意味をしっかり正統な意味で活用し、それを主軸に成してきたような気も、しないでもない。そう、子供は勝手に学ぶもの。

 

 つまりはそれが親父なりの教育だったのだろうなとは、薄く感じている。そして、そういう暮らしを通じてわたしが学んだことがなんだったのかと問われれば、それは“世渡り”という言葉につきるのかもしれない。

 

 愚か者のわたしが、いまはなんとか他人に迷惑をかけずに暮らしていけるのは、悪しき見本を身近に感じて育ったからに他ならない。

 わたしはその世渡りの技術をまっとうに活かし、まっとうな職業に就くことができた。すくなくとも、予定調和の三角くじにわざわざ集団でイチャモンをつけるような動画をネットにアップして、得意げな顔を晒すような、野暮ったく抜けた人種にならずに済んだことには、感謝しなくてはならないだろう。

 

 だが、いくら無頼者がはびこった時代とはいえ、親父のような人間が世間に許されやしないことはよくわかる。

 呑む打つ買うにおまけに暴力。よそに女をつくる子どもをつくる親類から金をくすねる、最終的には身を持ち崩す。多かれ少なかれざらっと考えられる人非人としての愚行のほとんどをコンプリートした人間が、世間様から批難されない道理など、いつの世でもあってはならない。

 

 ところが彼はクズだったけれど、いかなる場合も妙にフェアなところはあった。ケチでもなければ狡猾でもなかったし、貧乏人にも弱者にも比較的に優しかったし、なによりそういう感情には微塵も打算的なものは感じられず、獣のように自然に振る舞う姿を、魅力的に感じて、慕うひとも少なくはなかったようだ。

 

 また、どうしてあんなにも頑強な体躯の男から、わたしのようなひょろひょろで繊細な心をもった(!)人間が生成されたのか、時々不思議におもう。けれど、いまのところ酒が好きな所以外で、そこまでは悪しき遺伝子を受け継いでいないようなので、そこは深く考えないで置いている。

 

 それから親父は、思想を押しつけるような言葉はひとつも吐かなかったし、団体にすがりついて誇示しようとする姿勢もまったくなかった。一部の宗教団体にはなんとなく嫌悪感を示してはいたが、ほっとけばいい、とだけ、わたしに助言するに留めていた。

 

 あるいは彼は、生粋のアナーキストだったのかもしれない。柔らかく言えばだがアナーキストが柔らかく言えばだって?!)。彼からは政治的、あるいは民族的思想をひとつも感じ取ることはなかった。

 まあたしかに、学生紛争の時代には反体制側に回らずに、愚連隊として、○○団体から金を受け取り学生を殴り飛ばす側にいたそうだが、それはただお金が欲しかったからほかならず、右も左も関係なく殴り飛ばしていたらしいし、○○組の葬式に参加するために幹部襲名ビデオでそれぞれの関係性を学習するつまらなそうな親父のその姿は、思想もへったくれも無く、ただ縦割り社会をその場しのぎにやり過ごそうとする勤め人そのものだった。

 

 ともあれ、親父のクズエピソードは山ほどある。良くも悪くも。いや、悪くも悪くも悪くも悪くも・・・。

 百あるエピソードのなかのひとつのそう悪くもない話でさえ、いまにしておもえばギリギリどころか完全にアウトな悪行が含まれてしまっているのだからしかたがない。

 

 たとえばわたしは小学校低学年まで、渋滞を知らなかった。渋滞に巻き込まれると親父が逆走をするからだ。逆車線を走り、何食わぬ顔で先頭近くに割り込むのだ。なにかしらの行列にしてもそうだ。

 やがてわたしはそれがいけないことだと知り、ひどく恥じたこともあったが、親父はそんなことは気にしなかった。いつもの文字通り柄の悪い解禁シャツと短パンに真っ黒なサングラスにサンダル履きで、社会のルールやマナーなんてまるっきり無視ときたものだ。

 

 こんなエピソードは山ほどある。だがこんなことばかり書いていたら、おまえもどうせ同類なんだろうという声が聞こえてくるのでもう止めるとしよう。

 しかし、もし親父のようなヤツが現代社会に存在すれば、直ちに動画にでも撮られて世間に袋だたきにされて、おまけにわたしまで社会的に抹殺されそうだ。まあおそらく本人はそんなこと気にしないだろうが。

 それに、そういう時代だったし、ほんとうのことなのだもの、仕方がない。だれも過去を否定できやしない。 ひとつだけ残念なのが、当の親父が未だ過去の遺物でもないのだから、困ったものだが。

 

 (あくまで創作ということで)  

 

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拝啓 親父殿。

 どうやらネットの世界は冥界らしいからここに書く。

 

 はっきりいってあんたはいまの社会には、あまりにも不適合だ。

 残念ながらあんたのような人間が許される隙間は少しもないらしい。

 

 そうはいっても、おれからしてみればあんたがいろいろなひとに迷惑をかけたことも、それからふわっと消えたことも、別に気にしちゃいないんだ。

 あんたの性格からしてみたら、それでもずいぶん耐えたほうだとおもうよ。そうだろ?

 

 けど、お袋や兄貴やじいさまや、どこかの不幸な女の人もその乳飲み子も、あんたのしてきた仕打ちを、たぶん許しちゃくれないぜ。それは十分肝に銘じておきなよ。

 それから、そういうひとたちが許さないというならば、おれもその考えに従うよ。まあそこはわかってくれ。それから気にしないでくれ。

 

 知ってるか、あんたのせいで絶縁関係だった親戚とも、近頃は会ったりもするんだよ。まあ葬式だとかそういう場所ばっかりだけどもさ。

 「次はうちの親父の葬式であってくれ、」

 葬儀のあとは兄貴が決まってそう言うよ。

 それからみんなでうなずき合って、笑ってるよ。わかるだろ、そういう気持ちも。

 おれだって多少はそうおもうよ。

 

 だってそうだろ。散々ひとに迷惑をかけてきて、自分のルールでずいずい進んでいって、消えて。かとおもえば、酒と夜遊びがたたって不具者になって。けっきょく行くところもなくなって、兄貴の所に転がり込んで。

 まあ、まったく関与しないおれがいうのもなんだけどさ。兄貴のことを思うと、早くくたばりゃいいのになって、本当にそうおもうよ。

 

 それにさ、はじめに言ったけど、もうこの社会にあんたのような人間が許される隙間なんて、本当にないんだよ。

 いまじゃ世間はさ、どんな些細なルール違反も決して見逃さないようだし、弱いものを助ける義務なんて無いだとさ。

 しってるか?近頃は怪我した小鳥を助けたひとでさえ、法律違反と指さされるものらしいんだぜ。ラジオでいってたよ。

 つまりさ、みんな説明書ばっかり読んでるんだよ。説明書がすべてで、書かれていないことにケチをつけて、 おまけに改変されていくスピードが並大抵のもんじゃないとくる。

 

 そんな世の中、ムリだろ?親父は。説明書なんて読んだこともないだろ?

 それにさ、自分のことは自分で責任もてっていったのはあんただろ?だったらあんたの火花みたいな人生が、終わりにさしかかった今、潔く消えることもできないだなんて、あんた、それがふさわしいだなんて、おもってやしないはずだろ?

 

 だったら、なまじ身体が丈夫だったからだとか、憎まれっ子世に憚るみたいなことを、地でいってないでさ、降りなよ。すっぱりと。潔くくたばったらどうなんだって、おれだっておもうよ。あんたのためをおもってさ。

 

 そりゃ、くたばれだなんて、言葉も悪いよ。

 それでみんなでわらいあってるってのも、だいぶ悪趣味だとおもうよ。

 でもさ、みんな善良だよ。まっとうに働いて、まっとうに生きて、必死なんだよ。まっとうな人間がさ、怪物みたいに食い散らかした男の面倒をいつまでもみているなんてさ、それはあまりにもフェアじゃないだろ?

 

 くたばれくらい、言わせてやりなよ。まあ、あんたのことだから、そんな他人様の言葉も感情も、少しも気にしちゃいないだろうけどね。

 

 ま、とにかく、そういうことだ。

 ホント言うとさ、おれはあんたに言いたいことなんて、別になんにもないんだ。

 だからさ、まあ、おれのことは気にせずに、潔くしてくれよな。

 兄貴とかみんなのためにもさ、最後くらいは。

 いつでもあんたらしく。前のめりにさ。

 

 じゃ!

 そういうことで。

 もうはなすことはないだろう。

 さらばだオヤジ!

  来世で逢おう!