ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

リミッター

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 「怒り」は心の器がいっぱいになると爆発するもので、そのタイミングは自ら選んで爆発させているらしい。ラジオでえらい学者さんがそういっていた。

  つまり、怒りは蓄積されていくが、発散のタイミングはある程度、自分でコントロールでき、ひとはそれを無意識にも、自ら選んで爆発させているらしい。

 

 それはそうだろう。感情的になるとしたらヤクザのような風体のひとよりも、より立場の弱そうなひとを選んで怒るほうが得策だ。 

 この理論、平たくいえば、弱者だけに強がる卑怯者のロジックに当て嵌まり、DVやいじめやパワハラの構図の説明ともなるのだけれど、完全に否定できない部分もあるはずだ。誰にだって、思い起こせばひとつやふたつ、負けそうもない相手を無意識にも選び、怒りの引き金を引いていたような経験があったことは否定できまい。若い頃には特に。わたしだってそうだ。

 

 それは同世代に侮られないための処世術だったのかもしれないし、本当にあふれだした怒りだったのかもしれない。いずれにしても、当時のわたしは強面の諸先輩がたなどには、間違っても、そのトリガーを引こうとはしなかった。かなり理不尽なことを謂われたとしても反駁などせず、ヘラヘラと取り繕い、その場を凌ぐことにだけに集中していたものだ。確実にフラストレーションをためつつも。

 

 だがそれはたぶん遺伝子的には、理にかなった行動ではあるのだろう。きっと誰かれ構わず怒りを爆発させていては、そう長生きもできまい。たとえそれが正しい感情だとしてもだ。怒りのタイミングをコントロールすることは卑怯だが、生きるためには欠かせないリミッターでもあるのだろう。

 

 強い者に逆らうことはどうみても不利益だ。遺伝子的にも不利益。つねにキツネに立ち向っていくウサギなどいやしない。それこそ無謀というものだ。

  だが、立ち向かわなければいけない時は必ずある。不利益でも決して無意味ではない時がある。生き物にはそれぞれ、大きな力に抗わなければ、進めない時が必ずあるのだ。

 

 誰にでもなにかをぶち壊さなければ進めないときがある。不利益覚悟でそんなリミッターを振り払うには、遺伝子とは違う領域が必要となる。つまり勇気の領域だ。

  わたしは勇気とは先天的なものではないと思っている。そいつは後天的に、それぞれが生きていくうえで身につけるものだとおもっている。そして、勇気こそが唯一、理不尽に立ち向かい、卑怯者の怒りを制御する鍵だともおもっている。

 

 幸運なことにわたしたちの過去の英知は、たくさんの勇気にまつわる物語を残してくれている。たくさんの勇気にまつわる歌を歌ってくれている。だからわたしたちは物語を読み、あるいは歌う。時にそれらがわたしたちを卑怯者に成り下がることから救ってくれる手助けともなる。

 

 そもそも怒りは押さえつけるほうがいいのだろうか。それとも発散させるほうがいいのだろうか。

 近頃はアンガーマネジメントなんて言葉も耳にする。詳しくは知らないがこれはどうやら欧米のホワイトカラーあたりで流行りだした、怒りを制御する様々な方法らしい。

 なるほど確かに沸点の低い白人(偏見)のあいだでは、怒りは極力制御したほうが得策かともおもうが、この国のひとびとにおいては、制御するよりも、むしろ発散させる方向に重点を置いて考えたほうが良いようにもおもえる。

 

 また、怒りは、ひとの話を受け入れられないとこみ上げてくるものらしい。脳のトレーニングを怠ったりすると、ひとの話が分からなくなるし、聞こうとしなくなる。ひとは、ひとの話が理解ができなかったり、気持ちがわからなくなると、怒りに転換するらしい。

 脳のトレーニングというのはコミュニケーションに依ることが多いそうだから、孤立しがちなお年寄りはおろか、現代の若者も気をつけなければならないそうだ。

 それから、中年を過ぎると話を聞かないひとが多くなるのも、怒りっぽくなるという通説も、そういうことらしい。

  

 世の中を俯瞰的にみていると、みんな常に怒りを抱えているように感じるときがある。政治にしろ、仕事にしろ。どこもかしこも器はパンパンになっていて、今にも溢れ出しそうだ。いつもその矛先を探し、出し抜く相手をきょろきょろ探し、発散のタイミングを手ぐすねを引いて待っているように感じるときがある。みんなものごとの上澄みだけをすくい取り、わざわざそれを自らの器に注ぎ足しているようにさえおもえる。

  

 だが、そうおもういっぽうで、それはそれ、これはこれ。なにかしらが発散できているのなら、器の中身を少しずつでもこぼせているのなら、そう悪いことではないのではないかともおもったりする。少なくともため込むよりはマシなのでは。ラジエターに負荷を掛け過ぎず、うまく冷却できていればなんてこともないというわけだ。

 

 あるいは発散の受け皿になっているのならば、この際、なんでもいいのかも知れないとさえおもう。じっと耐えて、ため込むよりもずっと健全なのかも。

 それに、正しい怒りというものも、確かにあるのだとおもう。その活力を正しい方向へ向けられるのなら、きっと良いことに違いない。ひとは時としてクラッシュしながらでしか、前へ踏み込めないことだってあるものだ。

 

  わたしは性善説を信じているので、もっと深く潜ればきっとそこは案外優しい世界だとおもってはいる。少なくとも現実の世間と同じ程度には。ネットワーク全体がもうすこし深いところで繫がる未来を信じていたい。

 

 わたしたちは大人になるにつれ、怒りを自制する術を身につける。社会全体はそれを美徳とし、当たり前のように振る舞う。この国のひとびとはいつも怒りをひた隠し、ため込んでいる。器はもう一杯に溜まっているのに、どこにも溢そうとはせず、ひたすらにため込んでいる。ため込んだまま、飲み込んでしまう。

 

  怒りを飲み込むということは、そいつが自分自身に牙を向けるということになる。ひとはいつまでも自分自身に怒りを感じてはいられない。いつまでも耐え続けることはできない。ため込んだままでいれば、最悪の場合、自分自身を消してしまうことになりかねない。それは止めなければならない。そうならないためにはどうすればいいのだろう。答えも方法もそれぞれにあるはずだ。

 

 わたしだったらどうするかな。もし、近しいひとが激しい怒りを抱え込んでいたとしたら、どうすればいいのだろう。

 

  たとえばそういうときはこうしてみよう。

 とりあえず、ただ話そう。ただ話を聞こう。あるいは、静かに寄り添ってみよう。

 愚痴だってなんだって、いくらでも、言ってくれても構わない。場合によってはわたしをその矛先に向けてもかまわない。理不尽でもいい。その怒りをわたしにぶつければいい。わたしは一向にかまわない。

 だからまずは話してほしいと思う。たとえば愛するひと、信頼するひとならば、なんなら、二、三発、殴られたってかまわない。ほんとうにかまわない。そこはなんとか我慢しようかと。

 なぜなら、たぶん、怒りなんてものはそう長くは続かないでしょうからね。そういうものでしょ? 

 

泳ぐように暮らす

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 ここところまったくやる気みたいのが失せていて、なんだか喉の奥が狭まっているような気がしていたら、案の定、体調を崩していた。

 体調のせいでやる気が無くなったのか、五月の陽気のせいでそうなったのかは判然としないけれど、二、三日夜更かしせずにしっかりと眠ったら身体のほうは治ったが、やる気みたいなものはどうやら戻っては来ないのようなので、やっぱり五月病なのだろう。なんて、そんな気概をとりとめもなく綴ればこんなにも文脈に現れるものかとブツブツ

 

 ともかくそんな気分なので、いっそのこと底をつくまで体たらくな姿勢でいようかなと。いつも以上にゲームをやったりHuluで映画を観たり、お酒を呑んだりお酒を呑んだりして、頭の中をなるべく散らかさないように過ごしていたら、余計に散らかってしまったような気分。

 というわけで、いまは考えてタイプできるほどは、頭が働きそうもないので、散らかるに任せて指を動かすだけ動かしてみる。

 ごめんください。ブログとしてリリースしておいてなんですが、読まなくてもいいので書かせてください。という、毎度お馴染みの姿勢でね。

 

♯1

 週末、目当ての店がいっぱいだったので、気軽なバルみたいな店のテラス席で呑んでいた。そこは若者が沢山通る繁華街だったので、はしゃぐ彼ら彼女らを風景として、時にその頃の自分たちに重ねたり、時に道行くひとびとの勝手な批評をしたりしていた。

 近くに会場があるようで、テラス席の目の前で結婚式の二次会帰りのひとたちが沢山たむろしていた。ボウリングだとかカラオケいくだとか、これからどうするだとかをキャンキャン話していた。

 男子と女子の微妙な距離感と、お互いを意識するような、いやいや意識なんてしてませんよと余計に誇示するふうな、気のない素振りで、わざとらしい大仰な笑い声が飛び交っていた。若いなぁといいながらわたしたちは一本目の白ワインを注文した。

 

♯2

 かのじょが専門学校の非常勤講師をしていて、少々混んでいる時間帯に電車に乗る機会があり、電車通勤の話題になった。満員電車がいかに狂気じみているかという話題で盛り上がった。おかしな行動をとるひとや、かなり臭うひとのクレームを言い合ったりしていた。鬼の形相でイス取りゲームに参加するひとたちの滑稽さと大変さを、わりとゆとりある通勤時間帯で通えている身のわたしたちは、少々斜め上目線から、批評していた。

 

♯3

 あまり重たい会話を避けてライトな話題で場を繋げていると、おおむね悪口みたいになってしまうことがあるように感じた。外に出さずに内輪だけで盛り上がっているぶんにはガス抜きにもなるので、まあ仕方ないのかなともおもった。

 

♯4

 そのすこし前にタワーマンションのロビー前で気取ったポーズで写真を撮っている男女がいた。なぜそこをロケーションとしたのか推測したりして、眺めていた。男の子は膝を立てて伏し目がちに座っている姿がみえた。女の子は這いつくばるようにして必死でアングルを決めていた。インスタ映えかな。そうだろうね。

 テラス席で呑んでいると、撮影終わったのねと友人がいうので振り向くと、その男女が通りかかり、女の子がものすごく短いショートパンツを履いていて、太ももからお尻のはじまりの部分が見えていた。

 わたしはびっくりしてそのことをいうと、友人もわたしのかのじょも、ああ、いるよいるいるそういうコ、とケロリという。あまりに味気ないふたりのリアクションにいささか面食らったが、よくよく考えてみたら、まぁいるわなとおもった。「たしかに若い頃はケツ見えてるコいたなぁ、」と二本目のワインを注文した。

 

♯5

 別の日に、近所の行きつけの飲み屋でへべれけになって、バンド組もうかという夢物語に花を咲かせた。いつもの店員さんがバイオリンを弾けるという流れからの話題だった。

 ビジュアル重視のバンドにしようという話になった。店員さんはフランス革命軍の衣装を着て、眼帯をしてバイオリンを弾くことになった。わたしは胸まで空けた開襟シャツをきて“付け胸毛”をボーボーに生やして、もの凄く高い位置でガットギターを弾くことになり、かのじょは白塗りのおかっぱヘアーでオカリナを吹くことになった。

 ボーカルは顔はまずいがしゃがれ声に味のあるやつを探そうということになり、あとは何もしないとびきりカワイイ女の子をパフォーマーとして端に立たせようという話になった。ドラムを探すのが一番大変だね、ドラムはムキムキの男じゃなきゃならないものね、ゾルディック家のキルアのお父さん(*)みたいなやつ、どこかにいないかな、なんて話していた。

(*後ろにいる真ん中のひとがお父さん)

 

♯6

 なんにしても電車通勤は本が読めるからいいなぁ、とおもう。わたしも片道1時間くらいかけて電車通勤をしていた時期があった。往復で二時間。あのころが現役読書家としてのピークだったとおもう。今は半分引退してしまったように感じる。

 

♯7

 かのじょは日常生活を送っていると、なんの脈略もなく、突然降ってくる言葉があるらしい。その時々の流行りみたいなものもあるらしいのだが現在は「あばたもえくぼ」とのこと。

 テラス席でそんな話題をこれまたなんの脈絡もなく話し始めたかのじょにたいして、友人が、おれもあるよ「ミライヨソウズ」とぼそり。急に?急に。ドリカム関係ある?関係ない。自分の行動や思考とは関係なく、急に「ミライヨソウズ」が降ってくるらしい。電光掲示板のように文字が急に頭の中でカリカリと回転しはじめるらしい。

 考えてみるとわたしにも「泳ぐように暮らす」という言葉が思い当たったが、まあそれは降ってくるというのとは少々違うような気もするし、言葉自体が気取っているのでその場では発言せずに黙っていた。

 

♯8

 なんの話だそれ?と訊くと、まえに電車の車内で、乳幼児を連れたファミリーがやたらと多くて、車中になにやら生卵のような変なにおいが漂っていた出来事を話し出す。どこかの子どもがうんちしちゃったのかもね、小声でわたしがいうと、その時のかのじょはニンマリと笑ったままただ黙っていた。

 だが実はそこでも「あばたもえくぼ」が降ってきたらしい。ああ、なるほどね。けどそれは降ってきたわけでもないでしょ。まあね遠からずだよね。言い得て妙かもね。ちっとも匂わないんだろうね、父ちゃん母ちゃんは。

 

♯9

  個人的に川端康成の最高傑作は「山の音」だとおもっている。太宰治なら「津軽」。かなり前にかのじょにそれを勧めたのだけれど、「津軽」のほうはあまり楽しめなかった模様。それでなのか「山の音」に手を伸ばすことはなかったのだけれど、最近読み始めていたようで、もうすぐに読み終わるとのこと。こちらはかなり気に入ってもらえた様子。もうすぐクライマックスなのよぉ。ヤキモキした感じでいう。菊子が不憫で。しみじみいう。クライマックス。そんな山場みたいなところあったかな、川端康成に。「伊豆の踊子」でいえば半裸で主人公に手をふる少女のあたりかしら。

山の音 (新潮文庫)

山の音 (新潮文庫)

 

 

♯10 

 川端といえば「雪国」の有名な冒頭、『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。 』の箇所で、“国境”のルビを筆者がふっていなかったらしく、“くにざかい”なのか“こっきょう”なのか、どちらだろうという謎があるらしい。日本だし、「くにざかい」なのだろうね、とわたしがいうと、と・こ・ろ・が、とかのじょ。

 川端先生のご子息談によると、なんでも川端先生は文章にかなりのこだわりをもっていたようで、冒頭の文章で濁点を使うことは考えにくいらしい。にぁるほどねー。そんなものかしら。確かにいわれてみれば濁点て、気にしたほうが美しい文章になるのかもしれないね。そういえば大江健三郎先生も、「〜が、」で、“が”のあとに読点を打って文章を繋げるのは気をつけたほうがいいよ、といってたような。奥が、深いことで。

 

♯11

 なんにしても自己愛に溢れていることは良いように感じる。たぶん最悪の状況になっても自死だけは免れるのではないか。わたしもかなり自分のことがすきでなんの根拠もなく自信に満ちているが、膝を抱えて伏し目がちなポーズで写真を撮られるのは、さすがに恥ずかしいとおもう。

  

♯12

  実をいえば「泳ぐように暮らす」という言葉は、まえの奥さんの実家にあったポストカードに書かれていた言葉だった。

 そのカードがテーブルにあったのか冷蔵庫に貼られていたのかは思い出せないけれど、というかこんな言葉なんて思い出すほどのことでもなかったのだけれど、何年か前に急に降ってきたのだ。思い出すことなんて他にいくらでもあるはずなのに、なぜこの言葉なのだろうか。それは考えないようにしたい。

 ただ、いまはなんとなくだがその言葉の意味がわかるような気もする。そんなに優雅でもないけれど、ふわりと気楽な生活でもないけれど。

 せめて、くれぐれもお酒には溺れないようにして、不格好でも何でもいいので、気持ちだけはそうありたいとは日々おもったりもする。泳ぐように暮らせるよ。

 

(たぶん♯1〜12を組み替えれば、もうすこしマシな文章になるのではないだろうかと。やらないけれど。)

「考える」に留める。

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  一部の例外を除いて、いかなる行動も人間の本性として両極の面がある。必ずしも良し悪しで真っ二つに割れるものではないとおもう。

 

 なにやら保険の発展は海上貿易からだという。船に積んだワイン樽が海賊などに襲われて困っている業者にむけて、奪われたぶんを保証する代わりに随時保険料を徴収する商売がはじまったらしい。略奪者がいなかったら保険屋なんてものもなかったのかもしれない。そう考えると保険屋は略奪者に依存した商売ともいえる。

 

  なんにしても略奪された業者にとっては、ありがたいことではあるのだろう。そしてそれは略奪者にもいえることかもしれない。少なくともぶんどった同じ分量だけの良心の呵責に苛まれなくてすむ。

 

 そういう意味ではその界隈の経済は保険屋が回していたともいえる。結果的に誰も困ることがない。そんな謳い文句には誰しもお金を払いたがるものだ。

 

 それよりも昔では、用心棒が保険の役割を担っていてた。ひとは略奪を防ぐために腕っ節の強い男を雇うのだ。だがこのシステムは荷主の信用に欠いた。用心棒たちが結託して依頼主をすっぱ抜くからだ。彼らはつねに略奪者に豹変する危険と隣り合わせていた。

 

  さらに古代では腕っ節だけが頼りだった。その時分、世界は必ずしも略奪行為が悪と見なされてはいなかった。略奪と勝ち取ることの分別も曖昧で、いづれにしろ名誉とさえ考えられていた。

 だが強者も強者だけの世界でいつまでも戦い続けることはできやしない。だから彼らは弱者を庇護する代わりとして強さ意外の代償を求めた。

 そこで弱い者は頭を使った。道具を作り、鉱石を掘り出し、作物を育てた。そうして、徒党を組んだ。より強いものを中心として。

 

 結局、人類はいつも保険を求めている。安寧にたいする保証を求めている。じぶんの手にしたものや食料や財産をいかにして手元に置いておけるか。そんなことこそが人類の歩みともいえよう。

 

  そうして通貨も生みだした。ひとはひとの感情を信用していなかった。信用なんてものは感情論でなんとでも解釈できるからだ。貨幣には感情がない。そこがもっとも通貨の優れている箇所でもあった。

  通貨の価値は弱者と強者を別つものを曖昧にした。腕っ節だけではもはや強者とはいえなくなった。賢くさえあれば、誰にでも稼ぐチャンスがあるからだ。金さえあれば用心棒を雇えるし、軍隊だって作れる。たとえ奪われたとしても保険でチャラにすればいい。そんなことより軍隊さえあれば略奪だってなんだってできるではないか。損失も奪ったやつらに払わせるのはどうだ。

 

 こうしてより財産を持つものが世界の真の強者となった。ものを言わない貨幣価値は信用ができるし裏切りもしない。つまり保険屋と略奪者の両端を担えるのだ。

  ものごとを広げてみてみると、そんな構図を国家の実情にすっぽりと当て嵌めることができる。ひとは国家にお金を支払う。その等価として、略奪者からその身を守ってもらう。略奪者とは違う国家のことを指す。一方で、その違う国家とやらも、同じように国民を守る代償としてお金を徴収し、そして時として他国から略奪をする。お互い様というわけだ。

 

 ところが通貨を信用しない人間もいた。貨幣よりも感情に、あるいは自然や神秘に信用をおく人間もいた。そういう人間は古代から同時に存在した。

 だが彼らは、古代の野蛮さも信用していなかった。比較的に弱者の側にいた彼らはある意味では慈悲深く、争いごとを疎み、ひとびとが平等に暮らせるよう、調和を望んだ。

  そうして彼らは生みだした。概念を。宗教を神を。人類の平等を謳うためには、王は人である必要はなかった。人を超越した存在を創造し、それを信じた。

 彼らは信じることを重要視した。だが無いもの、見えないものを人々に信じさせることは、生半可なことではなかった。そのためには膨大な言葉が必要だった。それから膨大な時間も。説得する必要があったからだ。

 

  かくして彼らは信じることによって、無いもの、見えないものを、有るもの、見えるもの昇華させることに成功した。

 一部のお金の信奉者も、そういった概念に賛同した。自分が強者でいられるのは神のおかげだと強く信じた。

  そんな人々は自分たちが正しいと信じるふたつのスタンダードに内包する矛盾には、ひたすらに気づかないふりをした。彼らは、紙幣価値が決して平等では成り立たないことを充分すぎるほどにわかっていた。

 

 だが彼らはどうしても両方を信じたかった。無理とは重々承知しながら。信じることこそ自由だったからだ。それだけはわかっていた。しかしそれこそに真の理性が宿ることに、人類はいつも気付かずにいた。

 自然や神秘や慈悲や慈愛とともに生きることと、贅沢をして着飾ってひとに優劣をつけることの矛盾に、彼らは苦しんだ。たぶん、苦しんだ。

 

 だからその苦しみから解放させるためのいくつかのルールを創った。あるところでは信じることを強要し、信じないものを弾圧した。あるところでは違う神を信じる者を野蛮人とし、力でねじ伏せ従属させた。またあるところでは自らを神の使いと称し、ピカピカに服を着飾ることがその御使いに相応しい姿とし、贅沢な暮らしを正当化させた。

 そしてそれらの所業のすべてを王の意志と信じ込ませ、また、同時に自らも信じ込んだ。いつしか人々を守るはずの人類の王は、人類の都合の良いように置き換えられ、不平等の王となっていった。すべては人類が望む姿のままに。

 

 はじめはそれで巧くいった。だが結局は矛盾を重ねることで成り立つ付け焼き刃の世界に過ぎなかった。人々はそう長くは騙されはしなかった。

 そして騙されないことにより、さらに苦しんだ。そう、たぶん苦しんで苦しんだので、その苦しみに疲れ果てた人々は、それらを切り離すことにした。無意識に、あるいは意識的に。

  苦しんだわりにはその苦しみから逃れる方法は存外簡単だった。つまり、考えなければいいのだ。思考停止。無視。無関心。知らんぷり。人類は、信じることの自由でさえも“忘れる”ことを獲得したのだ。そいつを獲得すれば後は簡単だった。文明のスピードは、より拍車がかかった。

 

 すべてを忘れることを獲得した人間たちは強かった。そういう人種こそが人類の新たな強者となった。

 傀儡の王の名の元に、神々の子孫を名乗り、正統な血筋を名乗り、隣人を守り、愛するものを守ることを約束し、一族の繁栄、国家の繁栄を約束し。隣国を野蛮人、略奪者と決めつけ、だが決して腹を割って話し合うことはせず、神の為あるいは民の為と上辺だけの、それでいてもっとも合理的なだけの意見を正当化し、結局は利益と保身を最優先とし、自分たちの地位を揺るぎないものとしていった。

 

 科学もその役割を担った。彼らにとって最も有益な功績は兵器の開発だった。これもまた保険だった。最強の保険であり、最強の詭弁であった。より多くの“敵”を打ち負かすための兵器。より多くの同胞を守るための兵器。戦争を止めるための兵器。抑止力。

 人を殺すための兵器は、いつしかひとを守るための兵器と呼び代えられていった。ひとびとには保険が必要だった。安心の保証が欲しかった。だからひとびとは常にその言葉を信じた。これで戦争は終わる。これで争いは終わる。なんどもなんどでも。その言葉を信じた。

 

 つまり世界は進歩しているかのようにみえて大して変わっちゃいない。野蛮な世紀は過ぎ去ったかのようにみえるが、実際は、構図を変えて、より野蛮な世紀がやってきたに過ぎない。守ることと奪うことは両極端にあるようでいて、身体はいつも繫がっている。だから身動きは取れない。信じたいものと信じたくないものが重なってみえるから。平等なんてない。安住の地なんてない。答えなんてありゃしない。すこしでもそう考えると苦しくなる。頭がくらくらする。ならばどうするか。どうする。簡単なことだ。考えなければいいのだ。思考停止。無視。無関心。知らんぷり。みんなと同じように。それが人類というものだ。

 

 これがわたしのもつ世界に対する認識だ。わたしが聞いたり読んだりしたものの、それらを総合して考えた見解だ。だから結局は、わたしの意見というわけでもない。どうやらそうらしいという、他人事での見解に過ぎない。

 

 だが実をいえばわたしには世界というものがどういうものかがわかっていない。いくら聞かされても。どう話されても。わからないものはわからない。わたしという存在がどう作用するのかをわからない。それがわからなければ、いつまでたってもわかったことになりはしない。

 

 もっといえば、なにが正しくてなにが間違っているのかさえ、ほんとうにわたしはなにもわかってはいない。だからいくらこんなことを自分で確かめるように書き並べたとしても、ほんとうはなにもわかっちゃいないのだ。わたしは、物事を言っているようでいて、なにも言っていない。

 

 けれどこうもおもう。それは確かに、数値化された安心や保証は気休めかもしれない。安寧を求めること自体が人間の深い罪なのかもしれない。

 それでもみんなの安心を願って一生懸命になったひとたちはいるはずだ。確かに、武器や兵器は殺戮をもたらす。それは紛うことない真実ではあるだろう。けれどその根本の技術は人々の距離を近づけ、きつい労働から解放させ、みんなが暮らしやすい社会を形作るには欠かせない技術だったことも真実だ。

 

 それは確かに、お金に過度にこだわることは物事の本質を見えづらくするし、大切なものを見誤るかもしれない。それさえあれば命すら買えると勘違いすることは、人類にとって大きな過ちかもしれない。

 けれどその根源にはひとが争い合わないようにと考えられた、合理性に長けた、もっとも精度の高い英知かもしれない。

 

 それは確かに、祈りや信心は最後には忘れ去られ、保身や虚飾にまみれた偽ものに利用されるリスクはとても高いのかもしれない。けれど、ほんとうの幸せを願って、祈って、全てをひとのために身を捧げ、沈黙のまま、行進を続けたひとは必ずいるはずだ。

 

  声は大きければ大きいほど聞こえてくる。けれどほんとうの世界をみてみれば、無名の人、か弱き無害だが優しい声なき声こそが、世界を支えているに違いない。わたしはそういう声に耳を澄ませていたい。

 

 世界は、憎めばその分だけ憎しみが返ってくる。ところが正しいと信じ込めば込むほどに、裏側はみえなくなるし、裏返されたときの反転した感情もまた、激しくなる。愛情さえも憎しみと同じ部類に所属している。確かに人類の歩みは苦しみの歩みなのかもしれない。

 

 けれど、だからなんだともおもう。それがどうしたと。そんなことで恐れるなと。そうもおもう。

  無力かもしれない。歩みは遅いかもしれない。爆弾よりもずっと非効率かもしれない。その裏側には違う思惑も隠れているかも知れない。けれど、だからなんだ。ひとが分かち合うこと、掛け値無しの愛情を目の当たりにして、打算や裏切りを恐れるばかりでは、なにも始まりはしないではないか。武器を抱いた兵隊も花を散らせるために戦ったのか、咲かせるために戦ったのではないか。もし、もしかしてに、保険を掛けるばかりではなにも始まらないではないか。

 暴力は手っ取り早いのかもしれない。けれどわたしは非暴力を貫いて、無抵抗で撃ち殺されていく魂の可能性を信じたい。

 

 ひとはきっと、笑えば笑いかけてくれるに違いない。そう信じなければ。求めればきっと手をさしのべてくれるはずだ。歌えば誰かが歌い返してくれるに違いない。わたしたちはなぜ繰り返し繰り返し、何世紀にもわたって涙の歌をうたうのか。なぜ愛の歌を口ずさむのか。われはれはなぜ存在しているのか。考えよう。音楽を止めちゃいけないんだ。歌を、その手を、歩みを、笑顔を、決して止めてはいけないのだ。

 すべての裏側を踏まえたうえでこそ、尚更に。

 

 世界をあらためて考えてみる。いつでも。何度でも。考えたとて、当然、答えなんて掴めるわけでもない。ひとつの面をみると裏側の側面はいつもみえやしない。だからいつでも中途半端で、いつもざっくりとだ。

 だが中途半端を疎んでいたら、いつまでたっても始まりはしないではないか!

 「考える」に留めなくては。