ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

ゴールデンウィーク、七つの。

 

f:id:flightsloth:20180506012347j:plain


*強欲

 午後一時川崎大師集合。米国から一時帰国した友人Hがなにやら厄払いをしたいというので集まる。10年以上も向こうで過ごしている彼は、すっかりマインドもアメリカナイズされている様子。みやげ物屋や屋台を物珍しそうに見物した挙げ句、だるまが欲しいとのこと。

 日本人というよりもまるきり日系アメリカ人。服装から体型からなにから。ロスからダラスに拠点を移し、自分の店を持ちそれなりに成功すると、なにかとゲンも担ぎたくもなるらしい。いや彼の場合はスピリチュアルな要素も取り入れる、といったほうが的確か。

 「このあいだクリスタルのドラゴン買っちゃったもんね」なんじゃそりゃ。「ああ水晶の竜だよ」彼は言い直す。なんじゃそりゃ。「いやだから中国の龍だよ」余計になんじゃそりゃ。それでこんどは大師様?ここ真言だろ。だるまだって禅宗だぜ。まあいいのいいの縁起もの。そういうもの。

 

*傲慢

 本殿前。いなくなったらいなくなるタイプの友人Nが束ねられた線香をもっている。「半分わけてくれよ」と幼馴染みのTがいう。「ばかいうな、買わなきゃ御利益ないぜ。」「じゃあ百円貸して」とHがいう。

 「ダラスまで取り立てにいくぜ。」みんなで線香に火を付ける。これでもかと一本残らず火を付ける。これでもかと煙を浴びる。

 賽銭を入れる。祈る。祈っても祈っても、Nがいう。「祈り足りねえな。」ビジネスビジネスとHが両手をすり合わせる。

 「千円いれたの見ただろ。おれがいちばん御利益あるだろ」とわたし。「金じゃねえよ神さまは」「あ、二時半からちゃんとした厄払いしてくれるみたいだよ。どうする?」「いや、いい。もうビール呑みたい。」「蕎麦屋あったな。」いいねぇと一同。
 
*暴食

 場所を移して天神町。「渋いとこ選んだね。」テレビマンのYも合流。仲間のうちで唯一の子持ち。三児の父親。「うまい焼き肉屋があるんだよ」とN。

 縁もゆかりもない街に同郷の男を4人も連れてくるだけあって、たしかにものすごく美味しい店。ベイスターズ選手のサイン色紙がぴっしりと貼られている。料理が運ばれてくる度に、生でも喰えっから、生でも喰えっからとうるさいN。まだ5時だよ、まだ6時だよ、なぜか時間のカウントをするT。こいつはなんなのだろう。嫁から解放された休日を噛みしめているのだろうか。

 普段焼き肉などほとんど食べず、脂っぽいものを胃袋に入れると翌日が大変なのもわかってはいるが、わたしもついつい食べ過ぎてしまう。


*色欲

 じゃあ次はどうすっか。知らない街をもてあましてしまうので桜木町までタクシーに運んでもらう。野毛から宮川町をふらつく。

 「どうする?橋わたっちゃう?」橋の向こうは寿町。ピンク色のネオン街がつらなる。まんざらでもない顔つきのH。「なに?どこ行くの?ピリピン?ロシア?ベラルーシ?」いやいやニポンがいいよ十年ぶりだぜとH。ムリムリと一同。ゴールデンウィークだからね。入れないよと入る気も無いくせに。

 結局インターバルと作戦会議にと、めちゃくちゃ音の良い大きなスピーカーのあるジャズ喫茶でアイスコーヒーを飲んでいる。なんなんだこの展開。いや毎度のことだね。なんだかんだでわたしのかのじょも合流。「男同士でわぉわぉするんじゃなかったのかよ。」「まあ今度は嫁さんも連れてきなよ。」そうだねそうするよと夜も更ける。つぎはもんじゃでも行こうか。


*怠惰

 翌日は例の如く胃腸を崩す。二日酔いはないがカラオケにいったので少々喉が痛い。衰えは顕著でノドの筋肉にまで及ぶ。わたしはまだまだ元気よく朝まで吞みつづけることはできるが、ほかの連中はくたくたし萎びてしまうようだ。

 だが翌日のダメージはハンパではない。近頃は仕事よりも遊びのほうが疲弊する。一日出かけると次の日は家で休みたい。いや二日は必要かもしれない。遊びのための休養。次の日はバイクで遠出をする予定なのでそうはいかない。弱った胃腸を休めて、丸一日ゲームに興じて、夜には家で酒を呑んで、結局吞んで、素早く寝床につく。ある意味、最上の一日。


*憤怒

 今年のゴールデンウィークの真ん中に差し込まれた二日ばかりの出勤。休日前にすべての仕事らしい仕事をこなして、この二日はほとんどなにもせずに、ちょろっと業務をこなしてHuluでもみていようと企んでいたのに、急ぎの仕事が入っている。

 なんなら三月頭辺りから自分でスケジュールを立てて、この連休をしっかりぐうたら過ごそうとおもっていたのに、まったく想定外の業務。ぶすりとしてほとんど会話もせずに乗りきる。帰りは帰りで突然の雨に降られる。おまけにバイクの駐輪場のまえに犬のフン。なんという仕打ち。わたしの業はここまで深いものか。賽銭箱に投げ込んだ千円札の御利益はいずこへ。

 

*嫉妬

 くさくさしていても仕方ないので、どうにかして休みに食い込まないようにあと一日で仕事を終わらせる算段を考えていた。ベランダでタバコを吸っていたら負けるもんか負けるもんかという声がした。野球のユニフォームを着ている男の子が階段を駆け上がっていた。

 Hは早々に米国に帰ってしまった。次に会うときは何年後か。Yの一番上の子は春から中学生らしい。TとNが若い頃から手を貸していた会社は従業員が60人をこえたらしい。それぞれ取締役と部長というたいそうな役職をもっている。

 Hはグリンカードを取得してつぎは米国籍を狙うらしい。若い頃は毎日のようにあっていて、お金もないのでうちでサッカーゲームばかりやっていたHが、ダラスでオフィスを構えベンツに乗っているとおもうとなにかの冗談のようだ。

 

 みんな“将来”というものを見据えていて、いつの間にやらその将来が訪れている。そして進んでいる。わたしと彼ら、差がついた、とはおもわないけれど、それぞれが前に進んでいるようにおもえる。

 たまにああして顔を付き合わせて、吞んで、結局学生の頃と同じような会話ばかりをしているが、きっとたぶんお互いが合わせ鏡のようになっていて、似たような焦りを憶えたりしている。

 この先になにがあるのかとか、どうなるのだとか、なんなら人生とはなんて考え込むときりがないけれど、それぞれがそれぞれの不安や喜びを抱え込んで、あるいはそいつを活力にかえて、前に進んでいく。

 

 なにかと重なる部分が多かった連中なので、こうしておじさんになるまでくだを巻いていられるけれど、この先なにがあるかわかりはしない。わかりはしないが一生友だちであることに変わりはないだろう。間違いなく。

 欲張ったり慢心したり食べ過ぎたり怒ったりむらむらしたり嫉んだり怠けたり。そういう煩悩はたしかに油断ならないものなのかもしれないけれど、たまには堅いこといわずに業にまみれて遊びたくもなるし、それこそが人生のうるおいでもあるようにもおもえる。

 どうせみんなそれぞれがすぐに自分のポジションに戻って、首尾良く振る舞わなければならないのだから、そういう弱さが罪だなんていわずに、というか、まあ罪なら罪でかまわないので、時々はああして煩雑でぐうたらな時間を共有していきたい。これからも。時間の許す限りは。

 そんなことをおもいながら夕まぐれにベランダで子どもらをみていた。タバコをふかしてあと四日ある連休の予定をあれこれ考えていた。大きな声で叫ぶちびっ子にあわせてなんとなく呟いたりもした。負けるもんか負けるもんか。

 

 

今週のお題ゴールデンウィーク2018」

 

----------------------------------------------

 追記:

nagi1995.hatenadiary.com

 

高岡ヨシさん優秀賞受賞に寄せて、文章を書かせてもらいました。

よろしければこちらもお願いいたします。

*こちらのNという友だちとこの日記のNは無関係です。(アルファベットかぶってしましました。)

 

寿命はすでに終わっているらしいので、もっと感謝をしなくては。

f:id:flightsloth:20180427111739j:plain

 わたしはもうおじさんなので、昨今カンカンガクガク議論されているハラスメント問題には敏感にならなくてはいけない。少なくとも、やれやれまったく生きにくい世の中になったものだ、・・なんて、思考停止でぼやいてばかりではいられず、その生きにくい世の中にもちゃんと順応しなくてはならないとはおもっている。

 もっとも、権力とか権威とはほど遠いわたしにとっては、パワハラのほうは気をつけようにも自己体験が少なすぎるが。

 

 とはいえ、気をつけなければいけないことは他にも山積みにある。おじさんというジャンルには特に。

 社会的な事柄に目を向けるのは社会人としての最低限の義務だとはおもうけれども、けっきょくは個人の内的な部分が正しく機能してさえいれば、社会というものは何の滞りもなく回るものだ。だからこそ、それぞれの生活において、それぞれがしっかり自己管理していくことが世の中には大切なのかもしれない。

 

 たとえば健康面。わたしはじぶんの健康状態にまったく関心がない。これは改めなくてはいけないとおもう。わたしはあきらかに虚弱体質なうえ喘息持ちだ。そもそも交友関係の極めて少ないわたしにとっては、ハラスメントに気を揉んでいるよりも、むしろ重要視しなくてはならないのかもしれない。なにごとも命あっての物種だ。多少なりともナイーブにならくてはとおもう。

 

 大体にしろ、わたしは若い頃から自分の身体的なことにあまり関心がなかった。つねに好奇心を優先し、興味や関心の赴くまま、自分に正直でいさえすれば、いつ朽ち果てても構わないとおもっていた。前のめりでさえいればいつどこで死んでしまっても構わないとおもっていた。

 保健だの保証だのと、聞くだけでゲンナリするし、将来だとか備えだとか今後の予定だとかいうことを、考えるだけでも気持ちがストップしてしまう。

 いつでも終わりが来るその時まで、なんとか生きてさえいればいいやというぼんやりとした信念以外はなにも持たずに、実際、鞄も持たず雨の日でさえあまり傘も持たずに、いつも手ぶらで過ごすような気楽さが、わたしの唯一の持ち味だとおもっていた。


 いまでもそういうマインドは大して変わってはいないけれど、歳を重ねた分、それ相応に慎重になってはいるはずだ。おもえば二十歳すぎてもお金を払えずに保険証さえろくに持っていなかった時分を鑑みれば、何度か失敗はすれど最低限の蓄えと仕事と雨風しのげる部屋を持っていることじたい、自分では良くやっているほうだと褒めたくもなる。うん。程度は低いが良くやってるほうだ。

 

 それでも自身の身体を気遣っているとは、まだまだいえたものではない。大人になり自分勝手に朽ち果てることの迷惑さを知り、おじさんになり、自己管理すらままならないひとの見苦しさを知ったいま、せめてそのくらいの配慮もない人間がやれ世界情勢だやれハラスメントだコンプライアンスだとと憂慮するまえに、他にやることがあるだろうと。

 

 そうはおもえど、健康的な生活というのはとても漠然としていて、まるで実態が掴めない。テレビで繁く放送している健康法みたいな情報は、流行と危機管理の乱気流でまるめこんみよけいに混乱させ、お金をふんだくろうとするような魂胆がプンプンにおうし、数ある眉唾物の情報を総合すればかなりの矛盾を含むことが、シロウト目でもわかるときがある。なんでも、ガンでさえ治療せずに放置したほうがいいと主張するお医者さんもいるらしいじゃないか。

 

 結局は個人個人の特性に依るものなのだろう。健康は。切除不能なところに脳腫瘍ができた子どもが自然回復した話を聞いたことがある。その子は、なんでもスターウォーズの世界観で、悪い腫瘍をやっつけるイメージを思い描いたらしい。すると自然と腫瘍が小さくなり消えてしまったという。

 こういう話を訊くと、ガンを放置するという方法もあながち間違ってはいないのかともおもう。ともすればテレビのあらゆる健康療法なども無碍にはできないのかもしれない。スティーブ・ジョブズは亡くなってしまったけれど。

 

 イメージというのは健康にとって重要なような気はする。たとえば食事という行為。これをただ栄養を摂り込むとだけおもってしまったのなら、やはり味気ないものだ。

 若い男がひとりで暮らし、誰にもなにも指図されないとなると、好きなものだけを口にするものだ。食べたいものを考えるのさえ面倒におもい、より素早くより食べやすいものを選んでしまう。

 かつてそういう暮らしをしていたわたしは栄養失調になったことがある。カップ麺や駄菓子ばかりを食していたからだ。

 

 病気になるのは愚かだし、二度と繰り返したくはないが、そんな暮らしを通じて奇妙なことに、わたしの身体にはひとつの変化が生じた。

 それ以降、身体が欲している食べ物が急激に、ピンポイントで頭に浮かんでくるようになったのだ。

 ある夜は急激にシリアルのようなものが食べたくなり、コンビニに走り道すがら咀嚼しながら帰ったり、ボールいっぱいの豆腐をプリンのようにスプーンですくいながらノホホンとテレビを見ていたりした。生のレバーにかじりついている夢をみた翌日の昼食には、迷うことなくレバニラ定食を注文した。

 

 このちょっとした能力(?)の獲得はとても重宝した。化学調味料を散々食したせいか、そういうものを口に入れると舌がぴりぴりするようになった。それに、食に対する判断力はデートの際にも役もたったし、なによりもメニューを選ぶことにほとんど躊躇することもなくなった。

 いまではとてもバランスの良い食事を取らせてもらっているので、身体が欲しているものをダイレクトに感じ取ることはほとんどないが、それでも必要のない食べ物はいまでもわかる。なんとなくだが。

 

 こういうことって、けっこう重要なのではないだろうか。たとえばシュールストレミングという世界一臭いという有名な缶詰があるし、もっといえば、イヌイットキビヤックという料理(?)。こいつはなんでもアザラシの腹を裂き、そこに頭を落として切り口を縛った海鳥をぎゅうぎゅうに詰めて地中に埋め、数ヶ月放置した後に取り出し、海鳥の発酵してどろどろになった血や内臓やら脂肪やらの中身を切り口からごくごく飲むらしい。

 そんな正気とはおもえないほどの調理法を考えたこともそもそも驚愕だが、明らかに口に入れるようなものでないような食べ物も、その地域のひとびとにはごく自然に欲することがあるのだろう。

 

 わたしのかのじょはエステティシャンをしているので、肥満に対する目線が非常にキビシイ。わたしは幸運にも太るような体質ではないようなので、食生活を制限して窮屈にかんじることはないのだけれど、どうなのだろう。そういえば肉料理と冠するメニューが出てきたとしても、異常なほどに肉が少ない。出たとしても大概が野菜に巻かれているし、そもそも根菜は毎日のように出る。これはやはりかのじょがコントロールしてくれているのだろうか。

 

 それでもやはり油断してビールばかり呑んでいれば、多少はお腹がぽこりと膨れてしまう。おじさんなので。それに慢性的に運動不足だし。健康のためにヨガでもやりたいところだが、病的なほどの出不精と内弁慶がたたって、そういった健康的な習い事なぞはとてもじゃないがひとりで行けやしない。とてもじゃないが恥ずかしくて。

 

 それと、健康的でバランスの取れた食事を毎日食べていると、不思議なことに、ジャンクフードが猛烈に食べたくなることが時々ある。あの舌先がぴりぴりして口腔によろしくないねっとりとした脂が絡みつくような、どぎついジャンクフードが食べたくなる。どういうことなのだろう。栄養失調のときとは真逆の症状。たまには毒も皿まで喰らえということなのだろうか。

 

 とはいえ、いままでわたしが重い病気もなく、過ごしていられるのは、ひとえに、かのじょのおかげなのかもしれない。

 感謝しなくては。

 こういう話がある。たとえば、なにかの調査でタバコを吸うひとは吸わないひとよりも三年くらい平均寿命が縮まるとのこと。あるいは離婚すると男性は10年寿命が縮まるとのこと。あるいは中高6年間で運動部に所属していたひとと、していないひとをくらべると、基礎体力が10歳は違い、やはり何年だか何十年だかは平均寿命が違うらしい。

 

 一時期、そういう統計みたいな話題で、自分の心当たりとしているものを数えていたら、わたしは三年前にすでに死んでいた事実が判明した。

 つまり、いまわたしが生きていられるのは、徹底したかのじょの管理下のもとにコントロールされているからなのかもしれない。

 いやはや感謝しなくては。

 

 明日からはゴールデンウィーク。ひさしぶりにバイクで遠出する予定だ。体力が心配だ。それに渡米して十年ほど逢っていない友人が帰ってくる。日本では焼肉に行きたいらしい。それと、遅い就職を果たした後輩に飯を奢る予定もある。何が良いかと訊ねると彼は「肉ならばなんでもいいです」といっていた。うーん。“食ハラ”ってあるのだろうか。

 

 食べ過ぎには注意しなくては。せめてビールよりもハイボールを頼もう。タバコはやめられそうもないが、せめてなにかしらの運動を検討しよう。

 

 なにせわたしの寿命はすでに終わっているのだから。

 これから生きて行くには、もっと感謝をしなくては。

 

 なにかと暴飲暴食の多くなる連休かとおもいます。

 あまり不摂生はなさらずに、楽しく過ごしてください。

 

少しやってみる。

f:id:flightsloth:20180420171959j:plain

 少し早めに眠って、少し早めに起床する。少しぱりっとしたシャツを着る。鉢植えの植物をじっくり眺め水をやる。靴ひもを結び直す。いつもよりゆっくり歩く。しかめ面をやめてみる。

 冷たい缶コーヒーを買う。ジャンパーのチャックを少し開けてバイクを走らせる。いつもとは違う道を通る。横須賀線と併走する。いつもより他人に道を譲ってみる。

 ちゃんとおはようの挨拶をする。タバコは吸わず窓の外の緑をながめる。ぐいっとコーヒーを飲みほす。少しだけ居住まいを正してイスに座る。少しだけ真摯になって仕事に向き合ってみる。

 夕焼けを眺める。ビルの群れの稜線を目でトレースする。鳥の声を聴く。小声で一緒に歌う。帰りも違う道を通る。歌謡曲を歌って走る。信号待ちでも歌い続けてみる。

 ただいまを大きな声でいう。だれも居なくてもいう。部屋着を着て、着ていた服をちゃんとたたむ。牛乳を飲み、ゲームをやらずに帰りを待つ。ただいまの声が聞こえると、おかえりなさいを大きな声でいってみる。

 テーブルを片付ける。ワイングラスを用意し、ナイフとフォークを用意する。少しだけ料理を手伝って、盛りつけを自分でやる。おいしい料理を少し大袈裟に表明してみる。

 身体を入念に洗う。髪も丁寧に洗う。歯も長めに磨く。デンタルフロスも入念に。久しぶりに鏡をみる。自分の身体を眺める。表情筋を動かす。上手く笑えているか確かめてみる。

 深呼吸をする。屈伸もする。間接の隅々まで動かしてみる。裸眼のままみる小さくか弱い星の光を数えてみる。ふと、タバコをやめようかとおもってみる。せめて電子タバコにしようと思い直してみる。

 ヨギボーのクッションに身体を丸々うずめる。パソコンのパスワードを打ち込む。様々なニュースを巡る。様々な世界の話を訊く。

そうして、キーボードを構えて、文字をタイピングしてみる。

そうして、一日の終わりを噛みしめてみる。

なにがあって、なにを感じたかを反芻してみる。

右手と目玉をねぎらってみる。

ベランダからみえるシートをかぶったバイクに感謝してみる。

かのじょに感謝してみる。

ひととの繋がりを数えてみる。

休日の予定をあれこれ考えてみる。

裸足でやわらかい土を踏むことを想像してみる。

外でお酒を吞もうとたくらんでみる。

もっと美術館に足を運ぼうと考えてみる。

もっと映画を観ようとおもってみる。

もっと本を読もうと目標立ててみる。

根拠もなくダイジョウブだいじょうぶといってみる。

イデアをこぼさないようにしようとおもってみる。

夢をもって生活しようとおもってみる。

なんでもいいから目標を立てようと考えてみる。

ひとの悪口はいわないようにしようと決心してみる。

常に清潔にしようと心がけてみる。

大切なことは二回いおうとおもってみる。

休日には一部でもいいから掃除をしようとおもってみる。

ありがとうを沢山いおうとおもってみる。

母親に線香をあげてみる。

笑顔を忘れずにいようと願ってみる。

なんでもやってみる。

これからも好奇心の赴くままに、もう少しやってみる。

背筋をぴんと伸ばしてまっすぐ前を見つめてみる。

もう少しだけ他人を信じてみる。

 

みえない誰かに何かをいってみる。

声に出していってみる。

オウトウセヨといってみる。

いつでもどにいてもいってみる。 

 

少し飛び上がってみる。

信じたものを、信じてみる。

 

100回目の飛行訓練。

少し浮き上がれたような気持ちになってみる。