ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

悪口のススメ

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(わたしがいっているわけではないですよ。マムシさんがいっているんですよ。いずれにしても毒舌と悪口は分けなければいけませんよね。)

 

 たとえばかのじょの知り合いのひとでとても面白いひとがいて、そのひとの話というのは、たとえかのじょを通した又聞きとなっても、ものすごく面白い。そのひとの顔も知らないわたしからしてみても、面白い。

 ところが、冷静に考えてみるとその話題のほとんどが悪口みたいなことだったりする。悪口というのは聞こえがわるいか、憎まれ口ね。憎まれ口。

 または、親しい友人と腹筋がつるほどに笑い転げた話題のほとんどは、後々考えてみれば、ほとんどが下ネタだったり共通の友人たちの憎まれ口だったりもする。あ、憎まれ口というと聞こえがいいか。悪口ね、悪口。

 

 時として、近しいもの同士で語り合う悪口や下世話な話題というものは、どんなにすぐれた喜劇よりも、よっぽど面白かったりもする。もちろん、そこには信頼関係が必須事項。親しくもないひとの口から少しでもトゲのある言葉が吐き出されると、どちらかといえば不快に感じる確率のほうがずっと高いもの。

 

 わたしは性根から下世話な人間なので、結局はみんなの顔色がまるで曇らないようなまあるい話題よりも、下ネタだったり悪口だったり多少毒気の効いている話題のほうが、心底笑えたりもするタイプではある。もちろんそこにユーモアさえあればだが。ユーモアとは愛情。憂いを込めた愛情。そんなものを言い回しのなかに少しだけひねり込める。少しだけでもいいんだ。混ぜ込めたそのスパイスに愛みたいなものが感じ取れれば、一気に反転して、笑える話題になったりもする。

 

 なぜそんな話をしだしたのかといえば、前回の日記が少々愚痴を過ぎて悪口みたいなものになってしまったと感じた事実もあるけれど、なぜを突き詰めてみると、話題の対象の相手が自分とは少しも親しくなかったところに要因があるからだと確信したからだ。

 めちゃくちゃ親しい友人などの悪口は、どこかしこに愛情みたいなものが漏れ出てしまうものなので、いくら憎まれ口を叩いたって笑えるし許されるし嫌味に聞こえなかったりもするものでしょ。

 

 悪口をいうときはあらかじめはじめから「この話、悪口なんだけど・・・」と、冒頭に付け加えるというわたしとかのじょとのあいだでのちょっとした取り決めみたいなものがあって、これがことのほか、便利だったりもする。

 なぜなら、少しでも他人を貶めるような話題であった場合、あらかじめ断っておけば聞き手が嫌な気持ちになる可能性に先手を打てるし、冒頭で身構えたよりもさほど嫌味でない話題であった場面では、なんとなく安心したりもするからだ。

 なんならそればかりではなく、親しい間柄の照れ隠しとしての単なる憎まれ口だとしたときには、話の展開次第では、ちょっとした笑いや感動のスパイスを入れ込めたりもする。

 

 けど、こういった曲がりなりにも世間の目に触れるようなブログなんかでは、冒頭から「これから悪口いうよ」なんて宣言するのは少しこわいなぁ。はなから誤読されそうだ。文脈の最後にでも(悪口)って付けてみるかなぁ。それでも誤読されるよね。

 

 そういえば、この間、漫才師の頂点を決めるような大会で、チャンピオンになれなかった芸人さんが、お酒の入った飲み会みたいな別の番組で(ややこしいな)自分たちに不利なジャッジをした審査の女性芸人のひとのことをずいぶん品のない言葉で腐したようで、それについて、それはけしからんということになり、世間様や先輩芸人たちが怒ったり謝ったりしていた。ラジオやネットなんかで。

 

 偏見的な言葉を口にしたわけだから、けしからんというのはもちろんそうなのだろうけれど、同じ芸人同士のあいだのやり取りには変わりなく、会社でいえば上司にたてついた部下、みたいな構図であろうから、そういうことを世間が周知して、とやかく別の所で議論しあうというのは、あらためて奇っ怪な業界なのだなぁ、とは、茫漠と感じる。

 

 一般的な社会人が上司にたてついたという場合、んー、たとえばこの場合は「大きな会議でプレゼンをしたら最終的に上司の好き嫌いで判断された」みたいな出来事だろうし、自分の意見が通らなかった若手が上司を腐すというのも、ひとえに仕事に対する情熱の現れだろうから、場合によっては褒められる、とはいかずとも、「気持ちわかるで」くらいには慰められてもおかしくなさそうな気配もある。

 

 そういうふうに見れば、中間の立場にある先輩方が揃いもそろって「あれはアカンで」みたいに咎めるというのも、社会では結構珍しいのではないかとも感じるし、逆にいえば、上司への無礼は言語道断で絶対的に敬うという文化はやはり希有ではあろう。もっといえば、それほどに信頼と敬意を払われている上司がいる会社自体が、やっぱり希有ではあるし、かなりうらやましいことでもあるが。

 

 もっとも、議論に値する大きな問題はそこではなく、その若手の芸人さんがかなり偏見的な言い回しを使ったというところなのだろうし、先輩方が「否」という一貫した立場をとったのも、大御所先輩への敬意はもちろんのことだが、それにもまして、電波に乗った公共の発言というところが、なによりも首を縦に振れない大きな要因なのだろう。いずれにしても、時と場所を誤ると碌な事でもないというのは、誰にでも当て嵌められる。

 

 ごく一般人のわたしとしては、一流芸人の彼らが、「けしからん」みたいな展開に終始せずに、悪口は悪口で完全な笑いに転嫁できる展開というのはなかったものかとは感じている。ましてや同じ業界に所属する者同士なのだから、その大御所のかたも本気で怒ってはいないだろうし、だとしたら悪口を言い合ってどんなにやり合ったとしても、笑いに持って行ける技能もメンタルもあっただろうに、とも感じている。

 

 これは別の話しだけれど、こういうことはもしかしたら土地柄みたいな要因もあるのかなぁ、なんてことをおもったりもした。くだんの話題の中心たる芸人の多くは関西方面のかただったのだけれど、関西出身の芸人さんの方々に根付いている道徳観念みたいなものには、なんていうかやはり“浪花節”みたいなものが流れているのかなぁ、と外部からみると少しだけおもった。

  土地柄、みたいな区切りかたをするのは個人的には好まないのでいささか抵抗感があるのだけれど、ともかく話を進めると、関西のひとたちは苦労話や人情話などに対して、けっこう素直に感動する風潮みたいなものがある気がしていて、いくら笑い話だとしても酒の席だとしても、不人情は許さずに「アカン」と、ぴしゃりという。アカンと言って説教がはじまる。ところが説教の中に愛情を込める。それこそコテコテに。いかに人付き合いが大切かを解いてそれを肴にさらに酒を呑む。そうして親しくなり身内になっていく。こういうことは関東には少ないような気がする。

 

 いっぽう関東の人付き合いというものは、仲良くなればなるほどに悪口を言い合うので、たとえ先輩に怒られたとしても謝りながら後ろで舌をだしているようなところがある。舌を出したその顔を別の先輩が見て笑っている。では反省していないのかといえば、そうでもない。心から申し訳ないと感じていてなお、舌を出す。そんな気質があるのではないか。

 こういう関係というか呼吸みたいなものは非常にわかりにくい。親しい仲ほど悪口を言い合うので、少し引いた位置にいるひとには関係性がわかりにくい。関西のひとが関東のひとは冷たいと感じるのは、そういった部分なのではないか。

 

 正直な話、どちらが悪いということないし、一方がこうでもう一方がこうだと決め付けて話しているわけでもない。ただ、人付き合いでどう立ち回るかという話題。どんなケースでも愛情を込めたユーモアさえあれば、全てが円滑に回るという事実には変わりはない。

 

 私見でいえば、誰かしらに向けて語られる言葉というものは、自分語りを差し引いたとしても、なんなら褒め言葉も労いの文句も、斜めにみればたいがいが悪口の類いだと割り切って聞いているし話していたりもするので、話題のほとんどのハードルが非常に低く、寛容でいられるところがある。

 あんまり野暮なことは言いたかないけれど、黙って物静かに佇む奴がもっとも色気のある人格だと感じているわたしとしては、もはやこうして多弁に語ること自体がやはり野暮ったい奴なので、ある意味いろいろあきらめて話せてもいる。

 だからというわけでもないが、聞き手のひともどうぞ気負わず言葉尻だけを捕まえたりしないで、寛容に悪口でもなんでも聞き流せばいいのではないかともおもったりもする。

 

 そもそもが、意見の食い違いがあって、自分の考え方を押し通したい場面では、多かれ少なかれ相手に良からぬ印象を抱かせるリスクがあるのだから、そこで保身だとか正論だとかにこだわらず、まずはじめに自身が身を切る覚悟がなければならない。

 自己の正当性を突き通したい。それもわかる。どうしても同意を得たい、相手の非を認めたい。それもわかる。けれど、結局は、形はどうあれ相手を攻撃することには違いないということならば、「これ悪口なんだけどね」という言葉を冒頭のまくらにすれば、どんなに痛烈な言葉を並べたとしても、「ああ、悪口ね」で、笑って済ませてくれたりもするのではないだろうか。・・

 ・・いや、ないな。

 ないだろうね。ないだろうけれど、少しくらいは可愛げが増すことはないだろうか。はじめから腹をみせてるのだから。「わたくしは悪口を言うようないやしい人格ですよ〜」という表明をしてからの悪口なのだから、ましてや、ちょっとまえに疾患のようにインターネットで流行した「はい、論破」みたいな決めセリフなんかよりは、よっぽど柔らかい表明なのではないか。

 

 なんだろうね、あの「はい論破」ってのは、嫌な言い方だよね。議論っていうのは相手を打ち負かすことが目的じゃないんだよ。お互いの意見を交わし合ってより高みを目指すことなんだよ。勝ち負けじゃないんだから敵だ味方だと振り分けて騒いでんじゃないよ。意見をすり合わせて発展するか、どうしても譲れない箇所の折衷案を探し出すことなんだよ。議論を持ちかけたほうも論破されたくて発言しているわけでもないし、あんただって、・・あんた?あんたって誰だ?まあいいや、あんただって相手方を心がら是正したくて言っているセリフではないわけだよね。ないわけだよね?じゃないとそんな嫌味な言い方はしないよね。しないよね?そもそも論破されたと受け取るのは相手方のほうで、自分から表明することではないよ。自己顕示欲だけ満たしたくて他人に絡んでんじゃないよ、まったく。はい、論破。なんて断じて言わないよ、わたしは。(悪口) 

 結局インターネットなんて無記名の不特定多数が批評したりジャッジしたりできる環境なものだから、極めて信頼性に欠けるものだと割り切って、すべてにおいて「これは悪口です」と冒頭に付け加えていくほうがよっぽどスムーズに流れるし、いらぬことに腹を立てずに済むのでよっぽど潔いのではないか。

 いや、極論ですよ。わかってますよもちろん。けど少なくともやたら目に留まり流れてくる“まとめサイト”みたいなものには、「※すべて悪口です」あるいは、「※すべて嫌味です」みたいな注釈をいれても差し支えないようなものだったあるでしょ。そうすれば余計な議題に腹を立てずに済むし考え込む必要もなくなるし、うっかり酷いこと呟いてしまったひとも、それに逐一反応するひとも、揚げ足を取って晒し者にするひとも、みんながみんな、ああただの悪口だったのね、てへぺろ。で、無駄に煽るようなリアクションの応酬が続くみたいな不毛な愚行も減るのではないですかね。(悪口)

 

 とまあ、このように最終的には純粋な悪口で終わってみますね。またしても吠えてしまいました性根をこじらせているもので。あまり真剣に聞かないでくださいな。ただの悪口なので。

それではまた今度。

 

すこし吠える。夜の闇に悲鳴を上げた中年がいま

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 またしてもしばらくぶりです。

 あんまり間をあけているとそのままフェードアウトしてしまいそうなので、強引にこじあけるように更新してみます。日記。

 更新頻度下がりましたが別に充電しているわけでもないので、とりたてて目新しい話題もありません。話題にあまり一貫性もありません。あくまでもマイペース。平常運転。それが一番。

 

 で、

 仕事だけをしている。仕事だけをしているのでどうしても仕事の話題になってしまうことにはなはだ激しい抵抗感をおぼえるのだけれど、如何せんそれだけなものだから当然他に楽しい話題なんて思いつくはずもなく、ついしかたなく仕事の話題になってしまう。そんなものは飲み屋でさえ煙たがられるような話題だと承知しながらも、この場で臆面も無く語るようなことは、なんだか冒涜的だとさえおもうのだが、それでもあえて語らなれば前へ進めない気持ちなので、それでは語ろうではないか。なんなら吠えようではないか。神よどうかお許し下さい。

 

 ということで、貧乏人が仕事していていつも思い知らされることは、

 「貧乏人はお金のために仕事をしているわけではなく、仕事が来るから仕事をしている」ということだ。

 つまり貧乏人はいつでも業務に比例する正当な対価にありつけないということ。いくら仕事量が増えたとて、“働く”という事実だけが不変であり、ただそれだけが事実だということ。わたしが忙しいのは、そういうものがいつでもどかりと横たわり、ひたすらに邪魔くさい。ただそれだけ。

 仕事に対する充足感なんてものは、その必死にどかした邪魔なものの後ろで、何者かがキレイに道を整えてくれる“かもしれない”、という希望的観測に過ぎない。

 ただ哀しいかな、その切り開かれた箇所に果たして何者が通りすぎるのかを、自らは与り知れないところにいる、ということだろう。

 なんの話だこれ?

 ともかく感受性を働かせていないと頭も心もぼける。労働ばかりしているとぼける。くれぐれも呆けない程度にお給金をもらいませう。

 

 ところで、ネットをみていたら、ホリエモンさんと西野某さんの共著で、「バカとつき合うな」という本が出版されたようで、読んでいないし読む予定もないのでリンクは貼らないですけど、目次かなにかで、

 「我慢を美徳とするバカ」

 という項目が眼球に飛び込んできたので、数秒止まってしまった。

 うっせーなバカ!バカっていうほうがバカなんだよ!美徳なんておもっちゃいないよ。みんな重々わかってるってばよ、ばかだってのは。ただ、飲み屋なんかでそういう話しをついするおっさんが目に付くから、そうおもうだけだろが。あんたたちブルジョワと違って、掘った穴を埋めるような仕事をしているひとだっているんだよ我慢して。愚痴ぐらい聞いてやりなさいよ。本人だってわかっているさ。他人に語るときぐらい美談にさせてやりなさいよ。それが落としどころなんだろうからさぁ。わかんないかなぁ。ばかだなぁ。野暮ったいねぇまったく。

 なんておもったりおもわなかったりして即座にブラウザを閉じた。数秒間。読んでもいないのにバカ呼ばわりしちゃうのは、先にバカっていうからだもんね。

 

youtu.be

 

 我々人類はバカ。過去現在未来、バカ。 

 夜の闇に悲鳴を上げた少年が今オオカミに、なる。

 

 吠えたらすっきりするものですぜ。マシンガンのリズムだぜ。

 いやいやひとを安直に揶揄したらいけませんね。けど、あんまり丸い話題ばかりでも世の中味気ないですよね。たまには毒を吐き散らしても大目にみてくださいな。ストレスたまってんなこいつ、でゆるしてくださいな。

 

 このあいだ知り合いのバーでゆるがらみしてくる酔っ払い相手に(自分も酔っ払いなので)普通に対応していたら、「やさしいねぇ」とそれをみていたひとにいわれた。

 別の日に、話している話題の分からないところやそのひとの知りたい部分を、詳しく訊ね返していたら、「聞き上手だよね」といわれた。

 仕事をしていて知らないことや疑問に感じたことを訊ねていたら、「そういうところが丁寧だよね」と言われた。

 そういうものか。

 自分的には分からないことや知りたいことをただ訊ねているだけで、至って普通、というかむしろ自らの無知なところを他人に補ってもらおうという魂胆で申し訳なくおもっていたりもするのに、そういう足りない箇所をひとに委ねたりすることが、やさしいだとか、聞き上手だとか、褒められたりすることは、ままあるのだと感じた。

 

 反対に、そういう態度をよくおもわないと感じるひともいるようで、「訊いちゃだめ」オーラを発するひともいる。

 わたしは余計に訊いてしまう性格なので気をつけてもいるし、肝に銘じているところもあるのだが、仕事に関してはミスを少なくするためにあえて必要以上に訊いて、確認することを努めている。

 だから仕事のうえでそういう人物がいると非常に仕事がしにくい。訊いちゃダメって、萩本のキンちゃんじゃないんだからさぁ。

 

 わたしは仕事で一度だけお客さんにキレたことがあって、まあ直接のお客さんではなくて、受注をうけた元請け会社の営業のひとなのだけれど、手間賃をいただくのはその企業なので、お客さんと言っちゃあそうなのだが、ともかくそこで、「今度担当するNくんは新卒で気むずかしい若者ですよ、」とは、懇意にしていただいている社員のひとにあらかじめ聞いてはいたのだが、その若者がやはり「訊いちゃダメ」のひとだった。

 

 わたし的には新卒だろうがなんだろうが、ミスを少しでも減らそうとするために、業務的な確認事項を電話ないしメール連絡していたのだけれど、わたしは声がものすごく若いので、どうもたぶん同世代だと思われている感じが電話口から次第に聞こえてくるようなことがあって、なんなら下請けが細かいこと言ってんじゃないよみたいな態度も節々に感じ取れ、「こんにゃろクソガキが・・」とは思えど、それくらいならぐっとこらえて、「お前の指示がわかりにくいからいちいち確認が必要になってくるんだろが・・」なんてセリフもまるっと呑み込んで対応できていたのだけれど、いくつかのやり取りの後で、

 「そんなこともわからないんですかぁ」と挑発するように言われたので、

 「じゃあお客さんに直接確認しますので電話番号教えてもらえないですか。」

 と、冷静に早口で応えたら、Nさんは、むぐぐ、となって、「いや、こっちで確認します。」と小さな声でいった。

 

 ところがその一連のやり取りが彼の自尊心(自尊心なんて仕事に持ち込むなとも少しは思うが)を傷つけたのか、わたしへの当たりがさらにキツくなってきたのだった。

 それで、忘れもしないあれはパスタだった。パスタ。

 そうレトルトのパスタの広告で、パッケージ画像に印字された商品名と、原稿に書かれた品名が違っていたので、まあ原稿ミスなのだろうな、とはおもえど、納期の時間も迫りこちらで判断して勝手に修正するのは危ないので、一応電話で確認をとったら、

 「いちいち訊いてこないでくださいよ。」のあとに、

 二度目の「そんなこともわからないんですかぁ」が来て、

 「何年仕事してるんですかぁ」

 なんて、舐めくさった声で言いやがったので、ここでわたしはキレてしまい、

 「十年以上この業界にいるわ!さっさと仕事しろ!」なんて大声で返してしまった。

 するとNくんはものすごい小声で

 「ぼくよりぜんぜん年上じゃないですか・・」と呟いて、もごもごいっていたので、わたしはそこでハッとなり、少しだけ平静を取り戻し、

 「そう、だから一応お客さんに確認願います。悪いことにはならないので、」といって電話を切った。

 

 そうなのだ。わたしのはぜんぜん年上なのだ。大人なのだ。しかも下請けなのだ。どんなことがあっても平静でいなくてはならなかったのだ。自己嫌悪感と反目した冷めやらぬ怒りの感情がない交ぜになり、落ち着くために外にでたが、タバコを持つ手はどうしても怒りに震えていたことを思い出す。

 

 それにしても、たとえ売り言葉に買い言葉だとしても、わたしの言葉のチョイスたるは情けない。「十年以上この業界にいるわ!」とはどういうことか。言い換えれば、「お前よりも年上なんだからおとなしく言うことを聞け!」ということではないか。なんたるパワハラ。元請けと下請けという主従関係のパワハラを行使してきた相手に対して、年齢によるパワハラで返すとはなんたる失態。他にうまい交わしかたはなかったものか。今でも不徳の致すところです。

 

 それからわたしは彼にお詫びのメールをし、彼の上司にもお詫びをしたうえで、今後仕事をもらえないことを覚悟して、彼の担当ではもう仕事は受けられませんと断った。

 やっぱり怒りはよくないしね。どんな理由があろうとも怒りでは怒りしか生まれないしね。わたしが悪いよ。ごめんなさい。けど、それとこれとは別問題。金輪際、彼とは一切仕事は出来ません。無理してミスしてもうまくないしね。そう決断した。

 

 後日談として、その企業の懇意にしてくれているひとには、ハハハと笑われただけで、ありがたいことにその企業とは今だお付き合いしていて、いまでも仕事を振ってもいただいている。

 わたしとやり合ったことはあちら様の社内でもある程度周知され、飲み会に呼ばれる度に、「Nも同席しますけど、調子には乗らせないので、」とからかわれたりして、さらに恐縮してしまう。

 

 ところがやはり今でも少々問題のある社員なようで、逆に、わたしを同席させてなにか騒動でもおこしたら、そら来たとばかりに彼をやり込めて説教したがっている先輩方もいる様子。宴もたけなわに、

 「そらNくん、ナマケモノさんいるぞ、なんか言いたいことあるんだろ、代わりにおれが聞いてやるよ」

 と、挑発するひとがいたりして、向こうの席でなにも応えずに聞こえないふりをしている当の本人の背中にむけて、

 「おれの前では何にも言えないかよ」

 なんてすごんでいる課長、部長クラスの先輩をみると、それこそパワハラだよねこれ、大企業コエェェ、といささか戦慄したりもするが、その反面、Nくんはこういうことに揉まれて強く正しい社会人になってほしいともおもうし、角度を変えれば、大きな企業のどうにかして逞しい人材を育てようと苦心する、愛みたいなものも感じ取れたりもする。

 

 わたしとしては大人になれない部分で、やっぱり少しはザマミロみたいな気持ちもあるが、こういう面倒ごとを面倒くさがって飲み会やら人間関係を一切拒否し、自分を甘やかしてくれるぬるいコミュニティに浸かっている若いひともいるなかで、おそらく嫌な思いをすることもあるだろうと承知していながらも、ああしてみんなの飲み会におもむくNくんは、とてもハートが強いとはおもうし、もしかしたらおもっているほどにはわたしと馬が合わないわけでもないのかもしれないと、思い直したりもする。

 はじめから飲み会で語りあえていたら少しは違ったかもね。もうキミとは仕事したくはないけれど。うん。そういうところはドライなんだ、わたし。ごめんねNくん。

 

 人間関係は面倒だし、一概にハラスメントだとかで片づけられない風景というのは、現場や飲み会ではつきものだ。けれどお互いの考え方や向き合う方向によって、結構簡単に円滑にまわったりもするもので、トラブルはトラブルで反省するところも学べることもあるもの。わたしのこのケースでは自身に被った不利益はなかったけれども、怒りにまかせて危ない橋を渡ったことに違いはない。我慢しなければならない場面なんていくらでもある。

 

 わたしは我慢できずにNくんに吠えてしまったけれど、それは重々反省しているし、憎しみみたいなものは一切ない。ホリエモンさんにいわせてみれば、我慢しないことは正しいことなのかもわからないけれど、やっぱりわたしはあの時の電話口でもぐっと我慢してニコニコ対応していたほうがよかったのかなぁ、と時々自省している。我慢を美徳とはおもわないけれども、我慢できるバカでいたいとはおもう。わたしはいくらでもバカと付き合うよと。我慢できなくなるまでは。

 

 と、

 愚痴みたいなことをすんげーいったので、すっきりした。明日からも穴を掘ってそれを埋める仕事をがんばろうとおもいます。

 それではまた今度。

少々復活。ひとつだけ言いたい。

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 どうも、おはこんにちばんは。

 久しぶりの日記です。

 

 不本意なことに仕事が大量で、インターネット活動をお休みしています。まだまだ現在進行形で多忙なのですが、いまはぽっかりと雲が途切れました。わたくし仕事が速いのでクライアントの対応待ちの状態でございます。ええ。ええ。ええ。

 

 ポケットのないビリヤード台で対戦相手すら見当たらない一人ナインボール。ひたすらに跳ね返った球を盲目的に打ち返すだけの作業。ランダムで急にポケットが出現するときがあり、そうなるとうっかりマイボールを落としてしまう。だが対戦相手は急に現れる。ひとたび現れると相手のインパクトは非常に遅く、自分のターンはいつまでも回って来やしない。

 そんな心情でございます。

 

 そんなこんななので、タイプしたいことはけっこうあるのだけれど、落ち着いて言葉を繋げられる気分でもないのです。当面頭の片隅に常に泳いでいる仕事の話や愚痴なんかを、ここで晒しても仕方がないしね。

 

 とはいえ、四六時中仕事ばかりをしているわけでもなく、多忙とはいえ、わたしの場合はプライベートの時間は充分に確保できてはいます。というか、確保できないような無理な仕事なんてしたくない。そんなの仕事というよりも拷問に近いし。デスクワークで毎日午前様近くまで仕事するひとなんて、ホントすごいとおもう。

 それから、睡眠時間も充分にとってもいますね。わたしは水木しげる大先生の哲学と同じく、“眠り”を尊重しない人種を信用しないことにしていので、いくら忙しいからといって、“寝てない自慢”みたいな話をするひとは、あまり信用しないことにしている。

 もちろんゲームもしっかりやっていますね。ライフワークを分割して考えてみても、ゲームをできないという人生は考えられません。

 

 それで、業務が立て込んできた今のような時期に、必然的に削られていくのがやはりインターネット活動というわけなのですが、このはてな他のひとのブログ巡りも自身の日記も、仕事のあいまに活動していることが多く、流石にそんなことばかりにかまけてもいられず、あまり更新できない運びとなりました。

 とさ。

 みなさんのところにおじゃまできないこと、ごめんください。ろくに読まずに作業のように星だけ付けて回るのも、なんか違う感じがするので。

 

 ということで、最後にひとつだけ激しく言いたいことがあるので、ここでいわせてくださいな。

 

 わたくし、パソコンに向かう姿勢がとても悪くて、

 

 

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 デフォルトでこんな感じ。

 首が前につきだしているので、半年くらいまえからずっと首が寝違えたような違和感があり、肩も激しく凝っていて、なんなら凝りで嗚咽をもらしたりすることもあったり、やはり頭痛もつらいのです。

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 なので、こうして、首を前に出さないように努めていると、腰がずり落ちてきてしまい、腰までやられてしまい、

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 ひどい時には、このように、首も腰も背中にも悪い姿勢で仕事をしていることがあり、こんなひどい姿勢、逆にキツいじゃないかとお思いになるでしょうけれど、ところがどうして、集中していると、不思議とこの姿勢のまま何時間も作業を続けていたりもするのです、わたくし。。。

 

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 ・・・いやいや、

 これはいくらなんでも極端ですが、こんなことになる日も近いのではないかと、真剣に戦慄している日々でございます。

 

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 気がついた時にはちゃんとした姿勢をとるようにしているのですが、そうしていると、なんだか近頃ちょっとだけ気分もいいような気も、しないでもないのです。

 

 不毛な話ごめんください。

 

 姿勢にはじゅうぶん気をつけましょう。

 

 ということで、また〜。