ナマケモノの飛行訓練

記憶のすべてがかすんでみえる。うろ覚えでつづるひこうくんれん。

宇宙へと飛び立つ自慰

 弁証法というものがある。これは哲学用語だったか。対話によってより高次元の考え方を生み出すという方法。だったかな。あまりにうろ覚えの不確かな情報だが自分ルールにより検索はしない。

 高次元はともかく、他者との会話のひとつの醍醐味ともいえるのがこれで、自分では思ってもみない方向に思考が進むと、やはりわくわくするものだ。

 あの頃のわたしはサルだった。若く煩く騒ぎちらす、かろうじて人型を保ってはいたがマインドは間違いなくサルだった。ある日わたしは友人たちとオナニーの話をしていた。態勢や場所、どうやって親の目をかいくぐって独りになるかを話し合っていた。

 当然の流れとして、俗に言う「オカズ」の話題になった。芸能人やハリウッドスター、近所のカワイイ子、中学時代の女子。どこまでいけて、どこまでいけないかをお互いが詳しく語った。

 わたしたちは際限がなかった。結論からしてわたしたちはどこまでもイケた。友人のひとりはわたしよりも遙かに想像力が豊かで、穴ならばなんでもいけるとうそぶいた。ペットボトルにさえ発情できるといった。

 わたしはムキになり。それは違う、といった。「質」が問題だと言い返した。そんなものは純真無垢なオナニーとはいえまい。おまえのはただの生理現象としての自動処理だ。そういった。

 そう質だ。例えばわたしはクラスの女の子を想像し、その娘を愛する。あらゆるシチュエーションでデートをし、あらゆる体位を試し、彼女にあらゆる喜びを享受する。妄想のなかで完璧な関係を築き上げるのだ。

 すると友人は、それではその娘を完全に好きになるのか、と訊いた。そうではない。わたしは答えた。行為が終わるとそんなものは雲散霧消してゆくのだといった。それが完璧に純潔な妄想行為だといった。それは彼女に対する冒涜ではないのか、と彼はいった。そうではない。わたしは繰り返す。行為が終わればすべて消える、彼女の気持ちもわたしの気持ちも、それに終わってしまえばかつて抱いた感情など、誰も知る由もない。だから誰も傷つくことはない。それこそが自慰の神髄というものだ。わたしは得意げに語った。すると友人はこういった。だが、おれがいま知った、と。

 確かに。知ってしまったからには、第三者が入ってしまった事態で、消えた気持ちも、かつての妄想としての秘め事も、無ではあるまい。

 ただし、ここまでの一連の告白自体を、自慰行為の延長だとするならばどうだ?わたしはある仮説を立てた。わたしはわたしの淫らな想像の片鱗を他者に伝えることにより、より高度な自慰テクニックへと昇華する。なぜなら、わたしの妄想はもはや他者と共有し、尚且つ、それを自ら、俯瞰でみることによって、わたしはわたしの妄想を誰かに見られているという二重の妄想を抱く。どうだ、これは考え方によってはかなり淫乱なものではないか。

 そうかもしれない。彼は静かにうなずいた。だが、それならば、そのことを彼女にも伝えたらどうだ?彼はいった。

 彼女に、夕べはきみを想像して自慰に耽った、と、伝えたらどうだ?そちらのほうがおまえの理論では、今宵の自慰がより高みへと昇華できると思わないか。

 それは違う!わたしは声を荒げた。

 いまからその子にコクってこい!彼も声を荒げた。

 違う!それは違う。わたしは弱々しい声を出す。

 それは違う。

 そんなことをしたら。わたしはハッと気がついた。この理論が破綻していることを。そんなことをしたら、それはオナニーではなくなる。

 わたしが力なくそういうと、友人はニヤリと口角を曲げ、静かにこういった。

 そう、それはオナニーではない。それはプレイだ。それは世に言うオナニープレイだ。

 わたしは愕然とした。それじゃあ・・。

 言葉を失ったわたしに対して、友人はゆっくりと口を開く。

 そう、このおれが、おまえが自慰をしている事実を知ってしまった以上、真の自慰とはいえまい。もはやおまえはあのムスメをオカズに純粋な自慰行為に耽ることはままならん。

 わたしはすっかり意気消沈した。その場に僅かな沈黙が訪れ、それから、友人はその静寂を待っていたかのように、優しく言葉を続ける。

 だが、あいわかった。おまえの高尚なまでの妄想は、おれも理解した。

 おまえのその妄想、いやまさにその愛情は、人に話せない。話した時点でプレイになってしまう。では、そのおまえの愛情や妄想は何処に行く?

 何処へ行く?改めて問われ、わたしは言葉に詰まる。人には話せない。誰にも言わず、誰も知らず。だが、たしかにその感情は心に残る。心に残った意識は何処へ行く?人に決して認知されることのない意識はどうなる?わからない。わからないものはなんだ?わからないものがわからない所へ行き着く、この形はないが決して無ではない感情はなんだ?いったいどこへ?わたしは苦し紛れに絞り出す。

 う、うちゅう?

 友人はにっこりと笑い。そうか、宇宙へ行くのか。と、つぶやいた。

 そこから、わたしたちはまるで決められた台本を読み上げるように、謎のパズルを仕上げていくように、言葉が自然と溢れてくる。

 誰にも知られることのない、熱い情熱。知られてはいけない、人に認知された時点で破綻する真実。けれどたしかにそこにある感情。男子ならば誰でももっている妄想。それら意識の集合体。いったい誰がキャッチする?人類ではいけない。宇宙人?いやそうでもない。「無」であり「有」の集合体。それは宇宙に飛んで行くのだ。わたしたちのモノリスは猿が宇宙に投げるのだ!

 高揚するわたしたち。まさに意味の無い討論の末たどり着いたより不毛な答え。だがその答えすら、誰に知られることなく宇宙へ飛んで行くのだ。

 ところがそんなわたしたちは、隣でじっと押し黙り、一連の会話を聞いていた、もうひとりの友人の存在にようやく気がつく。

 それで?おまえのオナニー論はどうなんだ?

 友人がそう訊ねると、もうひとりの友人はゆっくりと口を開く。

 おれの自慰は色即是空。何処にも行かず、何処へも飛ばない。常に内なる宇宙に向かって繰り広げられる。もはやそこには妄想すらない。女も、男も、もはやスケベ心さえも無い。まさに「空」。

 そうして、その友人は、泰然とした所作で掌を合わせる。わたしたちもつい、つられて、黙ったまま彼に従う。

  合掌。

  

未来はそんなに悪くない、ってさ。

 土曜日は自宅で牛のタタキと、ショウガを豚肉で巻いた料理を、安物の白ワインとビールでやっつけて、日曜日は前日の肉料理づくしで胃腸が疲れていたので、蕎麦屋へ行く。板わさとだし巻き玉子、それとわさび菜のおひたしを肴に日本酒を四合づつ呑み、それからまずい蕎麦をすする。いつもの週末。

 テレビが退屈だったので、仕方が無いのでYOUTUBEで音楽を聴く。ポップスは絶望的に疎いので彼女が聴く音楽を寝転びながら、わたしは何となく聴く。MISIA加藤登紀子森山直太朗宇多田ヒカル、ある程度定期的に知っている曲目がやってくる。スーパーフライの「愛を込めて花束を」。あー、これは好きだ。それから宇多田ヒカルの「花束を君に」。これもグッとくる。どうやらわたしは花束に弱いらしい。花束なんて贈ったこともないのに。

 河島英五の「酒と泪と男と女」。次第にしょっぱい古い名曲へと移り変わる。チューリップ。中島みゆき荒井由実。ハッピーエンド。よし来た、ハッピーエンドは大好きだ。

 わたしは本当はJ・マスシスが聴きたかったのだが、代わりに「恋するフォーチュンクッキー」をリクエストした。この曲はなぜだかわたしの涙腺を刺激する。

 それはまだ自分の中で東日本大震災のショックが消えなくて、世の中も落ち着きは取り戻してはいたが、なんだか自粛ムードがまだ漂っていた時代だ。わたしはひょんなことからこの曲のビデオ映像を聴いた。わたしはその娘たちがAKBだかNMBだかAK47だかを知らない。未だに見分けがつかない。けれど、そこではいろいろな人が楽しそうに踊っていた。

 未来はそんなに悪くないよ。彼女たちはいっていた。小橋建太も踊っていた。わたしは納得した。なるほどアイドルとはそういうことかと。わたしはみんながアイドルに熱中する訳をその曲で知った。

 人はおぎゃあと生まれて、いつの間にか自力で立ち上がったような気分で生きてゆく。世の中はハッピーで愛情に満ちあふれていて、自分も同じように誰からも愛されているかのように進んでゆく。けれど、いつしかそれは違うことに気がつく。たいていの人は容姿もおつむもそれなりか、それ以下。常に輝きを保っているひとも、いるようにも見えるけれど、実はそれも違う。みんなどこかで立ち止まる。みんなどこかで傷ついている。

 天災があり、人災があり戦争がある。それは一見、ハッピーで愛情に満ちあふれている世の中の常に裏側にあり、すぐ隣にある

 そんな中で彼女たちは歌う。未来はそんなに悪くないよ、と。

 挫折、傷心、あるいは何も無い人生。みんな同じだろう。だが、彼女たちはそんなことをおくびにも出さない顔でニコニコ歌う。ピカピカの衣装を着て、可愛らしいダンスを踊る。みんなと、わたしたちと。

 わたしはひとを励ますことが苦手だ。悩みを打ち明けられても、その事例に対して、問題がどこにあるのか、解決方法はどこにあるのかといつも探ってしまう。愚痴を聞いても簡単に同調したりもせず、素直に頷くことすらしない。

 みんなは、そんな態度を望んでいるわけではない。わかっている。わかっているが、わたしはそれをできない。

 けれど、彼女たちはそれができる。ニコニコした笑顔を振りまいて。彼女たちの本当の真意がそこにあろうと、なかろうと。彼女たちは歌う。

 人生捨てたもんじゃないよね。だってさ。

クマゼミが鳴く

 短い盆休みも終わって金曜日。どうも仕事に身が入らない。つまらないイラストの依頼が大量に入っているせいでもあるが。

 外でシャクシャク鳴いているのはクマゼミだろうか。クマゼミなんて関東ではほとんど見ないやつだが、今では温暖化のせいで北上してきているのだろうか。

 生き物は順応する。でないと種を繋いでいけないから。場所を追われどんなに環境が変わろうとも、生きられるものは生きて行ける。

 後輩が遅い就職が決まり、田舎の父親と話している時、結婚はどうしただとか子どもはどうなっているだとか、矢継ぎ早に訊ねられたそうだ。後輩には彼女もいない。当然、なんの予定もない旨を伝えると、「お前は気の良いやつだが生物学的には敗者だな。」というようなことを言われたらしい。

 父親として、息子に対して言ってはいけない言葉というものがあるだろうが、人間というものは往々として一番近しい人間を無意識に傷つけてしまうものだから始末に悪い。

 それをいわれたらわたしは後輩を遙かに追い越した敗者でもあるが、まあそこは置いといて、こういう意見はあまり都会では聞かない。彼の父親も、ある程度の都会に住んでいたら、そういう考え方だけでもない別の生き方に、理解を示したのだろうか。

 田舎者というのはただ単に言葉そのものの意味ではなくて、狭い世界観でまとまってしまった思考を揶揄する言葉だと、つくづく感じる。

 彼の父親がより都会へと北上してきたら、はたして息子の考え方へと順応できるのだろうか。

 わたし個人としては、この国において、田舎に留まること自体が人生の勝ち組だとも思う。都会に出てくる人間は、きっと何かに追われていて、やむを得なく違う環境に順応しようともがく、厳しい立場の人間だと思っている。

 それを理解しないで、何も考えずに、もといた場所に留まり続けられるひとは、出て行ったひとを僻む傾向があるように思える。なぜだかしらないが。それで、都会の人間も意地を張って、彼は田舎者だ、とこうやり返す。世界はこうして分断されてゆく。

 クマゼミは幸せだろうか。たとえばヒアリだってそうだ。外来種はいつでも爪弾きものだ。ネットの情報はずいぶん世間と乖離してしまった。ブラウザを開けば服の破けた幼女のイラストのバナーが踊る。ロリータ趣味が世間の主軸となっているのなら、わたしは自分の狭い世界から飛び出さず、喜んで田舎者と呼ばれよう。指を立てて「いいね」だなんて。ちょっと前には反発する意見も聞こえたが、今ではみんなうまく順応しているものだ。それも悪くない。だが百人だか千人だかの顔も知らない「フレンド」に、食い物やブランド品を自慢することがネットの最終形態とは到底思えない。草薙素子がダイブした未来は、いまではちっとも羨ましくもない。

 アメリカはいったいどうなっているのだろうか。トランプ大統領は。彼らの言動を見ていると「七人の侍」を思い出す。百姓はずるくて泣き虫でケチで人殺しだ、とかいう三船敏郎のあのセリフだ。彼は劇中こう続ける。でも、それをつくったのは誰だ?それはお前ら侍だ!ドナルド・トランプはその侍だ。

 世界は常に分断されている。わたしはクマゼミでありヒアリでもある。仲間の少ないこの街で鳴き続ける。

「おじさんが聴いている歌」と、「歌っているおじさん」

 最近はなぜか黒ビール(いわゆるスタウトというべきか)、が無性に呑みたくなる。ところがこれが行きつけの飲み屋には用意がない店ばかりだということに、呑みたくなってから気がついた。

 こういうことはちょくちょくあって、以前は細いポテトが同じように無性に食べたくなったが、これも地味にメニューにない店が多いことに気がついた。あったとしてもお洒落げな、皮付きのポテトだったり。わたしとしてはマクドナルドのようなチープな味を無性に求めているのだが、そういったポテトを提供しているのは、思いつく限りでは、カラオケボックスやファミレスで、もはや自分がそういうチェーン展開している店舗には、あまり足を運ばなくなったことにも気づかされる。

 その前は「ねるねるねるね」で、その前は、ふ菓子の「ふ〜ちゃん」だった。これらはなぜか定期的にわたしの体が欲っするのだが、ポピュラーな駄菓子ではないにしろ、いざ探してみると見つからないもので、ここまで幼稚な駄菓子ともなると、年甲斐もなく、店員さんに聞くわけにもいかない。

 そんな話題を、「年はとりたくないものだね」なんてひと言で片づけるにはいささかずれていはいるが、それで思い出したといえば、この間テレビで若い女の子が、

ミスチルはおじさんが聴いている歌。サザンは歌っているおじさん。」

 というようなことを言っていた。

 それを聞いて、わたしはどこかストンと腑に落ちるというか、十代とおぼしきその女の子の、おじさんという概念に対する認識を簡潔なまでに語った言い分はまさに合点がいったというところではあった。

 もちろんおじさんのわたしがいうのもなんだが、男子というものは常に、いつから「おじさん」になったのか分からないものだ。それは具体的な年齢の話でもなくて、日頃からどういう振る舞いがおじさんなのかだとか、これはおじさん的な振る舞いだから気をつけなくては、などと社会的立場から警戒しているということだ。

 ところが、そういった自己への警戒はすれども、若い人からみた「おじさん像」というものが自分では一向にボンヤリとしたままでいるものだから、備えるべき事柄もやはりボンヤリをしてしまうのも無理はない。

 たまに、わたしよりも遙かなるおじさんが、

 「おれなんかさぁ、同世代のおっさん達なんかより、若い子とのほうがよっぽど話が合うよ〜」

 なんて、いっているけれど、

 つまりこういう人がいるということは、まさにおじさんが、若い人からみた自分像をまるではき違えているという確たる証拠になるのだろう。

 それで件の彼女の、「ミスチルはおじさんが聴いている歌。サザンは歌っているおじさん。」という持論を聞いたとき、わたしは自分の心情にすっぽりと隙間無くフィットした慣用句を言われたような、そんな気分になったわけだ。

 確かにミスチルはジャストでわたしが青々しさ真っ盛りの頃に流れていた。まあその頃のわたしとしても、サザンはすでに「歌っているおじさんたち」だったわけだけれど、彼女の、推測するに括弧書きのつく、

 「(なにやら)歌っているおじさん」

 というようなニュアンスではなくて、あの頃のわたしは、かなりクールなバンドという認識のもとに、サザンオールスターズを聴いていたことは確かだ。

 彼女のいうところのその感覚は、どうだろう。わたしに照らし合わせると、さだまさし美空ひばりといったところだろうか。いや美空ひばりはかなり好きだったから、(なにやら)というわけでも、まして、歌っているおばさんなんてゆるい認識ではなかったはずだ。

 まったくよく知らない、という認識程度のかたといえば、加山雄三も思い当たるが、その加山雄三は、今の若者が再発見(ともいうべきか)して、数々のフェスやライブに参加しているというから驚きだ。わたしも改めて聴いてみると、なるほど、かなり素敵な音楽だと感じるから不思議だ。

飛び込め、躊躇なく。

夏の海の想ひで

今日は山の日らしいが海の想い出。

 

 幼少期、海の側で育ったわたしは夏のほとんどを海で過ごした。いや夏どころか、五月の連休あたりから九月の終わりまでの間、ほぼ毎日のあいだ、日が暮れるまで近所の海辺で遊んだものだ。

 五月の海水はまだ冷たかった。わたしたちは海岸で貝殻を集め、大きな砂団子を作り、朝早くに出かけては潮だまりにとり残された小魚やカニを捕った。そういうふうにして海水の温度を毎日確かめながら、太陽が常に真上にいるような日には、ここぞとばかりに泳いだものだ。

 わたしの育った町の海は、かつての戦争で造られた砲台の跡やら、なにかの施設跡地やら、わけのわからない朽ち果てた建造物が所々にあり、それらは海にも点在していた。わたしたちはコンクリートのその四角い塊をめがけて泳ぎ、時には上によじ乗り休憩し、それから、飛び込んだ。

 戦争跡のそれは強大なものから、子どもが数人なんとか乗れる程度のものまであり、そいつは、近所の海岸沿いから隣町まで点在していて、高さも大きさもそれぞれ違っていた。そこから飛び込むのは飽きなかった。

 なかでも近所の海岸にある突堤は巨大で、そこは保安庁の船着き場になっていた。保安庁がいるのだからもちろんそこは遊泳禁止なのだけれど、子どものわたしたちにはそんなことは構わなかった。

 突堤へは海側から進入できた。突堤の中腹には海へと下る石の階段があり、そこへめがけて泳ぎ、階段をのぼる。引き潮時には階段の最下段が高くよじ登れず、子どもらはみんな浜辺で満ち潮を待ち、階段が上れるほどに潮が満ちるのを確認すると、一斉に海へ入っていくのだ。

 それからわれわれは、さらに潮の満ちるのを階段に座って待ち、海の底が黒く深くなるのがわかると、階段のてっぺんへと駆け上がり、次々と海へと飛び込んだものだ。突堤はどれくらいの高さだったのだろう。おそらくビルの二、三階くらいの高さはゆうにあったと思う。だから下級生やその高さに馴れない子らは、簡単には飛び込めないのだが、そこはうまい具合に階段を利用して、見合った高さから飛び込みの訓練ができ、あとは勇気と度胸が十分につくと、皆てっぺんを目指した。

 その階段では、年少の子は年長の子に、正しいかどうかは知らないが危険を回避する飛び込み方や、潮の満ち引き、カレントの特性、モリの突き方、足ひれの使い方などのあらゆるルールを自然と教わったものだ。

 さらに、突堤のてっぺんへたどり着くには二つのリスクがあった。ひとつは階段の最上段には錆びきった有刺鉄線が張り巡らせられていて、わずかにこじ開けらた箇所から乗り越えなくてはないこと。もうひとつは、たとえそれを乗り越えたとしても、保安庁の大人たち見つかると、つぶさに捕まえにくることだった。

 つまり子どもらがてっぺんに行き着くには、なまなかな度胸ではたどり着けなかった。それに、一度たどり着いたら、保安庁の職員が捕まえに来る前に、素早く海へ飛び降りる勇気も必要だった。初めてそこへたどり着いた子らは、その高さに逡巡している間に、保安庁に捕まり、こっぴどく叱られることも度々あった。

 そういうわけで、突堤のてっぺんから飛び降りられる子は、皆から羨望にも似た感情を抱かれるのだった。わたしは兄弟で物心ついたころから浜で遊んでいたので、年長者に混じって有刺鉄線をよく越えた。特に兄は運動神経もよく、ほかの年長者もなかなかできない側宙やバック転などの技を披露し、飛び込むことができた。そういったいわゆる大技で飛び込むと、階段で待機していた子どもらから一斉に拍手がおきた。わたしも兄には遅れてだが、すぐに、ちょっとした飛び込み技術を披露することができ、その浜では皆から一目置かれる存在になった。海面に激しくたたき付けられ、音の無い海中からあがり、やがて聞こえてくる仲間の拍手はものすごく心地のよいものだった。

 保安庁に捕まる子は定期的にいた。捕まっても、「あぶないからよしなさい」だとかキツめに注意され、「きみはどこの子だ?」だとかなんだとか、多少問い詰められはすれど、いづれにしろ、すぐに保安庁の正式な出入り口から帰された。

 それでも、知らない大人に怒られること自体が、子どもらにとっては、いつの世も、最大の恐怖であることに変わりは無いだろう。

 怖じ気づき、飛び込めずに大人たちに捕まる子らを、誰も責めることはしなかった。第一に、例え捕まっても、誰ひとりとして仲間を売ろうとはしなかったし、あの高さから飛び込むということが、どれほどの勇気を要するものかを、誰もがわかっていたからに違いない。

 とはいえ、保安庁の大人たちも近所の悪ガキにばかりに毎日かまけてもいられないようだった。普段は突堤にあがってくる子どもらがいると、拡声器で建物から注意する程度であった。なかなか飛び込めずに何十分もうろうろしている子どもがいると、彼らは仕方なしに建物から出てきて、その子を捕まえようとするのだ。

 ある日、そんなイタチごっこにうんざりしたのか、保安庁の職員たちは数台のバイクで突如として登場し、数人の子どもらを一挙に捕まえたことがあった。ちょうど、皆で集団で有刺鉄線を乗り越え、飛び込み技術を披露しようとしている矢先を狙ったのだろう。普段徒歩で近づいてくる職員にすっかり油断していたわたしたちは、バイクの機動力を目の当たりにし、呆気にとられるまま、つぶさに捕まった。

 あれは単に、危険な遊びに興じる子どもらにお灸を据えようとしての行動だったのだろうが、わたしたちにとっては、たいそう戦慄する出来事だった。なにしろてっぺんに上がったら少しの躊躇もなく飛び込まなくてはならなくなったからだ。

 

 やがて盆になると大人たちに海へ入るのを禁じられた。「海へ入ると何かに足を引っ張られるぞ」などと口々に脅されたものだが、真相はともかく、子どもらも自然と、その言い付けを破ろうとはしなかったものだ。

 だから盆はいつでも退屈だった。いや、常に幼少期というのは退屈そのものだった。退屈を最大限に謳歌し、いつしか想い出が輝かしい毎日に変えるのだ。線香の匂い。的屋が流すナイター中継。ギイギイ軋む公園の遊具。団地から聞こえる念仏。今ではすべてが良き想い出になる。

 われわれは砂浜で花火をした。大人が付き添いに来ることもあったし、子どもらだけで楽しむ場合もあった。そんな時、火の始末は年長者が責任をもっていたが、海辺ではそこまで警戒する必要もなかった。

 花火を終えると、波打ち際でキラキラと光る夜光虫を眺めたものだ。その輝きは花火の人工的な光などよりも、よっぽど美しいものだということは、みんな知っていた。知っていたがそんなことにはなんの関心もなかった。美しいだの綺麗だの、そんなものにはまったく興味はなかった。代わりに楽しむことだけにめいっぱいの関心があった。

 八月も終わりに近づくと、浜で会う子らの数も次第に減っていった。思えば名前も歳も知らない子らも沢山いた。わたしたちは飽きもせずに突堤で泳いだ。日焼けした茶色い皮膚はすでに何度も剥けていた。雨でも泳いだ。土砂降りのなかで泳ぐのはなかなか気持ちのよいものだった。

 台風がやってくるとわたしたちは胸を躍らせた。台風が去った翌日、わたしたちは喜々として浮き輪を片手に、朝早くから浜にでかけた。浜には様々なものが打ち上げられていた。魚の死骸やらウミウシやらペットボトルやらに混じって、盆に流した野菜が転がり、流木やまだ青々とした海藻が波間に集まりそれらを堰き止めていた。

 波は普段の穏やかさからは信じられないほどに激しかった。わたしたちはそれまで倉庫で眠っていた浮き輪に尻を差し込み、うねる波間に挑んでいった。

 今ではその浜で泳ぐ子どもらは見当たらない。第一、海はずいぶん汚れてしまった。それに、保安庁の遊泳禁止の海などで泳ぐこと自体が、現代では不可能だろう。そうだ、今はどうだろう、おそらくそんな危険な子どもらの遊びをしっかり取り締まらない保安庁は、世間からひどい批難を受けるだろう。沖の突堤ではしゃぐ子どもらも、その親たちも。不用意だの危機管理不足だのルール違反だの何だのと、手ひどい批判を浴びるだろう。

 だがわたしは忘れない。そこから飛び込む勇気。恐怖心の克服。仲間たちとの通過儀礼。満ち潮を待つ焼けた背中。潮だまりの小さなハゼや、巨大なマゴチ。真剣に叱り飛ばす、やさしい大人たち。夕暮れ時、真っ黒に塗りつぶされたわたしたち。波間できらきらとゆらめくビーチサンダル。死滅回遊魚。沖へと泳ぎゆく小さい無数の頭。沖の冷たさ。オレンジ色の太陽。むせかえる潮の匂い。無数の切り傷。今でも残る疵痕。

 あの頃、夏を暑いとは思わなかった。常に汗をかきながらもなぜだか暑いとは感じなかった。

 今日からわたしも短い夏休み。海へは行かない。泳ぎもしないだろう。この炎天下、どこかへ出かける覚悟もない。汗をかく度胸もないだろう。

 浜で出会ったほとんどの仲間たちが、今どこで何をしているかは知らない。連絡もとらない。探そうとも思わない。

 少年時代のすべてが輝かしいとは思わない。スティーヴン・キングでもないがこう結ぼう。

 だがわたしは知っている。あの頃と地続きにある今のわたしは、いざとなれば、いつでも飛び込めるだろう。

 なにも躊躇なく。

戦争はよくない。簡単な話。

 ひとは愚かにも悲しい記憶をすぐに忘れ、忘れるからこそ過ごせる日々がある。だがこの日はわれわれにとって忘れてはならない日のひとつだ。

 もうすぐ8月15日がやってくる。

 戦争が正しい行為ではないことは明白だ。だが人類は未だ他の解決方法を知らずにいる。

 「原子爆弾は戦争を終わらせるために使用した。」こんな意見がある。「原爆をつかわなければもっと人が死んだ」こう続ける。そうかもしれない。たいそう俯瞰した意見だ。個人を試みず、人類全体を見るとそういう意見も確かに理解できるのかもしれない。

 こういうふうに言う人は、必ず死や殺戮からいつも遠くにいる。もし、実際に被爆したかたがそれと同じ意見を抱いていたのだとしたら、それは、自意識を押し殺した発言か、それともファナティックなほどの人類愛によるものか。いずれにしてもわたしには理解できないだろう。

 それは、ある意味、かつての日本の軍隊がもっていた考えかたに似通っている。もし旧日本軍が原子爆弾をアメリカよりも先に開発していたのなら、間違いなく世界に向けて同じことをいうだろう。「原子爆弾は戦争を終わらせるために使用した。」

 だが、わたしはこういう話がしたいんじゃない。この話題は「なぜ人を殺してはいけないのか」を法律的、あるいは文化的・歴史的に論じることに似ている。そんな話題には興味ない。「人を殺してはいけない」ということを肌感覚で理解できない人と、今は会話をしたいとは思わない。この話題に歴史は関係ない。政治も宗教も。

 

 「人を殺してはいけない。いかなる場合でも。それがたとえ、戦争においても。」

 たとえばわたしはこういう意見を支持していきたい。 

 もちろんそれが現実にはならないことはわかっている。誰だって大切な人が殺されでもしたら、その意見は反転するだろう。いとも簡単に。老老介護に疲れた息子が親を絞め殺すことを誰が責められるのだろうか。わたしには高瀬舟に乗る罪人に石は投げられない。

 だがそれでもこう言おう。戦争はよくない。簡単にいえるように心がけよう。

 もしわたしが戦争にかり出されたとしたらどうだろう。イメージする。ライフルを渡され、海を渡り、知らない土地を何日も行軍する。ある夜、歩哨に立ったわたしは草むらに違和感を感じる。わたしはそちらのほうを身じろぎもせずにじっと睨む。葉むらがざわめき、わたしはライフルを構える。やがて一人の兵士が現れる。目の色も髪の色も違う兵士。だが彼はわたしと同じようにライフルを構えている。わたしはなにも考えずに引き金に指をかけ、彼を撃ち殺すのだろうか?それとも彼に撃ち殺されるのだろうか?

 撃ったとしたら当然わたしは生き残る。死にたくなかった。間違いなくこう思うだろう。兵士の死体の前で佇み思うだろう。この兵士はわたしと対峙した瞬間に、一人の兵士ではなく、まさに「死」そのものだったのだと。

 では、撃たれたとしたらどうだろう。わたしは「死」そのものと対峙して、負けた。そしてこの兵士もまた自分と同じように感じ、「死」に打ち勝った。彼を責めることはしないでおこう。誰だってそうするさ。潔くそう思えるのだろうか。あるいは激しい怒りと後悔と惨めさと憎しみのまま、命を終えるのだろうか?

 戦争には行きたくない。イメージだけでもうんざりする。

 戦争には行かない。それでも戦禍は選んではくれない。日常生活を送るわたしは突然激しい爆撃に遭う。イメージしろ。イメージだけしかできないのなら、ひたすらイメージするのだ。

 会社帰り、あるいは休日の晴れた日。街に原子爆弾が落ちる。激しい閃光。爆風。やにわにあたりは真っ暗になり、煙が立ちこめる。ビルは軒並み倒壊。所々に火災がみえる。わたしは立ち上がり。瓦礫を彷徨う。生きている実感もなく、現実味も感じない。煙の向こうからうめき声が聞こえる。わたしは煙のほうへと向かう。やがて煙の切れ間から人の姿がみえる。服は焼け焦げ、顔は真っ黒で男か女かも判別できない。皮膚は焼け落ち、剥がれ、指先から垂れ下がっている。喉は焼かれ、口元からはうめき声が漏れる。そういう人々が何人も現れる。激しい死の嵐のあとの亡者の行列。たぶんわたしは彼らを助けようとはしないだろう。あるのはひたすらな恐怖、あるいは嫌悪感。わたしはただがむしゃらにそこから逃げだそうとするだろう。

 「人を殺してはいけない。いかなる場合でも。それがたとえ、戦争においても。」

 人はそれを理想論と言い、現実をみていないと言う。議論にならないと嗤う。ファンタジーのヒーローでさえやられたらやり返す。仲間のため恋人のため、あるいは罪なき人々のため。やられたらやり返す。ロトの勇者は竜王にある提案を持ち掛けられる。世界の半分をやろう。だが勇者は交渉に応じない。半分の世界。それがたとえ暗闇の世界だったとしても、まずはそこから平和にしていこう、とはならない。なぜなら竜王を倒してしまうほうが手っ取り早いからだ。それが正義だと信じているからだ。

 今時、スーパーマンでさえ法定に立たされる時代だ。誰かのために正義を行使することは、誰かの悲しみに繫がる可能性があるからだ。ファンタジーでさえ理想論と対峙している。

 けれど理想主義者の何が悪い?そんなことはわかっている。何度でも言おう。

「人を殺してはいけない。いかなる場合でも。それがたとえ、戦争においても。

 これは間違っているかもしれない。答えではないだろう。それでも「考える」に留まり続けよう。ダライラマは政治に翻弄されヒマラヤを越え、僧侶は自らの体に火を放つ。誰もがガンジーマザーテレサにはなれやしない。だが彼らの声は今でも聞こえ続け、誰かの耳に届く。ボブマーリーや忌野清志郎の歌は今でも流れ、誰かが聞いている。ジョンレノンに言われなくてもわかっている。わたしたちはイメージすることしかできない。戦争は知らない。知りたくもない。だからイメージする。これは祈りにも似ている。そうして8月15日、思い出す。長く答えのない無限の時間の道のりを、「考える」に留まり続け。決してそれをやめない。

「粋」じゃないマナー

 マナーにはなんとなく気をつけるようにしている。特に小さな、一見して取るに足らないようなマナーには気をつけたい。

 細かいマナーは沢山ある。電車内だったり、行列に並んでいたり。どこかで誰か他人がいる空間を共有するとなると、必ずマナーはついてくる。

 これが結構難しくて、たとえば歩行時での信号無視などはどうだろう。車のほとんど通らない小さな横断歩道についた信号機だと、やはり無意識にも無視してしまう場合はある。近くに子どもなんかがいると意識して守ることでも、普段は気がつかないままにルールを無視してしまう。

 誰もがいちどは破っていて、なんとなく誰にも咎められることもなく、たとえ怒られたとしても注意程度、下をぺろりとだして、すみませんでした、で済んでしまうルール。けれど見る人が見ればその人を不快にさせてしまう行為。これが恐らくマナーという概念だろう。だからこそ気をつけたい。

 もちろん信号無視は立派なルール違反、というかむしろ犯罪行為に該当するのかもしれないが、そういう細かい刑法を度外視して考えると、普段の何気ない生活で犯してしまう小さなルール違反は、むしろマナーとして捉えて、気をつけるべきなのじゃないだろうか。

 頻繁に呑みに出歩くと、否が応でもそういうマナーを気にしなければ楽しく呑めない。さらに、店によってもそのマナーはかなり流動的だ。赤提灯の狭い居酒屋で、他人と肩が触れあうのを気にしていたら楽しめないが、かなり綺麗な店構えのレストランでは、必要以上の馬鹿笑いは控えるように努めなければならない。

 一見、綺麗な店のほうが注意が必要だという気もするが、そういう店はその店でのある程度のマナーが確立されているから、実はそこまで気にすることもなく店に馴染める場合がある。逆に小さく気安い店のほうが、気安いからこその、度を超さないためのマナーが必要なの場合もある。

 経験上、気安い店のほうが馬鹿笑いで下ネタを話す連中や、店の若い女の子にくだらない質問を何度も繰り返すおじさんのように、度を超したマナー違反を頻繁に目の当たりにする。だからこそ、細かいマナーに気をつけたいとわたしは思う。マナーは細部に宿るのだ。

 とはいえ、テーブルマナーというものをわたしは知らない。というかあまり気にしたこともない。フレンチだろうがイタリアンだろうが和食だろうが、それはあるのだろう。正装をしてガチガチに上品な店に出入りしない/できない、こともあるが、とにかくわたしはそれを知らない。

 たとえば、会計時に、「お愛想おねがいします」はよろしくない、だとか、寿司屋のように、はじめはコハダからだの、握ったらすぐ食べるだの、と、できれば守ったほうが良しとされるが、実は店側からしてみれば、客が楽しめればそれで良いとされるマナーも、テーブルマナーにカウントされるとしたら、わたしも理解する部分もあるし、或いは、それを知りながら、あえて気にせずに楽しむ場合もある。

 要するに、客だろうが店員だろうが、やはり誰かが不快に思うのならば改めたい、というのが第一義であるべきなのだろう。

 そういうわけで、細かいマナーというものは常に他人の心情に左右されるものなので、ものすごく難しいテーマだとわたしは思った。

 ある時そう思って、考えて、考えてたら分からなくなったので。わたしは自分なりの規準を設けることにした。それは「粋」か「粋じゃない」かだ。つまりマナーを粋か粋じゃないかで判断することにした。

 この判断基準を基に考えると(まあ、あくまで自己中心的な規準だが、そこはとりあえず置いておいて)細かいマナーというものがそれほど恐ろしくもなくなった。

 つまり、

  • マナーは流動的に変化する。
  • マナーの判断基準は「粋」かどうか。

 ここを規準として世の中を過ごすことにした。

 他人の前で下ネタを話すのは「粋」じゃない。店の女の子に話しかけるときは小粋な話題で。何度も絡むのは「粋」じゃない。寿司屋でコハダから頼むのは別に「粋」とは思わない。小綺麗な店にサンダル履きで訪れるのは「粋」じゃない。電車で終始うつむいて携帯電話をいじっているのは、別に構わないが「粋」ではない。人前で化粧をする女性も、別に構わないが「粋」ではない。

 という具合。

 少々戻るが、信号無視はどうだろうか。

 車での信号無視。これは言わずもがな。徒歩での信号無視。やはりこれも「粋」ではない。

 では、横断歩道を通過途中で信号が点滅しだしたという場合はどうだろう。

 途中で赤信号に切り替わってしまっても、そこは仕方が無い。戻るわけにもいかないだろう。老人や障害のあるかたはもちろん仕方が無い。だから走れるのなら走るべきだ。たとえ赤信号になってしまっても、申し訳なさそうに小走りで、どこともなく頭でも下げれば「粋」は追加される。

 ところが、たまに、点滅している状態から走ってきて、横断歩道に一歩でも踏み入れると安心したかのように歩きだす人がいる。点滅しているのだからそこは急ぐべきだろう。なんならそこからゆっくりと携帯電話をいじりだす輩もいる。そういう人は例え赤信号に切り替えられようとも、その歩みは変わらない。これはトリプルでアウト。「粋」じゃない。

 日常生活のなかで気をつけるべき点を、こういうふうに考えて過ごすようになると、

マナーがどうだとか逐一気にするよりも、よっぽどクリアになるのじゃないだろうか。

 それと、タバコのポイ捨てはもちろん「粋」じゃない。けれど、よく漫画なんかでみる、喧嘩の前にタバコを投げ捨てるのはなんとなく「粋」な気がするのでよしとする。ただし、理由もなく喧嘩する場合、その行為自体が「粋」ではない。というかそもそも喧嘩自体がもはやマナー云々の話題から大きくズレているから「粋」ではない。